No.950 「成長」阻む外的要因

さる2月、イランの首都テヘランで大規模な反政府デモが行われた。チュニジアやエジプトでの政変後、政権に対する国民の不満はイランにも飛び火し、またカダフィ大佐による独裁体制が40年以上にわたり続くリビアでも反政権デモで多数の死者が出ている。

「成長」阻む外的要因

中東や北アフリカで起きているこれらの動きは、日本で暮らす我々がテレビや新聞の報道で知る限りにおいては、例えばオーストラリアでサイクロンがおきたとか、北半球では冬の嵐が続いている、というのと同じように遠くの出来事のように感じるかもしれない。第三世界では政治的な混乱が起こるのは当たり前だし、近年においては異常気象は日常茶飯事だからだ。

このようにニュースを捉えることが習慣になっている私たちは、それらに慣れきってしまい、その本質を見過ごす傾向にある。しかし出来事を組み合わせていくと、そこに問題が浮き上がってくるのがわかる。それは世界で貧困がはびこり、人々にいき渡る十分な食料が不足していることから国民の怒りが爆発した、ということだ。それが様々な国の政府を転覆の危機においやった。サイクロンや干ばつといった自然災害も、食料である世界の穀物生産をさらに不安定にし、ひいては益々多くの国で飢餓が広がるということだ。

こういった見方は私が悲観論者だからではなく、専門家もそれを認めている。保険業界は世界各地で発生している大規模な気象災害による経済損失や保険損害が急増していることを明らかにし、例えば損失としては、昨年パキスタンで発生した大洪水だけで150億ドルにも及ぶという。保険損害はヨーロッパで発生した暴風雨、アメリカで発生した雹による被害などを合わせると数百億ドルを超す膨大な金額になる。世界経済全体のアウトプットの多くが、気象災害を修復する費用にかかってしまうなら、残りの経済はどうなってしまうか考えてみるとよいだろう。

グローバリズムや自由経済に警鐘をならし、アメリカや日本のような先進工業国の国民がこれからも今のような生活水準を維持していくことはできないという私の考えは「悲観論」だと一蹴する前に、異常気象をもたらす温暖化とその原因である二酸化炭素の増加について、有限である天然資源を使い続け、さらに増える廃棄物の捨て場所を探さなければならない現代の生活様式について、再考してみてほしい。

よく言われる「持続可能な成長」という言葉は矛盾をはらんでいる。どのようなシステムであれ、「成長」が持続することはない。あらゆる生き物はある時点に達すると内部的要因から成長が止まるか、または外的な理由から必ず限界に達する。それはすべてのバブルが、ITであっても不動産であっても、いつかはじけるのと同じである。

チュニジアを発火点に中東全域に飛び火したうねりも、先進諸国が目指す「持続可能な成長」を阻む一つの外的要因だ。それは石油無しには成り立たない先進諸国が押し付けた地政学への抵抗でもある。