No.954 なぜ原子力なのか

地方統一選挙が終わるのを待っていたかのように、政府は東京電力福島第1原子力発電所の事故のレベルを、原発事故として最悪の「レベル7」に引き上げた。これまでに放出された放射性物質の量が最大で1時間あたり最大1万テラベクレル(1テラは1兆)だったというのである。

なぜ原子力なのか

原子力事故においてレベル7というのは単なる事故の大きさではない。放射線や放射性物質が人体や環境に及ぼす影響が「重大な事態」ということであり、多くの被爆者を出したということなのだ。今回の政府発表で驚きなのは、結局最初からレベル7の大惨事が発生していたにもかかわらず「安全だ」「健康に問題はない」と言い続け、国際原子力機関が勧告を出しても、飯館村の住民を避難させず隠蔽(いんぺい)と被害の過小評価をしてきたことである。3月11日から1週間の放射性物質の降下量データを隠し、放射能物質の飛散予測を行うSPDEEIのデータはいまだにリアルタイムで公開していない。すべての情報を公開し、汚染された食品や水の基準を厳格にしなければ、健康被害は今後さらに広がることになるだろう。

原子力保安院の西山審議官はチェルノブイリ事故で放出された放射性物資の10分の1しか出ていないと言っている。しかしこれまでの政府の過小評価を考えると、これも数週間後には訂正がなされることはほぼ間違いない。チェルノブイリは一つの原子炉の爆発により放射性物質が大量に噴出したが、 福島原発では破損した核燃料から放射能物質が吹き出しているのであり、この放出が今後いつまで続くか全くわかっていない。そして福島には、使用済みのものもあわせるとチェルノブイリの10倍もの核燃料が残っているというのである。

ウランを核分裂させて発電をおこなう原子力の利用を日本が決めたのは敗戦からわずか15年後のことだった。広島と長崎に核兵器を落とされ、20万人以上の死傷者を出した日本がなぜその危険性を知りつつ核エネルギーに走ったのか、私にはわからない。石油が禁輸されたことから第2次大戦に参戦した日本がエネルギー保障への強い要求があったことは間違いないが、それでも地震の多発する狭い国土に原子力発電所を置くということはあまりにも大きなリスクを伴う。地震国日本には、その地震のもとでもある地熱資源がたくさんある。地熱発電は再生可能な資源であり、原子力のように危険な核廃棄物を何十年間も保管し続けなければならないという問題もない。

なぜ「電気を作るため」に「核エネルギー」でなければならないのか。命を犠牲にし、海や大地を放射能で汚染してまでなぜ原子力という核を日本国内に維持したいのか。政府はその理由をはっきりと国民が理解できるようなかたちで説明をする必要がある。