No. 1353 嘘の上に築かれた国-米国はいかにして豊かになったか(パート2j)

嘘の上に築かれた国-米国はいかにして豊かになったか(パート2j)

植民地化、労働、そして奴隷制

by Larry Romanoff

2j. 奴隷制

世界近現代史の中で、何世紀にもわたり無限に供給されてきた無賃労働者のおかげで経済発展を遂げた米国ほど、一つの要因に経済発展を頼った国はない。1億人以上のアフリカの黒人と、さらに数百万人の白人のイギリス人、アイルランド人、スコットランド人、数百万人の中国人とインド人が、米国人とユダヤ人の奴隷商人によって誘拐され、奴隷にされた。この大規模な営利事業は数百年にもわたって続き、その影響は今日でも米国全土にはっきり現れている。奴隷制は金持ちが個人的に召使いを持つということではなかった。それは、土地所有者の利益を最大化するために行われた資本主義的な事業であり、米国の法律によって合法的に制定された強制労働であった。奴隷制は米国経済の中心的存在であり、長い間、米国の標準的な経済指標はGDPではなく、奴隷一人当たりの生産高のドル換算額だったのだ。米国南部は他国に準じて測定すれば、一時は世界で最も豊かな国になっていただろう。

何百年間も80%の労働者に賃金を支払わない国は、それをしていない国と比べて急速な経済発展を遂げ、計り知れないほど裕福なエリートになるだろう。今日、発展途上国が「労働者の背中の上に」経済を築いていると主張する米国人がいたら、それは大きな無知を示すだけでなく忌まわしい偽善でもある。文字通り奴隷や貧しい人々の背中の上に経済的優位性を築いてきたのは米国人なのである。

奴隷制の歴史は道徳的な問題として巧みに書き換えられてきたが、それは道徳的なものではなく主に経済的なものだった。米国の政治家、エリート、銀行家の個人的な財産に対する奴隷制の経済的な貢献度は計り知れず、米国全体の経済的な上昇にも貢献している。大西洋の奴隷貿易で得られた利益は、米国の産業資本主義の台頭と帝国主義という米国人の世界的な搾取システムに直結していた。大西洋の両側で産業革命をもたらしたのは、主に奴隷貿易による莫大な利益であった。いたるところで行われた奴隷制は米国の経済発展に不可欠だっただけでなく、西欧型資本主義の理念と構造、そしてそのシステムが内在する暴力性を示す唯一の重要な指標であった。複数の著者が奴隷制は数百年にわたって米国経済を支えただけでなく米国の「経済と政治のあらゆる重要な側面を形成した」と指摘している。エドワード・バプティストは、私が「フォトショップ史家」と呼んでいる人たちは米国の偉大な経済成長を「起業家、創造性、発明」の観点から描いているが、苦い真実は、ほとんどすべてが奴隷制、残忍な植民地化、弱い民族に対する組織的暴力の広範な分布から生じたものであり、自由と機会の追求ではなく、金と利益の追求であったとして以下のように述べている。

現在のカリブの原住民による訴訟では{79}{80} {81}、英国だけでも奴隷貿易によって4〜5兆英ポンドの利益を得たと主張しているが、米国の利益はそれよりもはるかに大きかっただろう。今回の訴訟は象徴的なものであり、責任者たちは、道徳的、論理的な理由から、賠償の支払いをすでに拒否している。英外務省は、「賠償が答えだとは思わない」と述べている。これは驚きだ。フランスは原価計算の無意味さを強調し、正確な計算ができないのだから計算する必要はない、そうすれば何兆ドルも節約できるという論理であろう。オランダ政府はもっと機転を利かせて、「奴隷制の歴史について深い遺憾の意を表明し、過去の不正義を認めた」としている。翻訳すると、「あなたがもらうのは私たちの素敵な謝罪だけ」ということだ。しかし、これらの人々には心配する理由がある。カリブ海諸国はこれらの利益(または損失)の中で圧倒的に小さな部分を占めているが、様々な経済学者や数学者が彼らの実際の損失を見積もろうと真摯に努力し、保守的な仮定の下でも、その数は「ほとんど意味をなさないほど天文学的な数字」だとしている。そしてもちろん、その意味のない天文学的数字は、まさに米国やヨーロッパの経済発展に伴う利益であり、そのために数字はほとんど無限に大きくなるだろう。ある米国人教授は、米国のエリート支配者層が得た経済的利益は最低でも数十兆円に上ると推定しているが、それは1800年や1850年のドルでの話である。

