No.965 今こそ悪夢から目覚めるとき

先月末から日本列島は真夏日となり猛暑が続いている。7月1日、日本政府は電力使用制限令を発動し、東京電力と東北電力の管内にある工場などの大口電力需要家は、昨年比15%の節電が義務付けられた。この制限令は第1次オイルショック以来だといい、我が社でも、照明や電気機器、空調の設定温度、またはコピー機の利用に至るまで社員に節電を徹底するようにしている。

今こそ悪夢から目覚めるとき

原発事故が起きて以来、原発がなくても電気は足りるという話を聞く。それは、水力と火力と揚水発電、加えて自家発電で、十分電力ピーク時も乗り切れるし、ピーク時対策としては産業用の電力料金を値上げすればよい、というものである。しかし、もし本当にこれで電気が足りるとしても、その状態が永遠には続かない。

石油生産はすでにピークを迎えた。2005年あたりから生産量は年間約6%の割合で減少している。同じく天然ガスの生産も10年後くらいにはピークとなり、「原発がなくても電気は足りる」という考え方では、今の生き方を大きく転換しないかぎり、いつか破局を迎えることになる。

原発事故が起きてから、素人ながらさまざまな代替エネルギーについて調べてきた。家庭菜園もそうだが、人に何かを勧めるにはまず自分が調べ、実践してからでなければ意味がない。その結果、期待されている風力や波力は再生可能なエネルギーではなく、結局は太陽光だけが人類にとって唯一の再生可能なエネルギー源だと思うようになった。

さらに、エネルギー問題はその消費量を劇的に減らさない限り、解決することはできない。日本では1990年から約15年間に、人口も経済も伸びていないのに電気消費量は30%近くも増加した。活動に必要なエネルギー量は活動速度の二乗に比例するのだから、速度を半分にすればエネルギー量は75%削減することができる。減らすことも不可能ではない。

太陽光や風の通しのよい住まいにし、カーテンではなく雨戸を使った昔のような家の作りにする。太陽を使って水を温めたり、料理を作ったりと、個人でもさまざまな方法が考えられる。もちろんメインは政府が主導だ。エネルギーの無駄を省くために、電気代を値上げし、ごみの収集を有料にすることでリサイクルを奨励し、売る側も消費者もごみを出さない社会にする。または、トラックを含めて自動車は都心に乗り入れできないようにする。都内なら山手線内側とか大阪なら環状線内を対象とし、その代わりに路面電車やバス、人力車を増やす。公共の自転車を用意し、人々が利用できるようにする。政府がこれらを採用し、そんな社会になったらと考えると、私はわくわくする。

金権主義になり、利益を追い求める企業のいいなりで国民の安全や幸福をないがしろにする政策をやめ、不便だがゆったりした、自然の流れに調和した社会。問題は、そんな社会を望みながらも、多くの国民が実際には便利さや速さを捨てきれるかどうかだろう。そう考えると、現状をもたらしたのは国民一人ひとりの選択にあった、といえるかもしれない。しかし残された時間は少ない。エネルギーを消費する「便利」の悪夢から目覚める時はきている。