私がブータンという国のことを知ったのは今から10年以上前になる。ブータンは1971年まで鎖国状態にあり、主要産業は農業と牧畜業で、国民は民族衣装を身にまとい、鎖国をやめた後も国民が純粋な精神を維持することを国王は優先した。そのために国民総生産(GNP)ではなく、国民総幸福(グロス・ナショナル・ハピネス=GNH)、すなわち物質的な富や物やサービスを増やすのではなく、国民の幸福を最大限に導くことをブータン国王は国家の目標に掲げたのである。
同じようなことを日本ができるかと言えば、小国で発展途上国レベルのブーダンだからできるのであって、幸福を最大にするとか教育と医療を無料にといった社会福祉の整備など日本では無理だという声がある。しかし国の規模やレベルに違いがあっても、ブータンが国民の幸福度を測るために挙げる指標こそ、今の日本に切実に求められるものではないだろうか。
ブータンが年に2回行っているという幸福度を測る調査では、健康、心理的な幸福感、教育、統治が良いかどうか、社会支援、コミュニティーの活力、環境、バランスの取れた時間活用、芸術や文化に接したり余暇を十分に取れているか、そして物質的に満たされているかといったことが指標となる。日本においては物質的側面を示す「経済」が唯一最も重要な指標だが、物質的豊かさはブータンでは指標の一部にすぎない。
幸福とは物質的に豊かになることであり、そのためには経済成長が必要であり、それが環境や地域社会、人々の心にどのような影響を及ぼすのか日本ではほとんど顧みられることはなく、経済のために今、日本政府はTPP参加を急いでいる。それとは対照的に、国民の幸福に寄与しないとしてブータンはWTOへの参加を拒否している。
近年、アメリカでも人々の幸福について考える草の根的な活動が始まっていることを知った。バーモント州では、「持続可能な人口を後押しするバーモント州の人々」という組織が、州にとって最適で持続可能な人口に関する報告書を発表した。環境や生活の質に影響を及ぼす15の指標に基づき、最適で持続可能な人口を算出し、食料の自給率や再生エネルギー生産量、暮らしや労働状況だけでなく、ブータンのように人々の幸福などが指標には含まれている。
国連が調査した、世界で最も幸せな人々が住む国々のランキングでは、トップはデンマークで、次いでノルウェー、スイスと続き、日本は43位だった。過去3年間のギャラップ社世界世論調査を基に、寿命や個人の自由な選択、社会的支援などの要素のスコアを合計したものだが、幸福な国に共通してみられるのは、貧富の差が比較的小さいこと、ワーク・ライフ・バランスが取れていること、社会のセーフティーネットが厚いことなどだという。
戦後、豊かさを追い求めた日本人が築いたこの社会で幸福感を感じられないとすれば、豊かさの定義をもう一度見直すべきだろう。環境破壊を伴う経済成長ではなく、日本古来の知恵や伝統に返り、自然の恩恵に感謝しながら暮らす中でそれは再発見できると私は思うのだ。