奴隷制の経済的側面を深く掘り下げた最近の優れた本として、エドワード・バプティストの『The Half Has Never Been Told:Slavery and the Making of American Capitalism 』がある{82}{83} {84} {84a}。 バプティストは、誰かが書いているように「最も広く言われている自由の拡大という脚色」ではなく、奴隷制が米国経済の基本的な部分であることを暴くことに成功している。実際には、「自由」はこの諸要素のどこにも見当たらず、入植者たちの想像上の「自由と機会の探求」は、疑いなく米国の歴史の中で最も欺瞞に満ちた部分だった。バプティストによると、アメリカ大陸の金融業界全体が奴隷制の経済学を中心に発展していったという。銀行家は何世代にもわたって新しい金融商品を開発し、奴隷を担保にした債券などの金融証券を作り、今日の住宅ローンと同じように、奴隷を担保にした多種多様な有利子の抵当権を束ねて投資家に販売した。奴隷を担保にしたこれらの金融商品は、土地購入などの資金調達によく使われ、米国やヨーロッパの富裕な投資家に広く販売され、最も身近で人気のある証券投資の形態の一つとなった。

ロスチャイルドが米国議会で民間の中央銀行を設立する法案を強行採決した後、その「米国銀行」は連邦政府の資金を奴隷商人に融資することに大きく関わり、これが同銀行の富の蓄積の主要な源泉の一つとなっていた。ヨーロッパ発の奴隷貿易のほとんどを融資していたのはロスチャイルド所有のベアリングス銀行であり{85}、ロスチャイルド家をはじめとする銀行家や金融業者は、何千隻もの船、何十万人もの奴隷貿易の航海、そして何千万人もの担保付き奴隷の購入に必要な莫大な資金を提供していたのである。米国の奴隷所有者は、米国内で最大の担保を保有していた。この数十億ドルは新世界の全ての富の25%にも相当し、バプティストが指摘するように、「プロの奴隷商人が運営する市場の効率性のおかげで、富の中で最も流動性の高いもの」であった。そしてプロの銀行家たちのおかげで。当時、奴隷貿易や奴隷貿易への融資ほど儲かるビジネスは世界にはなかっただろう。

この問題に歴史的な背景を加えるために、ここで数歩後ろ(あるいは脇に)下がってみよう。奴隷制は、アフリカから黒人をさらってきて始まったわけではなく、アフリカからの奴隷は最近始まったものだった。ユダヤ人の奴隷商人は1000年前にヨーロッパで活躍していて、実際、奴隷という言葉は「スラブ」に由来している。スラブとは、中欧や東欧のキリスト教の白人で、最初に誘拐され、売られた人間のグループであり、主にイスラム教の国に売られ、白人女性はセックスのために珍重され、去勢された男性はハーレムのための宦官として非常に高い値段で売られた。ほとんどのヨーロッパ人は、この白人キリスト教徒の人身売買に強い憤りを感じていて、ユダヤ人がヨーロッパの様々な国から追い出されたのは、しばしばこのような理由(税金泥棒やその他の非道な行為と同様)によるものであり、一般的に私たちに信じさせようとする「反ユダヤ主義」という物語によるものではなかった。{86} {87}

しかしこのようなやり方が衰退すると、ロスチャイルド率いるヨーロッパのユダヤ人たちはイギリス東インド会社を設立した。かつて世界最大の企業であったイギリス東インド会社は、インド人を残虐に扱うためだけに約100万人の私設常備軍を創設した。{88} {89} {90} {91} {92} {93} {94}このグループがインドで行った数々の残虐行為の中に大規模な奴隷制の導入があった。何百万人ものインド人が捕らえられ、奴隷として世界中に輸出されたが、この習慣はすぐに中国にも伝わった。ロスチャイルドは中国から銀を流出させる方法として、インドでアヘンを栽培することを思いついた。その時点でインドの広大な農業地域は、食料からケシの栽培に代わり、その過程で膨大な数のインド人が死体となった。アヘンは中国に運ばれ、同じくユダヤ人のデビッド・サスーンがヴィクトリア女王からアヘンの独占販売権を与えられた。あまり知られていないが、後ほど詳しく説明するが、中国での150年にわたるアヘンの茶番劇はすべてユダヤ人のビジネスであり、それが今日では巧妙にイギリス人のせいになっている。{95}{96} {97} これらの麻薬の売人はイギリスのパスポートを持っていたかもしれないがイギリス人ではなかったのだ。1905年のユダヤ百科事典によると、サスーンはアヘン取引を中国と日本に拡大し、彼の8人の息子たちを中国の様々な主要アヘン取引所の責任者にしている。1944年のユダヤ百科事典には、「彼は自分のビジネスにユダヤ人だけを雇った……彼は同胞のユダヤ人を家族ごと輸入して……働かせた」と書かれている。サスーン家だけがアヘン取引に関わっていたわけではなく、サスーンは中国のごく一部を他の数少ないユダヤ人家族(ハートゥング、ハードゥン、カドリー、アーノルド、アブラハム、エズラ、ソロモンなど)と共有した。

