No.1040 非暴力の抗議活動に

2011年9月にアメリカのニューヨークで始まった「ウォール街を占拠せよ」抗議活動は、もはや過去のものとなった。

経済格差に不満を持った若者たちが抗議デモ活動を始め、全米そして世界に広がっていると報じられた時期もあったが、活動の拠点となったズコッティ公園を警察が強制退去し、テントや参加者たちの物品も没収された。抵抗した人々は逮捕され、活動は徐々に小規模化していった。

99%が1%の富裕層と対決するとして始まった非暴力による抗議活動は、当初からリーダーシップや明確な目的の欠如、そして組織力の弱さなど指摘され、それらが失敗に終わった理由とも言われている。しかしそれでも、活動が終息した最大の理由は警察による大量逮捕であろう。始まって最初の2週間目にブルックリン橋を行進するデモの群れに対して、ニューヨーク市警は実に700人を逮捕した。逮捕されると、二度としないという条件で人々は釈放されたが、もう一度デモに参加したら刑務所行きだと言われれば、職も失いかねないリスクを冒す人は多くないだろう。

さらに、非暴力の「ウォール街を占拠せよ」抗議活動に対する警察の暴力的弾圧も強まっていった。警察隊によって、武器を持たないデモの参加者が重傷を負わされたり、ただ座りこみをしているだけの大学生たちに対して催涙スプレーを吹きかけるという事件も起きた。アメリカ政府がなぜそれほど重厚な警戒態勢を敷いたのかといえば、その過剰反応こそがウォール街を占拠せよという運動に対する恐れの表れであったと思う。権力者たちはこの草の根的で力強い国民の意思表示を無視し続けることで、それがさらに醸成されるのは危険だと考えたのだ。

日本のマスメディアもこの抗議デモについて詳しく報じることは少なかったようだが、アメリカでは、とくに公園を退去させた時も警察は過剰で暴力的な力を乱用し、報道規制を敷いてその様子が報じられないようにした。そして警察だけでなくFBIと国土安全保障省も協力して、ウォール街占拠活動が拡大しないよう制圧したのである。

この抗議運動は、ウォール街も格差社会も目に見える形で変えることはできなかった。チェンジを託して大統領に選んだオバマが約束をほごにしたどころか、ブッシュ政権と変わらないと気づいたときに始まったのがこのウォール街を占拠せよという草の根運動だったが、その参加者はどうやったらアメリカを変えられるのか分からなかったのだ。

日本の草の根運動といえば、2年前から始まった脱原発をめざす集会デモである。しかし安倍総理は、原発事故以降、国内需要が低迷する中で海外市場を目指すプラントメーカーのために原発輸出のトップセールスマンとして訪欧した。原発安全神話が崩壊した今、次は放射能安全神話を世界に広めようというのかもしれないが、脱原発を願う国民の運動がアメリカのように警察の力で制圧されることがないようわれわれは見守っていかなければいけない。