これまで、私は日本が直面するさまざまな問題の解決策のヒントは日本の歴史にあると思っていた。具体的には、解決策は、江戸時代や高度成長期の日本人の生き方や、当時の制度に戻すことだと考えていたのである。
しかし最近になって、制度を変えても無駄ではないかと思い始めた。もちろん規則を変えること、それ自体もきわめて難しい。しかし問題の根本は、人間の心のあり方が、倫理や道徳教育がなくなったために、過去と現在で大きく変わったことにある。高い精神性が失われたことが、日本が国民の幸福度の低い国になった大きな理由だと思う。
では、もし過去のやり方に戻れないならどんな解決策があるのかとさまざまな本を読み、その中で興味をもったのがロシアの科学者であり哲学者であったクロポトキンの無政府主義の思想である。彼の提唱する無政府主義とは、中央政府に縛られない、相互扶助を中心概念に据えた政府支配のないコミュニティー社会をつくることだ。
昨今では、無政府主義、アナーキズムといえば、テロリズムと同義とされるが、それは資本主義政権が意図的に結び付けようとしているものでクロポトキンのそれとは異なる。彼は人道主義者であり、国家共産主義でも帝国主義者でもなかった。彼がアナーキズムを提唱したのは、自然科学者として自然を観察し、共同体の中で互いに協力しあうことが、生産と消費を最も効率的に行う方法だと考えたからである。
彼の言う無政府主義とは、社会のヒエラルキー(ピラミッド型の階層的組織構造)を排除することだ。鳥や蜂、その他の集団行動をとる動物はヒエラルキーなしに共同作業を行う。ではなぜ人間だけがヒエラルキーを形成しなければならないのだろう。
この地球上で人間が他の生き物より抜きんでて成功したのは、コミュニケーション能力や協調性、自発的に行動したり一緒に何かを作り上げることができるからだ。しかしその一方で人間社会に大きな格差や不平等が生じたのは、ヒエラルキーによる権力者と非権力者、階級差別の容認、盲目的に命令や規則に従わせる、等々の理由による。
生き物は渡り鳥が移動する時など、何か目的のために群れをなす。ある行動をする場合にも餌を食べる順番などがあったりするが、そこに特権階級や命令系統はない。女王蜂に権力があるのではなく産卵という理由があるだけだ。生物の社会では権力や地位を理由に他者を服従させることはない。クロポトキンはまた、「現在の生物は生存競争の勝者である」というダーウィンの進化論を誤用しており、そのために人間社会では経済や市場原理で「弱肉強食」があたかも当然のように受け入れられているのだという。このようにクロポトキンは例を挙げて動物社会では同じ種族内では決して競争がなかったことを指摘する。動物に生存競争はあってもそれは干ばつや洪水、寒波や病気が相手であって、仲間同士は常に協調しあってきたのである。
あらゆる生物が政府がなくても自発的に互いに協力し、きちんと組織されてるなら、人間だけが例外であるはずはない。特に、今の日本政府を見るにつけ、クロポトキンの思想を再考すべきだと強く思うのだ。