「エコノミスト」という不誠実で信用できない雑誌は、「最も偉大な国営企業」というテーマで東インド会社を賛美する記事を書いたことは興味深い。インドでの完全な略奪と破壊、果てしない虐殺、世界初の大麻薬カルテルであるアヘン、といったことを忘れているかのようだ。歴史上、イギリスの東インド会社ほど多くの汚点と血痕を残した組織はないと思われるが、「エコノミスト」はこの忌まわしい組織を美化しようとしたのだ。次は、セシル・ローズは平和主義者で、ボーア戦争はダイヤモンドや金のためではなく、自由のために戦ったとでも言うのだろうか。ニック・ロビンズは、イギリス東インド会社に関する論文の中で、「多くのインド人にとって、東インド会社による略奪がまず自国を非工業化し、次に英国の産業革命を促進するための資金を提供した。要するに、立派な東インド会社は、インドを豊かにし、貧しくしたのである。東インド会社が責任追及からのがれたことで、英国人は現在の豊かさの多くの源を見過ごすし、インドの継続的な貧困は、その文化と気候のせいだとみなされている。」利益を追求する悪質な外国人捕食者の小さなグループによる非人間的な冒険の悲劇的な結果ではなく。東インド会社とその姉妹会社であるオランダ東インド会社の歴史書はずいぶん前に閉じられてしまったが、世界の歴史の中で最も徹底的な悪のエピソードの1つを記録していることは間違いなく、世界に向けてその内容を検証するために再び開かれる必要がある。

当時、サスーンはロスチャイルドに次いで世界で2番目に裕福なユダヤ人と認識されており、1850年には数十億ドルに達する財産を持っていた。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような人が世界一の金持ちであるというのは愚かな都市伝説に過ぎないのである。ロスチャイルド家とサスーン家は175年前には数十億ドルの大金持ちだったが、それからも資産は急増している。最も信頼できる推定ではロスチャイルド家と他のいくつかのユダヤ系ヨーロッパ一族は、今日、それぞれ莫大な資産を持っており、ロスチャイルド家は控えめに見積もっても約25~30兆ドルと言われている。ウィキペディアにはいつものようにウソが書かれており、ロスチャイルド家はかつて裕福だったが、その富を多すぎる子供たちに分配したため、一族は事実上貧困に陥ったとある。これは全くの嘘だ。なぜなら、米国政府が米国連邦準備制度(FED)に負っている数兆ドルの債務は結局、FEDのオーナーであるロスチャイルドとその親しい友人たちのポケットに入ることになるのである。彼らはドイツやイギリスの中央銀行をも支配している。ヨーロッパのユダヤ系銀行家に比べれば、ゲイツやバフェットの富は小銭でしかない。

50年後、サスーンと他の数人のユダヤ人のアヘンファミリーは上海の大半とその他の多くの場所を所有した。香港の壮大なペニンシュラ・ホテルは、今でもKadoorie家が所有していると思う。それは本土からのアヘン・キャッシュで賄われていたものだ。ヴィクトリア女王が中国から香港を奪ったのは、サスーンが膨大なアヘンのフランチャイズの流通拠点を必要としていたからだった。同様に、HSBCはサスーンの麻薬資金を洗浄するためだけに設立され、現在もその専門性を発揮している。標準的な物語では、HSBCはスコットランド人のトーマス・サザーランド卿によって設立されたとされている。サザーランド卿は、「スコットランドの健全な銀行の原則」に基づいて運営される銀行を望んでいたが、これは歴史的な「捏造」だ。HSBCは常にユダヤ系の銀行であり、デビッド・サスーンは設立当初から取締役会の会長を務めていた。

