No.911 2010年 春喜の会 講演録

本年もお客様をお招きし、「春喜の会」を全国4箇所で開催させていただきました。ご来場いただいた皆様には心より御礼申し上げます。各会場少しずつ講演内容が異なりましたが、共通のメッセージを以下に講演録としてまとめました。

2010年 春喜の会  講演録

持続可能な経済とは

今、アメリカではトヨタのリコール問題が大きな話題になっているが、これは今年11月に行われる中間選挙の予備選が2月から始まったためだ。中間選挙では、3分の1の上院議員と、全下院議員、そして今年は多くの州知事が改選される。私は帰化して日本国籍になったが、アメリカのやり方はよくわかっているつもりである。アメリカを動かしているのは財界、つまり金権制度である。その財界がアメリカの製造業を空洞化してしまい、アメリカに今残っているのは金融と軍需産業しかない。財界は政治献金で政治家を、そして広告料でメディアを握っている。トヨタの話は、選挙の時期に、アメリカ国民から問題の本質を隠すための格好の餌食になった。アメリカと世界に金融危機をもたらしたウォール街の海賊の昨年のボーナスが2兆円だったというニュースを隠すためにも、トヨタの問題を繰り返し取り上げ、トヨタを悪者にすれば、いかにも自分がアメリカという国のために働いているというポーズを見せることができる。そのために利用されたのだ。

本日のテーマは「持続可能な経済」であるが、調べれば調べる程、今の社会や経済はすでに持続不可能になっていると感じる。メディアも政府もそれを公に議論することはない。私は、経済の考え方ややり方を根本的に変えなければ大変なことになると考える。その解決策の1つが日本の伝統に戻ることだと思っている。

人類が直面する問題

最大の問題は人口の急増である。今や、世界人口は70億人になろうとしている。39年前は半分の35億人だった。人類が100万年前に男女一人ずつで始まったとして、今までに何回倍増したかを計算すると31回になり、倍増するまでに要した時間は平均で3万年以上である。それが直近ではたったの39年で2倍に増えた。このように人口増のスピードが加速化しているにもかかわらず、人間は昔からの考え方をなかなか変えられない。それは地球には、十分な余裕がある、という考え方だ。どんなに人口が過剰になっても、思考はそれに追いついていかないのである。

70億人の人類が地球の光合成の約40%を占有している。光合成とは植物やバクテリアが行う活動で、太陽光エネルギーを化学エネルギーに変換することによって、地球上のすべての生命のエネルギー源となり、酸素発生や二酸化炭素吸収によってこの地球環境を維持するためのものである。もう一度人口が2倍になれば、世の中の大部分の光合成は人類が使ってしまい他の生物は存続できなくなる。現にすごい速さで種の絶滅が起きており、21世紀中には現存する種の3分の1から2が絶滅するという予測すらある。

また人類は石油や鉄鉱石など様々な天然資源を大量に使っており、それらは数十年以内に枯渇すると言われている。また魚や木のような再生可能な資源も、再生が間に合わないほどの量を獲ってしまっている。世界の穀物生産量は30年前から減少しており、さらにアメリカは穀物の半分を海外に輸出しているが、最近は4分の1を自動車のエタノール燃料に転用している。このため穀物の7割を輸入する日本は、これからはアメリカの自動車業界と穀物獲得競争をしなければならなくなるだろう。

原子力がある、と言う人がいるが、燃料のウラニウムも有限である。太陽光エネルギーで代替できるかと言えば、現時点で石油を太陽光エネルギーに置き換えると、フランス国土と同じ大きさの太陽光発電パネルが必要になり、それを作る経費、維持費を考えると非現実的である。つまり今のままのやり方を継続することは、いずれにしても持続不可能だということだ。また、技術がすべて解決すると言う人もいる。だがいくら技術があっても、木がなければチェーンソーは役に立たず、石油がなければ製油所は不要で、水がなければ作物は作れない。人類はすでに地球の環境容量を超えた活動をしており、このままいけば人類は絶滅の方向に向かうだろう。

もちろんこれに異論を唱える人もいるだろう。だが、万が一のために対策をとることは無駄ではないと私は信じる。生命保険に入るのは早く死にたいからではなくて、念のために入るし、火災保険だって火事になるのを期待して入るのではない。私たちは今のままで持続できると思い込んでいるが、緊急時のための対策を講じることは必要なことだと思う。有限である地球で、その上に住む人類が永遠に人口を増やしたり、一人あたりの生産量や消費を無限に増やすことはありえない。有限の中で永遠の成長という概念はおかしいと思うべきだし、人間も生まれてから急速に成長し、大人になると成長は止まるように、有機体の集合である地球も同じなのである。

失われた10年

日本ではよく「失われた10年」と言われるが、それは国内総生産(GDP)がマイナス成長を続けたことを指している。つまり基準はGDPなのだ。しかし、GDPとは何か。企業の場合は、利益から費用を引いた純益で経営が上手くいっているかどうかを判断する。しかしGDPは利益(国民への便益)とコストの合算であり、国民にとって良いことも悪いことも、例えば環境汚染を起こしても、交通事故にあっても、それによる金銭取引をすべて合わせたものがGDPとなる。また企業は減価償却をするが、GDPには資源の減価償却期間というような考え方はない。資源は使い放題、公害は出し放題、費用も便益も足して、それを増やそう、それが成長しなければいけない、という考え方なのである。このようなGDPを基準にすることは、特に先進国では、GDPが増えれば増えるほど、国民の幸福や健康が損なわれる可能性は高い。

