今年初め、厚生労働省は2009年の人口動態統計(年間推計)を公表した。出生数は過去最少だった2005年の次に少ない106万9千人で、3年連続の人口減となった。出生数から死亡数を引いた人口の「自然増加数」はマイナス7万5千人と、過去最大の減少幅である。
目指すは人間中心の社会
平成になってから日本政府は出生率を上げようとやっきになってきた。出生数の減少によって労働人口が減れば生産が低下し、経済成長が止まりグローバル経済における日本の競争力が失われる、というのがその理由である。
しかしこの主張には矛盾がある。すでに日本企業の中には対象市場を海外へ移しているところもあり、それにあわせて生産拠点も日本国外へ移転している。失業率増加に直面する日本でこれ以上人口が増えれば、職を見つけることはますます難しくなり、それによって貧富の格差や日本社会全体の不安定さはさらに増すであろう。
機械化やコンピュータによって労働者あたりの生産性は大幅に向上した。生産に必要とされる労働者の数は、今後より少なくなってくるだろう。それでも日本政府や財界が人口を増やしたいのは、労働者の所得や消費に課税して税収を増やすこと、または大量生産された物を購入してくれる数多くの消費者が欲しいからである。経済成長とは端的にいうと、GDPが示すように、製品やサービスの生産と消費が増えることなのだ。
日本や先進国の多くは「経済成長」を国家政策の優先事項に掲げている。しかしそれは、確実に自然環境への脅威となる。生活の豊かさはお金や物だけで測ることはできないが、先進国が享受している物質的な生活水準を世界中の国が同時に享受することができるかといえば、地球資源や環境を考えると不可能であることは明らかだ。これは先進国が「経済成長」という目標を見直さなければならないことを示唆していると思うが、日本政府はいまだに成長を神のようにあがめている。
正月休みに、ハーマン・デイリーの「持続可能な発展の経済学」を読んだ。この本には人口問題、自由貿易やグローバリゼーションなど、現実に起きていることの本質について言及されており、同時に「成長」を追い求める経済システムを鋭く批判している。
人口を増やし、生産を増やし、消費を増やし、そのために使われる資源やエネルギーを増やす「経済成長」から、住む場所や食べ物、仕事など、真に必要とするものが満たされていない人々のいない社会を築くこと、これこそが私たちが目指すべき目標であると私は信じる。そのためには、公共政策は持続性がありかつ公平であるかどうかを考慮して決められるべきで、そうなれば経済成長のためではなく、この列島で暮らす適切な人数は何人なのかということから考え始めるようになるだろう。
永遠の成長を目指す人は、多くの物を持っていてもまだ足ることを知らない。そしてさらなる富の蓄積を求めて、地域からグローバルへと拡大していったその「貪欲さ」が、経済危機や失業をもたらした。機械が作り出す大量の製品を消費するために人口を増やすことは、機械の速度に人間を合わせることにすぎない。目指すべきは経済中心ではなく、人間中心の社会である。