いずれにしても、ロスチャイルドがインドで行っていた奴隷制の取り組みはすぐに中国に移され、新アメリカ大陸へのアフリカ貿易と多かれ少なかれ一致して、何百万人もの中国人が拉致され、世界中に奴隷として売られた。あまりにも多くの中国人が福建省からこの奴隷貿易のために拉致されたため広範囲で激しい反乱が起こり、ユダヤ人奴隷商人は撤退し、マカオや広東で拉致を再開せざるを得なくなった。ようやくこの習慣が緩和されたのは世界大戦が起きてからだった。{98}

しかし世界的な奴隷貿易は、ほとんど常に主にユダヤ人のビジネスであったことに留意すべきである。ここでその正しさを主張するつもりはないが、何十人ものユダヤ人歴史家がこれらの事実を確認しており、歴史的記録の多くから、議論の余地のないものであることは確かである。北米の奴隷貿易ではユダヤ人が必ずしも常に独占していたわけではないが、非常に目立つ存在であったことは確かで、ほとんどの場合、過半数を超えていた。これは、船、拉致、奴隷の売買、所有だけでなく、担保となる奴隷の資金調達や証券化についても、大西洋の両側にいた独創的なユダヤ人銀行家の功績によるところが大きい。

ユダヤ人歴史家のシーモア・リーブマンはこう書いている「(イギリスの)奴隷の売買は王室の専売特許であり、ユダヤ人はしばしばその売買における王室の代理人に任命されていた… [彼らは]カリブ海地域全体で最大の船の修繕業者であり、海運業はユダヤ人の企業だった…船はユダヤ人が所有していただけでなく、ユダヤ人の乗組員が乗船し、ユダヤ人の船長の指揮下で航海していた」。新世界のユダヤ人1493-1825。Requiem for the Forgotten (1982). {99} {100} {101} {102} {103}

1850年代、ユダヤ系移民のメイヤー・リーマンは、知事からアラバマ州の綿花産業全体を統括する「綿花大臣」に任命され、州内のすべての奴隷の管理も任されることになった。リーマンとその家族は、奴隷と綿花の取引で莫大な富を得てニューヨークに移り、リーマン・ブラザーズという投資銀行を設立した。{104} {105} {106} {107}似たような話はたくさん記録されている。ユダヤ百科事典には、「南部の多くの地域の綿花農園は、完全にユダヤ人の手中にあった」とあり、ロベルタ・フォーリヒトは『ユダヤ人の運命』という本の中で、「ユダヤ人の中には、奴隷所有者、奴隷売買人、奴隷競売人が不釣り合いに多かったが、人種間の線引きをすると、彼らは白人側にいた」と書いている。

様々な著者が、私が「歴史的捏造」と呼ぶものに注目している。それはいわゆる「歴史家」が、奴隷制は経済的に非効率で、実際には少数の人々が個人的に使用人を雇い、「荘園の領主」になるためだけのものであったという話をまきちらしていることだ。または、綿花摘みが急増したのは、奴隷が酷使されたからではなく、ほぼ自然収穫できる新しい綿花の品種が出現したからだという話もある。またある人は、奴隷制は資本主義と対立するものであり、実際には「奴隷を生来の野蛮さから救った」一種の慈善事業であったと主張する。バプティストは、米国の経済はすべて「数えきれないほどの個々の残虐行為」の上に成り立っていると書いているが、まさにその通りである。彼はこう書いている。「アフリカ系米国人を商品化し、その苦しみと強制労働が米国を強力で豊かな国にしたという考えは、必ずしも人々が喜んで聞く考えではない。しかし、それは真実なのだ」。確かにそれは真実なのである。

