ある出来事が起きた時、一般に人々が認めている事実や背景とは別に何らかの策謀があるという意見は、しばしば「陰謀論」と呼ばれる。
例えばその一つは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件である。米政府の公式発表は、ウサマ・ビンラディン率いるアルカイダがハイジャックした旅客機を使い、ビルを標的にした自爆テロだが、これに疑いを持つ人々は、ブッシュ政権がその後行ったアフガニスタン、イラク侵略の口実を作るための政府の自作自演だったのではないかと言う。または、アルカイダ自身が中央情報局(CIA)の支援でつくられた組織であり、政府はテロ計画を知っていて見逃したか、手助けをしたという説もある。
政府発表に対する懐疑的な見解を、一般の人々が反射的に「根拠もない誇大妄想だ」と感じるよう、汚名を着せるために使われるのが「陰謀論」という言葉なのである。それを社会に浸透させたのはCIAであると、フロリダ州立大のランス・デ・ヘイブン・スミス教授は著書『アメリカの陰謀論』で記している。「陰謀論」という言葉を乱用し、世論に意図的に影響を与えるようになったのはケネディ大統領暗殺事件からだという。
米政府は、ケネディ大統領暗殺はオズワルドという犯人の単独犯だったと発表したが、事件を検証したウォーレン委員会は、上層部の政府高官が暗殺に関与したと米政府の発表に異を唱えた。これにより、政府発表を信じなくなった国民が増えたため、CIAは「陰謀論」、つまりウォーレン報告書は証拠のない臆測に過ぎないとさまざまなメディアを通して批判させたのである。こうして「陰謀論」は嘲笑の対象としてメディアで頻繁に使われるようになった。
また著書は、それ以前からも同じような動きがあったことを指摘している。第2次大戦後、米歴史学者のチャールズ・ビアード博士は『ルーズベルト大統領と第2次世界大戦』を出版し、戦争は好戦的な大統領が日本を挑発し仕掛けた謀略、つまりアメリカの侵略戦争であったと批判した。そのため米歴史学会会長であったにもかかわらず、博士は学会からも追放され、また政府批判を行った他の学者たちも同様に公職から締め出されたという。
1990年代後半にはクリントン政権で「電気通信法」が成立し、規制緩和による企業のメディア買収が進んだ。今アメリカでは、富を独占する少数の巨大企業がほとんどのメディア、つまり情報操作も独占するようになっているのである。私自身これまで陰謀論を信じてはいなかったし、今も全ての陰謀論が真実だと思っていない。しかしケネディ大統領が、ソ連、キューバとの和解やベトナム戦争終結を望んでいたため、政府内でそれを阻止したい人々によって暗殺されたという陰謀論のほうが納得がいくし、「9.11」についても『Europhysics News』という欧州の物理学誌は、ビル崩壊は政府発表の飛行機の激突や火災ではなく、計画的な解体だったと考えると発表している。
戦争中、政府の「大本営発表」をそのまま掲載した大新聞は、戦後にはテレビ局も設立してCIA主導でテレビ放送が始まっている。その歴史を考えると、陰謀論を嘲笑するマスメディアの報道も検証が必要かもしれない。