E.M.フォースターというイギリスの小説家の作品に、『The Machine Stops』という短編小説がある。今から100年前に書かれたものだが、技術革新による理想郷とは逆に、機械文明によるネガティブな未来像は、現代社会の行く末を暗示しているといえないこともない。
現代社会の行く末
この小説では、機械に支配された世界にもはや地域差はなく、しかも自然破壊によって人々は地下で生活している。他者と会う欲望もなく、すべてがテレビ電話を通しておこなわれる。そこで、大切なのは機械のマニュアルだ。それがなければ操作ができない。機械そのものが神格化され、宗教のように信じられ、機械の能力が上がるにつれて人々の知性は退化していく。最後は、すべての機械が故障し、地下都市の物語は終わるというディストピア小説である。
現代社会が同じような方向に向かっていると私が懸念するのは、先進国における人間の活動を支えているのは、石油その他の天然資源であり、それはどれもが有限であるということを人々が無視し続けているためである。オバマ大統領は電気自動車によって石油の消費が減り空気汚染が軽減できるというが、電気自動車に欠かせないリチウムも有限である。アメリカの発電の5割以上は石炭に頼っており、電気自動車になってもCO2の排出は続く。
また私は鉄道を推奨してきたが、石油減耗におけるある時点で、鉄道も非経済的な輸送手段になるだろう。なぜなら鉄道を動かす電気はエネルギー資源ではなく、発電する必要があり、発電には他のエネルギー資源が使われる。原発用のウランも減耗カーブにある。そしてたとえ自動車が水で走るようになっても、タイヤや道路を作るのに石油は欠かせないだろう。
科学技術が無限に進歩し、すべてを解決するだろうと信じる人に言いたいのはこのことだ。情報化時代と呼ばれる今日だが、情報を保管し、処理し、伝達するには物理的な媒体が不可欠なのである。
小説で描かれていたように、情報の基盤がなくなれば情報もなくなる。世界を飛び回る投機マネーも、実はコンピュータを通して数字だけが行き来している。グローバル・ネットワークという、通信リンクやサーバー設備は、物理的なインフラや部品、訓練された人々、そのための資金、どれが欠けても維持することはできないのである。
私はコンピュータ・ソフトウェアを販売する会社を経営している。石油減耗や資源の枯渇、地球は有限だというシンプルな真実に気づいてしまったからには、たとえば電力供給が不安定になって安定利用できなくなる可能性を考えて、顧客にシステム利用を提案していかなければならない。
第三世界ではあるまいしそんな必要はないという人は、21世紀になって日本の自衛隊が海賊と戦っていることも、宇宙へ進出している国がインフルエンザで緊急事態を宣言していることも忘れている。ハイテクノロジーは「高エネルギー消費」に等しい。私は本気でもっとも効率よく、もっとも経済的に情報を使うことを助ける「最高のローテク」の方法を捜し求めたいと思っている。