No.907 質的進歩へシフトを

ここ数年来、ピークオイル(石油減耗)や、経済が大幅に縮小することを前提に、自分自身の暮らしを見直し、企業経営を行い、それに関連するテーマでコラムや講演を行なってきた。

暮らしの面では家庭菜園を充実させ、自給率を少しでも高めること。それはたとえわずかであっても地球環境に貢献していると思うと気分が良いし、農薬や化学肥料を使わず太陽と水、そして堆肥で育った野菜を食べると、本当に自分自身の健康にも良いことを痛感する。

企業経営についていえば、わが社は「成長」という目標を掲げていない。経済規模が縮小するなかで企業が成長にこだわれば、社員を低賃金で酷使し、広告宣伝を使ってユーザーに商品を売り込み、結果的にそれがエネルギーの大量消費と自然環境の破壊をもたらすことは明らかだからである。

昨年デンマークで行なわれた国連気候変動枠組み条約締約国会議では、世界は具体的な目標や取り組みの枠組みを設定できず問題は先送りされた。経済活動はエネルギー消費量に比例し、エネルギー消費量はCO2の排出量に比例するため、どの国も2020年に25%削減という目標に難色を示しているからだ。

しかし確実に資源は減耗している。昨年国際エネルギー機関(IEA)は世界のほとんどの油田がピークを超えたと発表した。新しい代替エネルギーへの期待は大きくとも、現実化されている話はほとんど聞こえてこない。エネルギー自給率が4%しかない日本で、経済を成長させ、また人口を増やしていくことは、国際競争はおろか存続すらも危うくするようになることは目に見えている。

家庭菜園を始めて実感したことは、この地球上で私たちはさまざまな恩恵を受けながら、相互に依存し合って存在しているということだ。そんなことは当たり前だと言われるかもしれない。しかし経済紙やエコノミストはあたかも経済だけはその相互関係とは無縁の、永遠に成長を続けることができるもののように思っているようだ。

この世界は日本のような先進国と発展途上と呼ばれる多くの国々と二極化している。有限である資源を先進国が独占したために、今のような二極化が顕著になったのである。先進国は量的な増加ではなく質的な進歩を求めることにシフトすべきであり、それが私は年収も労働時間も減らし、その代わり家族やコミュニティとの時間を増やしてより健全な社会、健康的な暮らしに移っていくことだと信じている。

過去200年間成長する経済のなかで暮らしてきたために、私の提案を難しいと思うのは無理もない。しかし大部分の時代、人類は年間の成長率などほとんどない経済のなかで生きてきた。この有限の地球において、経済だけが量的に拡大すると環境への負荷が高まり、いずれ人々は豊かさよりもその代償によって貧しさに向かわざるをえなくなるのである。

進んでいるとされる日本やアメリカがそれを証明している。GDPの成長は真の幸福にはつながらない。それどころかこれだけ多くの失業や貧困、貧富の差を作り、自然環境の悪化をもたらした。この現実を私たちは認めるべきだ。