民主党は選挙のマニフェストに、沖縄の米軍基地問題について「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」としてきた。この公約には、沖縄だけでなく、多くの人が期待を寄せたことと思う。しかしここにきて、普天間基地の県内移設など、公約と異なる動きがみられている。
日本に訪れた素晴らしい好機
日本の政治家がアメリカの言いなりになる姿を目にするにつけ、アメリカ国籍を棄て、日本国籍を取得した者としてやりきれない気持ちになる。敗戦による占領が終わり50年以上経つのに、いまだに宗主国の指示のもとでしか動けない日本のリーダーたちの姿は、同じようにイギリスから支配をうけたインドのようだ。
日本の場合は公用語が英語にこそならなかったが、イギリスがインドで行なったような政策をアメリカは戦後日本に対してとってきた。イギリスはインドに英語を導入し、それまでの伝統的な教育制度をすべてイギリス式に変えた。教育こそが人を作る、すなわち国にとって重要であるということを十分理解していたからである。このことはノーベル賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センが著書「議論好きなインド人」の中で、19世紀、イギリスのマコーリー卿が議会に対して植民地統治を成功させるためにまずインドの教育制度を棄てさせ、外見はインド人だが中身はイギリス人を作ることを提案したことについて書いている。
アメリカが日本に対してとった政策も、『アメリカの鏡・日本』という本に詳しい。これはマッカーサーが占領中の日本で翻訳出版を禁じた書で、GHQ労働関係諮問委員会のメンバーとして来日したヘレン・ミアーズが1948年に書いたものだ。ここには近代以前の日本の神道は自然と祖先に対する信仰であり、習俗であり、軍事的なもの、国家的なものの対極にあったこと、日本の外交は徹底して平和主義だったこと、それに対してヨーロッパ諸国がいかに拡張主義であったかなどが書かれている。
秀吉が朝鮮出兵に失敗した頃、スペインはペルーとメキシコを征服し、フィリピンに地歩を固め、ポルトガルは世界を駆け巡り、ジャワ諸島、インド、マレーの沿岸地帯、マカオ、中国沿岸部に及ぶ広大な帝国を築き、イギリス、オランダはスペイン、ポルトガルと競いながら、徐々にポルトガル領の大部分とスペイン領の一部を収めていた。日本のサムライ階級が茶の湯に親しみ、花を活け、隠遁的芸事に勤しんでいるとき、ヨーロッパ人は貿易、征服、戦争、植民地化といった本当の意味の帝国の建設を目指して東西南北に広がっていたのである。
そんな日本を変えたのは、戦後、その精神の根底にあった 古神道、仏教、儒教、武士道 などを一掃させる教育制度だったことはいうまでもないだろう。アメリカは、インドと同じく外見は日本人だが中身をアメリカ人を作り変えることにみごとに成功した。
そう考えると、宗主国アメリカの没落は日本に訪れた素晴らしいチャンスのときである。失われた10年、20年を嘆くのではなく、それ以前の(もちろん明治時代の国家神道以前の)、日本の素晴らしい伝統文化、価値観を取り戻すのにこれほどふさわしい時はない。