No.884 自動車社会の終わり

沖縄や関東は早々と梅雨明けしたが、山口県では集中豪雨で多数の犠牲者が出るなど厳しい事態になっている

自動車社会の終わり

文明社会における災害は、その多くが人災だとはいえ、それでも自然の力は強く、豪雨や少雨をなくすことは不可能であり、自然に合わせて人間は生きていくしかないということを改めて感じる。

狭い日本と違い広大な国土をもつアメリカでも、自然に合わせて生きていくことを学びつつある。車社会アメリカで、ビッグスリーの自動車メーカーのうちGMとクライスラーが破綻したことは、自動車の時代の終焉を意味するからだ。もちろん日本の政治家やエコノミストたちは、政府の介入によって自動車メーカーは復活して元に戻るだろうと主張する。しかしどんな延命を図っても、GMが経営破綻したように自動車社会も終わりを迎える。

一つは、これまでのように新車を購入できるアメリカ人が激減するからだ。政府が財政破綻し、企業、そして職を失うことで個人レベルでも借金返済が不可能となり、社会全体が破綻に向かう。これまでオバマ政権は不良債権を隠し、旧来のシステムを動かし続けるために新たな融資をおこなってきたが、そんな自転車操業を永遠に続けることはできない。

もう一つは、数年前ミネソタ州でミシシッピ川に架かる州間高速道路の橋が崩壊し、数十台の車が川に落下する事故が起きた。アメリカの自動車社会を支えるためには、高速道路や一般道路を維持し続けなければいけないが、財政破綻した国家はそれができない。道路や橋梁の老朽化が進むほど、自動車社会の危険度も増すのである。

多くのアメリカ国民が、自動車のない生活を余儀なくされたとき、アメリカ社会はどうなるのだろうか。公共の交通網のないアメリカ社会では、自動車での移動を前提として作られた住宅地が郊外に広がっている。特に、砂漠のような南部の州では自動車という移動手段がなければそこで暮らし続けることはきわめて難しくなる。ハリケーン・カトリーナの被害者の多くがそうであったように、自動車社会の終焉で最初に影響を受けるのは貧しい人々であり、その多くはアフリカ系アメリカ人となるだろう。

「変化」を国民にアピールし、初めてアフリカ系アメリカ人の大統領となったオバマ氏は、アメリカ経済を実体以上によくみせることでそのリーダーシップも過大評価されている。しかし債務は未払いのまま銀行は不良債権を帳簿からはずし、経済は停滞し、雇用は消滅し、内部崩壊は続いていく。

自動車会社の破綻は、安くて豊富なエネルギーに支えられた文明が限界にあることのサインだと、オバマ大統領はじめアメリカのエリート層、そして日本の支配層は認めたくはないだろう。しかしGMの復活のように、アメリカの自動車社会の復活がないことをみとめ、エネルギーの使い方を改め生活様式を変えなければ、その後の苦しみはますます大きくなるのである。