キンバリー・パーマーは『ワシントン・タイムズ』紙にバプティスト氏の著書のレビューを書き、その中で次のように述べている。

バプティスト氏は、私たちが奴隷を所有していたという過去をより心地よいものにするために社会が作り出した神話を厳しく批判している。彼は、最大の神話である「奴隷制度は採算が合わず、非効率だったから工業化に適応できずに消滅した」という話から始めている。残念ながら奴隷制度が非効率であったという証拠も、消滅したという証拠も全くない。それどころか、盗掘された土地が安価ですぐに手に入り、独創的な金融商品による容易な信用と、法律で認められ、奨励され、保護された奴隷労働とが相まって、綿花生産のブームが起こり、1860年までに衰退の兆しはほとんど見られなかった。1860年には、英国の綿花工場で使用される綿花の88%を南部の奴隷労働者たちが供給していた。綿花は全世界で最も重要な貿易商品となった。綿花は産業革命の原動力となり、イギリスの綿花工場だけでなくマサチューセッツ州のローウェルのような町の綿花工場の設立にもつながった。ローウェルの綿花工場は、奴隷収容所にいたアフリカ系米国人の無賃労働で得た利益をもとに建てられた。1802年には米国の総輸出量の14%だった綿花は、1860年には61%になった。世界の綿花市場における米国のシェアは1801年の1%から1860年には66%にまで上昇した。{108}

このように世界でのシェアがゼロから3分の2になったのは、すべてサム・ウォルトン効果によるものであることを付け加えておきたい。「彼らに何も払わず、世界を征服する」。バプティスト氏自身も、Salon誌の記事でこう書いている。

我々はいまだに奴隷制について嘘をついている…真実は米国の経済と権力が強制移住と拷問の上に成り立っていた。それから何十年たっても我々の歴史書は神話や誤報で埋め尽くされている。今こそ、真の清算が必要だ……ウッドロー・ウィルソンの世代の歴史家たちは、奴隷制は19世紀の西欧世界の経済的・社会的な大変革とは別物であるという考えに学術研究の刻印を押した。とりわけ、再び一緒になった白人国家の歴史家たちは、奴隷制は利益追求を目的としない前近代的な制度だと主張した。この視点は、奴隷制と奴隷にされたアフリカ系米国人が、19世紀の米国の台頭に長期的にほとんど影響を与えなかったことを暗に言っている。この時代の米国はマイナーなヨーロッパの貿易相手国から世界最大の経済大国になった。

その経験から奴隷制の最悪の点は、奴隷となったアフリカ系米国人に現代市民の自由な権利と自由な主観性を否定したことだと言われている。それは当たり前のように行われていたし、権利の侵害としては近代史の中でも最大級のものだった。しかし、奴隷制はまた大量の人を殺した。生き残った人々からはすべてを奪った。さらに大規模で残酷な計画のために100万人もの人々を故郷から引き剥がし、病気に侵された新天地に残酷に追いやった。そして彼らは商品を生み出す帝国を継続的に構築し、また再構築したのだ。奴隷制の話の中でこのことは消えてしまっている。そこでフォーカスされたのは利益を生み出すことではなく準封建的なエリートとしての地位を維持することであり、または白人の団結力とエリートの権力を維持するために人種に関する近代的な考え方を生み出すことだった。一度奴隷制の暴力が過小評価されると、別の声がささやき始めた。それは奴隷解放の前でも後でも、アフリカ系米国人が市民の権利を否定されたのは彼らがそのために戦わなかったからだと。(Salon, September 07 2014) {109}。

Counterpunchの2015年12月31日の記事で、ロン・ジェイコブスは、ネッドとコンスタンス・サブレットによる『The American Slave Coast』という本のレビューを書いているが、この本は「大量殺戮で成り立ち、ほとんどすべてが奴隷貿易に基づく経済で維持されている国が描かれている」とし、こう書いている。

米国の歴史は血に染まっている。さらに重要なことは、米国以外に人間の売買や繁殖を経済の基盤とした国はない。このような運営形態をとるに至った決定は、人種差別に彩られ、貪欲さに基づいていた。しかし、特徴的なのは利益の追求である。主要な法律は、奴隷商人が保有する人的資本にどのような影響を与えるかという観点から検討された。

この本は北米の奴隷制の経済性以上のことを論じている。また、奴隷制にまつわる残虐行為、レイプ、性的虐待、誘拐、その他多くの恐怖の一覧でもある。人道的な奴隷所有者など存在しなかった。人間を所有するという行為自体が非人道的なのである。米国で構築された奴隷制の構造、つまり、永続的に続くことを期待して意図的に人間を繁殖させ、労働力として売るという構造はあらゆる非人道的な定義を超えている。この本が明らかにしている事実の一つは、米国の金融市場や州間貿易に関わっていた者は、奴隷の所有、繁殖、売買の産業にも関わっていたということだ。奴隷制が米国経済の中心であったことを考えると、このような共犯関係を避けることは事実上できなかった。実際、今日の富豪の中には、人間の売買で儲けた人が少なくとも数人はいるのである{110} {111}。

