No.966 来るべき社会に備えよう

いまから3年前、私は社員に向けて、安くて豊富な化石燃料はいずれ減耗し、それによって支えられている経済活動が滞ることで世界経済が大きく縮小する日が来る、そうなれば給料も減少するので、そのために今から消費中毒から抜け出し、健康や幸福のために必要なだけの製品やサービスを購入したり利用する生活に変えていくように、というメッセージを送った。

来るべき社会に備えよう

社長とはいえ、社員が給料をどう使おうと文句は言えない。しかし世界の動きを自分なりに調べ、化石燃料に支えられた工業社会が終焉に向かうことを確信した者として、また人生の先を行く者として、どうしてもそれを社員に伝えたかった。

豊かな社会からモノが不足する社会に移っていく。一つの文明が永遠に続かないことは歴史を振り返れば明らかで、変化に対して準備を始めることは決して無駄ではないはずだ。それが数年後なのか、もっと先になるのかわからないが、自分のためだけでなく子供や孫の世代のために、われわれはその準備をする時にある。

福島の原発事故が起き、日本は真剣にエネルギー問題について考えなければならない事態に直面した。安全だとしつつも、原発で一度事故が起きれば人々は被ばくの危険にさらされ、放射能に汚染された土地は無人地域にしなければならないという、最悪の事態となる。そしてそれがいま日本で現実に起きている。

考えてみれば原子力に依存するようになったのも大量生産、大量消費と同じく、あたかも無尽蔵であるかのように電気を使い始めたからだ。原子力がなくても火力発電や代替エネルギーでまかなえる、これからは電気自動車の時代だ、という考えは、自動車を動かす電気は、結局は石炭や天然ガスを燃やして作るということ、また新たに電気自動車を造る際にかかるエネルギーコストを忘れている。電気自動車を作り、輸送して販売する場合のエコロジカル・フットプリント(環境に与える負荷)を考えたら、中古の小型自動車を買うほうがずっと負荷は少ない。車だけでなく、これからは新品の製品を追い求める消費社会から、リサイクルや中古品を修理して使う循環型社会にしていかなければいけない。

私は自家用車はないが中古の自転車を持っている。意識して中古を買ったわけではなく、リヤカーを引っ張るために頑丈な鉄の自転車を探したら中古自転車しかなかった。だがこれからは新たな製造にかかるエネルギーコストや廃棄に必要なエネルギーを考え、何か必要なものがあればなるべく中古品を買おうと思っている。

石油文明の頂点で暮らしてきたわれわれは、ぴかぴかの新品の製品がいいと信じてきた。それはエゴやプライドをくすぐるすてきなステータスシンボルでもある。父母や祖父母の時代に、新しい工業製品は少なかった。ほとんどが手作りか、または中古の製品を修理して使うことは当たり前だった。そんな社会をわれわれが目指せば、消費エネルギーや電力も格段に少なくてすむ。

H・D・ソローとまではいかなくとも、いまの工業社会にしがみつくのをやめ、自らすすんでシンプルな生き方を人より先に始めれば、本当に欠乏の社会が到来してもそれほどパニックになることはないだろう。