No. 1028 消費者の選択の自由

イギリスのハンバーガーチェーンで牛肉に馬肉が混入されていたという報道があった。次いでイギリスとアイルランドのスーパーマーケットで販売されていた冷凍食品にも牛肉だけのはずが、半分以上が馬の肉だったことが発覚して問題になっている。

イギリスでは馬の肉を食べる習慣がないが、問題は馬の肉を食べることではなく、馬を牛と偽って提供していたことだ。消費者には選択の自由があり、そのためにも内容の明示を要求することは当然の権利である。

食品偽装では、原材料だけでなく産地を偽ることが日本でもよく起きるが、発覚すれば業務停止、悪質であれば詐欺罪が科せられ、企業の存続も危うくな。このような事件が明らかになるたびに企業は慎重になり、利益のためとはいえ危険を冒してまで消費者を欺こうとは思わないだろう。

この事件で、先日読んだベン・ゴールドエイカー著「Bad Pharma」という本を思い出した。医師でサイエンスライターである著者によれば、製薬会社は新薬を開発する過程で都合の悪いことを公開しないことがあるという。もちろん製薬会社が行う全ての治験結果を公表させることが不可能に近いことは想像に難くない。しかしそれによって医師や患者は誤った知識を与えられ、その薬によって人命に関わる事態が生じることがあるという。

新薬が次々と市場に出されるのは製薬会社の利益のためだけではない。新しい治療薬を求める患者からの切実な願いでもあるのだ。しかし、新薬を開発する過程で行う臨床試験の結果を公表しないでよいといった業界に都合のよいシステムになっているがゆえに、医師そして実際に薬を投与される患者は、製薬会社の公開する一部の情報だけを信じるしかない状況にあるとゴールドエイカーは主張する。公表されている治験結果を調べたところ、製薬会社がスポンサーとなっている治験では、製薬会社が製造している薬が圧倒的に効果があるという結果になっていたというのである。

あらゆる産業分野でさまざまな実験が行われているため、規制をつくって製薬会社にだけ全ての治験を公開するよう義務づけることは不可能かもしれない。しかしエビデンス(科学的根拠)に基づく西洋医学において、治験で実証された薬の副作用やネガティブな結果を隠したら、医師は患者のためにどうやって薬を選ぶことができよう。

治験結果による副作用などのエビデンスを一部隠して薬を販売することと、中身を偽って食品を販売することは意味合いが違う。だから一方は合法で一方は違法なのだが、それが人体に与える影響はどちらともいえない。昔から、食べ物は薬と言われてきた。そして過去に起きたさまざまな薬害事件を思い出せば、薬と毒は表裏一体だということに気がつく。毒と薬の両方が必要なら、せめてその中身を知り、選ぶ権利を持ちたいと思う。