メディア、いわゆる歴史家、そして歴史書の出版社が喜んで協力しているおかげで、ほとんどの米国人は米国における奴隷人口の割合をひどく過小評価している。米国のすべての州で奴隷は人口の25%以上、多くの州で60%以上を占めていたが、さまざまな研究で、数多くいた白人と先住民の奴隷は数えられていないか意識的に除外された。白人女性は家庭外で働くことはほとんどなく、子供を含むすべての奴隷は強制労働者であったため、多くの州では労働人口の大部分が奴隷だったと考えられる。1日18時間の労働と過酷な待遇の結果、奴隷の寿命は5年から10年ほどしかなかった。特に白人奴隷は安価に交換することができた。また、奴隷の少女や女性は、10歳や12歳のときから定期的に強制的に妊娠させられ、それぞれ少なくとも数人の子どもを産み、その子どもたちも奴隷となることで余分なコストをかけずに労働力を増やすことができた。

米国の富の形成に貢献したのは黒人奴隷だけではなかった。アイルランド人を中心とした白人奴隷が米国におくられたり、米国の先住民族が入植者に奴隷として使われたりヨーロッパに奴隷として送られたりと、かなりの取引が行われていた。さらに、何百万人もの中国人やインド人が、同じ奴隷商人によって米国やラテンアメリカで誘拐され、奴隷として売られた。真実は、新世界の発見とほぼ同時に、コロンブスをはじめとするユダヤ人奴隷商人が大量の原住民を捕らえてヨーロッパの奴隷市場に送り始めたのである。米国の歴史書ではこの情報を省略している。なぜなら自由と機会を求めて抑圧された人々が、米国に大量に移住してきたというバンビのようなディズニーの物語と矛盾するからだ。米国の歴史家と米国政府は、奴隷制度が白人エリート層にもたらした経済的利益や、国の経済発展に寄与したという厳しい事実をいまだに直視しようとしない。

プロパガンダ機関は、米国は宗教の自由と寛容の原則に基づいて設立された植民地だったと伝えている。しかし米国の近代史において奴隷制は、経済的、政治的、文化的な覇権を追求する米国人と明確に結びついていた。1500年代に米国に到着した最初の船でさえ、地元市場向けの奴隷を運んでいたのである。多くの歴史家は、少なくとも2,000万人のアフリカ人が誘拐され、地元や半球の奴隷市場のために米国に運ばれたと推定している。誘拐された黒人のうち実際に米国に到着するまでに生き残ったのは約10%という一般的に受け入れられている数字を考慮すると、おそらく2億人が殺されたことになる。奴隷貿易、植民地化、帝国主義を生み出した道徳的価値観はユダヤ・キリスト教の精神に深く刻み込まれていたため何世紀にもわたって基本的に変わることなく、現在においてもそれが消滅することなどないのである。

奴隷制は1860年代末までに廃止されたとされているが別の形で継続された。その後100年間は、黒人に対する大きな反発が起こり、テロや絞首刑、黒人が経済的・政治的に競争できないようにするため無数の法律が制定されたのである。米国の奴隷制度は厳格な宗教的社会階層意識に基づいており、米国南部の家庭の半数近くが奴隷を所有し、その経済的、政治的、社会的地位は奴隷の所有状況に左右されていた。彼らの多くは厳しいユダヤ教や福音主義キリスト教を厳格に信奉し、聖書の物語、特に黒人の基本的な劣等性に関するユダヤ教やキリスト教の理論、過去の偉大な文明はすべて奴隷制だったという主張など、不明瞭で誤った言及によって奴隷制を正当化した。また、多くの人が人口抑制の手段として、自分たちの歪んだ宗教を奴隷に押し付けようとした。

ある歴史家によると、黒人たちは「人間の肉屋によって、首を吊るされ、焼かれ、殴られ、拷問され、殺され、鞭打たれ、切り刻まれた。些細なことをしても衝撃的な方法で奴隷たちは切り刻まれ、あらゆる点で獣のように扱われた」という。彼らは、「大樽に釘を打ち込み、釘の先が樽の内側に突き出るようにする。そして、樽の中に奴隷を入れ、釘で蓋をして、とても長くて急な坂道を転がしていった。奴隷の所有者は彼らを鞭打ち、血と生身の肉の塊になるまで殺し、犬が殺されるようなものだと思っていた。ある著者は、米国でプランテーションの監督をしていたトーマス・シスルウッドという人物の個人的な日記を引用し、奴隷たちが殴られた後、糞や尿を口に押し込まれたと記述している。ある奴隷所有者は、訪問者に「一部の黒人は白人に絶対に鞭打たせないと決めていて、鞭打とうとすると抵抗する。もちろんその場合は殺さなければならない」と語ったという。奴隷への肉体的・性的虐待は広く受け入れられ、公然と行われていた。女性奴隷は定期的に主人にレイプされ、訪れた友人にご馳走として提供されていた。ファーガス・ボードウィックは、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事の中でこう書いている。