経済成長を促すもう1つの要因は、それによって世界の貧困格差が解決するとIMF、世界銀行、WTOなどが主張していることである。人口増加が激しい国は主に貧しい国で、それらの国が豊かになれば人口急増が止まる、と言うのだが、中国はすでに人口が13億人。もし中国の国民がアメリカ並みに紙を使えば森林はなくなるし、穀物を消費すれば世界の穀物の半分を中国だけで消費してしまう。つまり中国がアメリカのようになることは不可能なのだ。

アメリカは世界人口の5%を占めるに過ぎないが、天然資源の実に33%を消費している。このような中、貧しい国が豊かになることで貧富の格差をなくすというIMFの主張はありえない。解決策はアメリカや日本のように豊かな国が、浪費をやめて質素な暮らしに戻る以外にはないのである。

政府ができることとして、まずGDPの集計方法を見直すことが必要である。社会の経費も便益もすべて加算するのではなく、社会にマイナスの部分、環境汚染や資源の使い過ぎなどを引き算にすれば、成長にとらわれない国民の指標となるだろう。もう1つ政府が行うべき施策は、社会に好ましくない活動に税金をかけるような税制に変えることだ。労働に課税しサラリーマンから所得税をとったり住民税を増税するのではなく、博打に等しいキャピタルゲインへの課税の強化、相続税、贈与税を昭和の時代の税率に戻し、環境汚染や資源を使うことに税金をかければ良い。それによって今問題になっている貧富の格差も改善されていくだろう。

グローバルは無法

日本人が外国語を使う時は、人をだましたり、意味がないことを言っていることが少なくない。その良い例がグローバルやグローバリズムだ。国際は国と国との交流だが、グローバルは国を超え、つまり法律の及ばないことを指す。したがって、グローバルの名の下に、最も賃金の安い国で生産し、最も環境規制の緩い国に工場を移す。私はグローバル・ビジネスとは「無法商売」が正しい訳だと思っている。アメリカは国連、IMF、世界銀行、WTOなどを作り、グローバルという名の下でその国の政府が国民を保護できないような状況をもたらしているが、これからはグローバルという考え方を捨て、地産地消に転換していくことが不可欠である。

これから日本はどうすれば良いかと言えば、まずは日本の歴史を振り返ると良い。今は財政破綻しているがギリシャが栄えていた頃、日本は縄文時代で長い間平和が続いた。その後ローマ帝国になると日本は平安時代、ヨーロッパの暗黒時代は日本は戦国時代。フランスが栄えた時代は日本は江戸時代で、その後イギリスが世界の覇権を握り、衰退してアメリカに交代し今に至っている。これを考えると、いかに長い間、日本が独立国として文化や芸術を守り通してきたかということがわかる。私は日本人になりたてだが、日本人はもっとこの歴史に誇りと自信を持つべきだと思う。

日本の価値観の根底にあるのは、人間は自然の一部であり他の生き物との調和を説く古神道、そして欲を抑えることを説く仏教、指導者への教えである儒教、それらを混合した武士道などで、聖徳太子の時代から精神的な教えに基づいて国家を運営し、幸福な国を作ってきたと思う。これが変わり始めたのは明治時代だ。和魂洋才という言葉がある。日本の魂に、西洋の技術。ところが実際は当時から日本は洋魂洋才に切り替えてしまった。日本史には詳しくないが、おそらく明治の軍人は自分より強い西洋の軍人を尊敬し、その魂を真似しないといけないと思ったのかもしれない。

戦後GHQが日本にとった政策は、イギリスがインドに対して行ったのと全く同じだった。インドでは読み書きだけでなく神学、天文学、倫理など様々な教育が行われていたが、19世紀にイギリスはそれらをすべて排除し、イギリス式の教育を導入した。伝統や文化に基づく教育を受けている国民を支配することは容易ではない。その教育を取り払い、自分たちは遅れている、西洋式にしなければいけない、と思い込ませることでイギリスはインド支配に成功した。GHQは日本に対して全く同じことをした。アメリカが衰退している今、その真似をやめて捨て去った価値観や伝統を取り戻す時だと思う。

アメリカの教えの基本である聖書は、神は地球を人間のために造ったのだから、使い放題にしても良いというものだ。しかし、日本古来の考えは違う。人間は生きとし生けるものの1つに過ぎない、だから共存共栄、調和の中で暮らしていかなければいけない。これが日本の古くからの価値観だったと私は思う。また、西洋では労働は人間に与えられた罰であった。だからそれを軽減するために機械に置き換えた。しかし、日本人は手作業を心を込めて行い、誇りを持って仕事をしてきた。だからその手作業を補うために道具が使われた。西洋と日本の伝統的価値観には大きな差があると思う。

西洋の、特にアメリカの価値観に基づいて物を集めること、お金持ちになること、そのために成長を追い求める社会はもはや持続不可能である。私たちは方向転換をしない限り、今後も日本の経済、我々の生活は悪くなる一方であろう。

しかし、日本の長い歴史を振り返ると、日本人が質素な生活に戻ることはそれほど難しくないと信じている。もちろん最初は抵抗があるかもしれない。しかし、昭和の時代には、今のような使い捨て文化はなかった。ごく最近まで、日本人は物を大切にし、修理して繰り返し使う文化、価値観を持った国民だったからだ。持続可能な社会、持続可能な経済に戻るためには、まず私たち一人ひとりが使い捨ての文化から物を長く大切に使う文化へ、自分の腕でできることは自分でする、そういったことを日常生活のなかで心に留めて暮らしていくことから始まる。そうすれば、日本の将来はそれほど暗くはないと私は信じている。