No.901 アメリカ先住民族のように

アメリカに生まれ育ち、日本に移住してビジネスを始め、コンピュータ業界で商売をしながらテクノロジーの暴走を危惧している。日本に帰化し、日本政府の政策に苦言を呈している。こんな私の書いたコラムを読んだ読者から、そんなに今の有様が気に入らないというなら、どんな社会に変わればいいと思っているのか、という質問をいただいた。

アメリカ先住民族のように

「何か一つのものに置き換えたくはない」というのが私の答えだ。日本に来てから40年間見てきたのは「日本のアメリカ化」だった。もちろん私が絶対に日本人には見えないように、日本が完全にアメリカのようになったわけではない。しかし、社会基盤、人々の趣味、思考や価値観は40年間に急激な変化をとげ、今の日本は、過去の日本、例えば江戸時代の日本よりも、むしろアメリカに近くなった。

私が実際に知っている文化は日本とアメリカしかないが、いま世界で多くの国がその文化を捨て、アメリカのスタイルを取り入れるようになっている。地方や国ごとの独自の文化はいつの間にか効率化や便利さ、速さに取って代わられた。私は、世界が再び地方や国ごとに特色のある、多様性にあふれる場所になることを心から願う。

アメリカについていえば、ヨーロッパから白人が渡来するまで北米大陸で暮らしていた先住民族の文化があった。数多くの部族が異なる文化を形成していたのを、ヨーロッパ人はそれをひとまとめに『インディアン』と呼び、彼らを根絶あるいは同化させる政策をとった。先住民族は遅れているというレッテルをはったのも多様性を無視した偏見からに他ならなかった。

テクノロジーや利便性の指標でみればたしかに現代社会は先を行く。しかし自然環境はものすごい勢いで破壊されているし、残酷な戦争も続いている。海や川は汚れ、土は痩せて日々種が絶滅し、長い時間をかけて作られた化石燃料はわずか1世紀半で半分以上使い果たした。それで人々の暮らしが真に豊かになったかといえば、貧富の格差は大きく広がり、どの指標をみても現代文明が過去のものよりも優れているとはとても言えない。

持続可能性からみると、効率的なツールを利用することもなく長い時間をかけて自然と共生してきた世界中の先住民族の知恵こそ、いまわれわれが取り戻し、活用すべきものである。日本が取り入れてきたアメリカのやり方は、土地や環境を破壊し、その持続不可能な行為によって結局は人間をも不幸にするものなのだ。

かつて日本には自然への畏れと、自然を敬う心があった。すでに工業化が始まっていた西洋社会のように、計り知れない富を所有する人はいなかったが、エンゲルスが書いているような不潔なスラム街や貧困もなかったのが江戸の社会だった。これは外国人による美化ではなく、事実である。

アメリカと同じように日本もアイヌ民族を迫害し、同化政策をとったというが、それも含めてわれわれは多くのことを歴史から学べるはずだ。いまこそアメリカ先住民のように、自分たちが行なうことが500年後にその土地で暮らす子孫たちにどのような影響を及ぼすかを念頭において、政策を立てていくべきだ。