No. 1182 封建時代に入ったのか

安倍首相夫人が名誉校長に就任するはずだった国粋主義的な小学校に、国有地が不正に払い下げされたことが国会で議論されている。安倍首相は、もし自分や夫人がこれに関係していれば総理大臣も国会議員も辞めると明言した。

国有地がただ同然で民間人の手に渡るまで、政治家による口利きがなかったとは考えにくいが、官僚が政治家の意向を「忖度(そんたく)」、つまり政治家の希望を推測しお膳立てをしていたとしたら、中世の国王とそれに忠実に奉仕する家臣との主従関係にも等しい。日本という国はもはや民主主義ではなく、新たな封建制度の時代に入ってしまったかのようである。もちろん現代に公然とした農奴制はない。人々は自分で職業を選べるし、やりたいことをして生きていける。しかし生産者であり消費者である一般国民は、どんな仕事をしていても政府に税金を徴収され、生きるために食べ物を買っても消費税を課せられる点では主従関係が存在するのと同じである。

安倍首相夫人は「私人」であるという国会での答弁を政府は閣議決定したが、「外交旅券」を所有し、国民の税金で5人もの公務員が「秘書」として活動を支援している首相夫人が、どう解釈すれば私人になるのか私には理解できない。

しかし振り返れば、同じように現政権は憲法の意味をもねじ曲げてきた。同盟国であるアメリカ軍が攻撃された場合に「集団的自衛権」を行使して自衛隊が戦えるようにする安全保障関連法が昨年施行された。しかし日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使を禁じており、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定されている。つまり外国政府への武力行使は憲法違反なのだ。日本では軍隊を「自衛隊」と呼び憲法違反ではないとしてきたが、現政権はアメリカの侵略戦争に参加することを可能にする法律を成立させた。北朝鮮がミサイル実験を行った後、稲田防衛大臣は日本が先制的軍事攻撃能力を保有することを検討するとさえ言明している。

憲法とは国家のあり方を決める基盤であり、国家とはその領土に住む人々が強制力を持つ権力によって統治される社会を指す。その最も強い権力を持つ国家が、権力を使って好き勝手なことをしないよう抑制をするのが憲法なのである。

第2次世界大戦で日本の国家権力は無謀な戦争を行った。戦争は国民や相手国を苦しめ、政府に逆らう国民は弾圧された。そうしたことが起こらないよう権力を分立し、人権を保障し、外国との問題で紛争になっても慎重な手続きを経ることで戦争にならないように、立憲主義がとられたのである。

人間は生まれながら自由かつ平等で幸福を追求する権利を持つものであり、権力者がその国民に対して独裁的な行動をとらないようにという現在の憲法を、与党自民党が改正したいのは、権力者が望むことのために国民の命を使えるようにするためであると思う。権力を持つ者が反対する人々の声に耳を傾けることなく、不正に国粋主義的な学校をつくろうとしていたことと、その根っこは同じである。