No.958 むやみな崇拝の危うさ

10年ほど前、「IT革命」ということが盛んに言われた時期がある。eビジネスや電子政府など、コンピュータと電話回線がつながることで革命的なことが実現されるという予測と、おそらくはそれによって経済が活性化され景気が浮揚することへの期待からであったろう。ITは単なる生産性向上のツールの一つにすぎず、よって日本経済活況の起動力となることもなくIT「バブル」は最期を迎えた。

むやみな崇拝の危うさ

今再び、今度はインターネットが革命的な力を持ち、民主主義の力を高めて独裁政権を倒す原動力となるという声がある。これはツイッターやフェイスブックといったネットメディアを使って国民がデモを動員し、23年続いたチュニジアの独裁政権を倒したことなどから言われ始めた。

あとになってからしかわからないが、これも革命と呼ぶほどのものにはならないと私は思う。なぜならネットメディアはたとえリアルタイムであっても電話やファクスのような情報配信ネットワークの一つにすぎず、また、国民だけではなく独裁政権側もインターネットを武器として使用することができるからだ。

スタンフォード大学のユーゲニー・モロゾフ客員教授が、これについて「ネットの幻想」という本を著している。そこにはイランやチュニジアでは、抗議デモのあと、政府が同じくネットメディアを活用してデモに参加した市民を捕まえたことが述べられている。いかなる媒体でも、一方に都合の良いことだけに使われることはないということだ。

インターネットが民主化活動にいかに利点があるかを強調する時、このような技術が同時に言論の自由を妨害したり、民主主義の敵となりうるかについても考えることは重要である。モロゾフ教授が書いているように、これまでは拷問という手段で共謀者を探していた警察は、フェイスブックをたどることでそれが可能となったからだ。私自身、当初はインターネットの普及は良いことで、なぜなら情報が増えれば政府が世論をコントロールすることはより困難になると思っていた。しかしその力を過信してはならない。

たとえば顔写真の画像データを照合することで個人を識別する顔識別技術がもっと進化して、ネットワーク上であなたの友人のオンライン写真を自動的にタグ付けができたら便利かもしれない。しかしその同じ技術を秘密警察が使うことで、たとえば政策に反対するデモ集会に参加すれば、写真をもとに反政府活動家とみなされ、追跡されることもありうるだろう。

マルクスは資本主義経済批判をするなかで、経済を円滑にする手段である貨幣を、それ自体が固有の力を持つものとして崇拝することをフェティシズムとして論じた。これはインターネットやコンピュータ、さらには原子力技術についても同じことがいえる。もともと人間の労働の生産物である貨幣や商品や技術が人々に害を与えるようになっても、まだそれを神のごとく扱い崇拝し続けると、その未来はきわめて危険なものになるということだ。