6月5日に青森県で行われた知事選で現職の知事が当選した。福島の原発事故にもかかわらず、青森県民が選んだのは原子力推進を目指す人物だった。青森県で唯一原子炉がある人口8,000人の東通村には新しい原子炉も建設中である。また青森県には日本で唯一の核燃料再処理施設もある。
それでも原発に頼るわけ
4月末の統一地方選挙でも原発のある各地方自治体では、ほぼ全ての選挙区で原発推進派が当選した。福島の原発が大事故を起こし、すでに3ヶ月以上たつ。大気中にはヨウ素やセシウムが数十万テラベクレルと想像を絶する量が放出され、海にも数千テラベクテル(政府が測定をしているかどうかも不明)の汚染水が流され、収拾の目処も対策もたっていない。作業にあたる人々は被曝し続け、5月12日にメルトダウン、さらにはメルトスルーという究極的な状況にあるとの発表。実際はもっと悪かったと後になって言い出す政府のことだから、ここまでくると水蒸気爆発のリスクなどがあるのではと勘ぐらずにはいられない。
これほどの状況でもなぜ原発推進派が多数を占めているのか疑問に思っていたが、それを理解するために先月ニューヨークタイムズ紙に掲載された「原発依存症を助長する日本文化」という記事が参考になった。
安全といわれ、しかし事故が起きれば命も生活も脅かされる原子力発電所が狭い日本に、それも過疎の村に数多く出来た理由は、原発を受け入れる自治体に巨額の「電源3法交付金」と呼ばれる補助金がいくからだという。
約40年前、島根に初めて原発誘致が提案された時、数世代にわたり育んできた漁場を守るために漁民たちは激しい反対運動をした。しかし20年後、3つ目の原子炉建設という時には、漁民たちは賛成派にまわったという。なぜなら原発と引き換えに地元には政府からの手厚い交付金や仕事がいくからだ。
福島も同じだ。双葉町は70年代に手にした交付金を使い果たし、2005年には財政破綻寸前の状況にあった。その解決策は、双葉町にさらに原発2基の建設を受け入れ、新たな交付金を受け取ることだった。原発推進派知事が選ばれるシステム、これは過疎の町を原発に依存させる経済、社会を意図的に作り上げる、まさに弱者を切り捨て、搾取するシステムにほかならない。そして、短期的には利益を手にしたとしても、長期的には、貧しい町も富める者も決して幸福になれないシステムなのだ。
今、政府は福島の事故の膨大な賠償もしないで逃げようとしているのに、原発は作り続けていくつもりらしい。原発から排出される高レベル放射性廃棄物の管理には気の遠くなる年月が必要である。原発は廃止し、交付金は安全な再生可能エネルギーにシフトするよう求めるとともに、国民は省エネにたちかえる。そしてわたし自身もふくめて無関心であったことを猛烈に反省すべきだ。ここまで悲惨な原発事故が起きたいま、国家の行く末を考えることは、我々の生命を考えることでもある。