No.918 会社は株主のものではない

先日、長野県のある食品メーカーの経営者の方と経営について話をする機会があった。

会社は株主のものではない

5年ほど前、私は『会社は株主のものではない』(洋泉社)という本を共著で出版した。当時は小泉政権が、郵政民営化をはじめ、次々と規制緩和、構造改革を進め、村上ファンドやホリエモンといった人々だけでなく、多くのエコノミストやメディアもこぞって株主主権、成果主義、そして敵対的買収といったアメリカ型資本主義を賛美していた時だった。そのため私の主張に対して批判的なコメントを多くいただいた。

あれから日本の経済や社会は、非正規雇用や貧富の格差拡大といった問題が露呈するようになり、長野で私と同じような考えを持たれる経営者の方のお話をうかがった時、日本が直面している問題の原因の一端が株主主権論にあったことを改めて感じたのだ。

会社を資金面、資本面で支援する株主が不要だと言うつもりはない。しかし、企業経営者の第一の使命と責任は、社員とその家族を幸せにすることである。社員なくして企業は成り立たない。さらに取引先や顧客を大切にし、お取引いただいたことに満足していただくことも企業が存続していく上で欠かせないことである。そしてこれらを確実に行っていけば、自然と株主、出資者に対して株主配当という形で見返りがいくのである。この順番を逆にしてはならない。

それにしても、なぜ日本人はアメリカの後を追い、悪い方向へ進んでしまったのだろう。もちろんアメリカからの圧力はあっただろうが、それよりも、日本人自身が何かを取り入れる時にしっかりと検証せずにただ流されているのではないか。日本人は昔から、海外の文化を採用する習慣があったからだという人がいるが、かつては根本にある精神を見失うことはなかった。

その精神とは、他者の幸福を願う利他の精神、つまり聖徳太子の時代からの「和」の価値観である。
それを捨て、代わりにグローバル・スタンダードとよぶ「アメリカン・スタンダード」を取り入れた結果、企業の目的、それどころか人間の生きる目的そのものがお金への欲望となってしまったのだと思う。

長野県の経営者が語った経営戦略の柱とは、二宮尊徳の次の言葉だった。「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」。まさにそれは、私利私欲に走るのではなく社会に貢献していればいずれ自らに還元されるという考えであり、四半期ごとの成果を追い求めるアメリカ型経営とは対照的だ。

日本の会社の99%以上、雇用の7割は中小企業である。つまり日本経済を支えているのは大企業ではなく、私が経営する会社や、長野県の食品メーカーのような中小企業なのだ。われわれには日本経団連のように政府を買収する資金も、消費税を値上げを煽るような発言力もない。できることは社員やその家族の幸福を考え、会社を永続させることだけだ。しかし小さいながらも、日本の99%の会社が正しい方向に向かえば大きな力になるという希望を、私は見た気がする。