No. 1072 里山資本主義

数人の知人から、『里山資本主義』というベストセラーだという本を薦められた。金融危機から始まり、世界のあちこちの国で経済がおかしくなっている中で、相変わらず安倍政権や財界は「経済成長」を掲げている。その一方で日本でも、物質的な発展を遂げることが必ずしも人々の幸福と結びつくわけではないと考え、行動に移し始めている人々がいる。

私に本を薦めた人は、家庭菜園や廃品利用をする私を見て、「個人レベルでの自給自足には多大な労力がかかり限界があるが、それを地域コミュニティーで行えば、雇用の創出や、石油価格などのグローバル・マネー経済の影響を受けないというメリットを享受できるだろう」と言う。

私の生活もまだ自給自足には程遠いが、この道は奥が深く、自分でやればやるほど「ごみ」として廃棄されるものが役に立つものだということを知る。畑の土を良くするために、近所の数軒のそば屋さんから割り箸を、建設会社から廃棄される木くずをもらい受け、燃やしてバイオ炭と呼ばれるものを作っている。

日本では古来、もみ殻などを炭化させて土壌改良に使ってきたというが、お金を払って捨てるものがこうして役に立つ上に、木炭には二酸化炭素を吸い込んでくれる効果がある。他にも豆腐屋さんへおからを、うなぎ屋さんにはウナギの骨をもらいに行く。近所のお寺からは毎年紅葉の落ち葉をたくさんもらう。これらは全てごみではなく、私の畑を肥沃(ひよく)にしてくれる。

里山資本主義という言葉は、お金さえあれば何でも買えるという今のマネー資本主義に対し、自然と共存しながら里山で暮らし、お金を払って誰かにやってもらうのではなく自分が動いて食料や燃料をまかなっていく生き方だ。この本は、それが日本が描く未来像ではないかと問いかけているのだろう。そして私自身は、日本の未来はそれしかないと思っている。

これは日本人にとっては大きな方向転換ではない。もちろんスピードや利便性を追求した大量生産、大量消費社会からは大変化となるが、限られた資源を最大限に生かして経済を維持し、循環型社会の中で文化を発展させるという点で江戸時代というモデルがある。約250年間、日本は外国から侵攻されることもなく、鎖国の中で独自の経済や文化が発展した。総人口も3千万人ぐらいでほとんど変わらなかったらしい。国内で全てをまかなうには人口が増えては不可能だっただろう。そして化石燃料も使わず、素晴らしい文化を作り上げていった。

ごみ問題など存在せず、あらゆるものが貴重な資源として再利用された。人間の排せつ物は重要な肥料だったし、まきなどを燃やして出た灰を買い集め、それを肥料として農村に売る商売もあったという。また森林伐採の影響を認識し、慎重に植林を行って林を再生していたという。鎖国していた日本は、他国を侵略して資源を略奪するかわりに腰をすえたエネルギー政策をとっていたのだ。

マネー資本主義から里山資本主義へ行くなら、まず日本の歴史を振り返ることだ。そして終わりなき経済成長を求めるのをやめ、どうすれば人々が幸せで安定した生活を送ることができるかを考え、それを実現する政治を国民は求めるべきだろう。