No. 1065 失業犠牲の若年層

国際労働機関(ILO)が先月発表した2014年版の世界雇用情勢報告によれば、13年の若者の失業率は世界全体で13.1%、前年に比べ0.2ポイント上昇したという。ちなみに全世代の失業率は6.0%と横ばいであった。

日本の場合、失業率は4%だが、若年層に限定すると7.3%となっている。さらに現実的な失業率の水準はこれよりもはるかに高くなると思われる。なぜならILOの基準では、仕事がなければ求職活動をしていなくても失業者とみなされるが、日本ではアメリカの統計の取り方と同じく、求職活動をしている場合のみを失業者としてカウントし、仕事を探していない場合は非労働力人口に含まれるからだ。

アメリカ政府が定義する「就業者」とは、16歳以上で、勤労所得または自営所得を有し、月末1週間に1時間以上働いた人を指す。同様に日本でも、1週間のうち1日でも働いて賃金を得た者や家事手伝いを行っている者は「就業者」とみなされる。そして、仕事が見つからず求職意欲を失ったりあきらめた者は失業者ではなくなるのだ。しかし、1週間のうちわずか数時間働いて、家族はおろか自分の生活を支えることなどできるはずはない。もし日本政府がそのような人々を失業者に含めれば、日本の失業率は今の倍以上になることは間違いない。

昨年暮れ、政府は特定秘密保護法案を可決・成立させる一方で、「国家戦略特区法」という法律も成立させた。この国家戦略特区はアベノミクスの第3の矢で、民間投資を喚起する成長戦略の一つである。しかしその実体は徹底的な規制緩和を行うというものだ。

例えば企業が自由に従業員を解雇できれば、企業にとって都合はよいが、そこで働く労働者は安心して暮らせるだろうか。収入があってもいつ解雇になるかわからない状況では、消費を控え、貯蓄に励むだろう。それにより国内消費が経済をけん引する日本では、結局は景気停滞がもたらされる。またこうした政策により、統計の上で失業率が減少しても、勤労者の生活水準が上がることは決してないのである。

日本の失業率は長い間低水準で、1980年代に日本の経営手法が世界で注目されたのもそれが理由の一つであった。失業率が上昇し始めたのは、規制緩和を進めた橋本政権、そして小泉政権の構造改革以降で、日本はアメリカ型社会へと変貌を遂げ、長期継続雇用が前提であった日本社会は過去のものとなった。

私が初めて来日した昭和の時代、日本は貧富の差が世界で最も少ない国だった。昭和の時代の全てがよかったわけではないが、当時、企業の成長はそこで働く労働者の生活の向上や安定を意味した。そこには「共存共栄」の精神があり、新しく労働者となる若者たちには未来への希望があった。

力の強い大企業が自由に利益を追求できるように規制を取り払うことで、弱い個、特に若年層が失業の犠牲になる。それがアベノミクス第3の矢だ。