会社の「人畜」の大部分は綿花畑で働くことになるが、多くの女性、特に魅力的な混血の女性は売春をすることになる。バプティスト氏が引用した数通の手紙のうちの1通では、会社のシニアパートナーが、最近購入した2人の女性について、「会社とその関連エージェントの独占的な利益のために、…売春宿を維持すればすぐに元が取れる」と平然と書いている。

米国の白人が黒人奴隷に対して行った膨大で非情な残虐行為の話を聞けば、その非人間的な野蛮さに恐怖で身を縮めてしまうだろう。しかし米国人は、あまりにも効果的にたくさんの神話やイデオロギーを聞かされてきたため、かたくなに自分たちの国はキリスト教の価値観、自由と人権に基づいて建国されたと主張する。ユダヤ系米国人のミシェル・バックマン議員は、黒人奴隷制度は、子供たちが「家庭的な環境」で育つ機会を与えられていたのでそれほど悪いものではなかった、と信じられないような愚かな主張をした。彼女は、(1)家族の分離は奴隷にされる過程の本質である、(2)奴隷は結婚を許されていなかったため、黒人女性の子供は一般的に白人の主人によるレイプの結果だった、という事実を都合よく無視した。それはどうみても家庭的な環境などではないが、ミシェルさん、寄稿をありがとう。

米国人は、合衆国憲法修正第13条によって奴隷制度が禁止され、国が新たな道徳的に正しい道を歩むことになったと主張するがそれは誤りである。米国で奴隷制度が廃止されたことはない。憲法修正第13条には、奴隷と非自発的隷属が「犯罪に対する罰として」許されると明記されており、それがすべてを物語っている。この修正案の後その構造は変わったが以前と同じように米国では奴隷制度が続いたのだ。それまでは黒人も白人もインディアンも主人に所有されていたが、修正案後は「罪を犯して罰せられている自由な犯罪者」、有益な違いは名前が変わったことだけである。「自由」が与えられるとすぐに同じ人々は犯罪者として集められ、国の新しい囚人貸出制度に入れられ、以前と同様にひどい扱いを受けた。黒人をはじめとする元奴隷を事実上犯罪者扱いし、再び奴隷に戻すことを認める法律がすぐに制定されたのである。これらのいわゆる犯罪は、世界共通のように曖昧に定義されていることが多く、気まぐれで恣意的に取り締まられた。1ドル以下の品物を盗んだ場合、5年の懲役刑が科せられた。黒人や元奴隷にとっては、放浪も歩き回ることも犯罪だった。白人女性を見ることは犯罪であり、十分な身分証明書や雇用証明書を所持していない、または借金や「黒人でありながら歩く」ことも実刑判決が下された。黒人や多くの貧しい人々を捕まえて生涯にわたる年季奉公の奴隷にすることを正当化するために、毎日のように追加の犯罪がでっち上げられた。法律では、警察が「労働力が不足している時に、遊んでいる黒人を一斉検挙する」ことが認められた。これが雇用主にこれまでのシステムから奴隷労働者が抜け出せないようにする法的手段を提供したのである。

Links:

{79} https://www.panoramas.pitt.edu/news-and-politics/all-eyes-slavery-reparations-case-caribbean-nations

{80} https://www.huffpost.com/entry/14-caribbean-nations-sue-_n_4018906

{81} https://popularresistance.org/caribbean-nations-sue-europe-over-slavery/

{82} https://www.amazon.ca/Half-Has-Never-Been-Told/dp/046500296X

{83} http://www.douglasdecelle.net/the-half-has-never-been-told-summary-and-notes/

{84}https://www.nytimes.com/2014/10/05/books/review/the-half-has-never-been-told-by-edward-e-baptist.html

{84a} http://edition.cnn.com/2014/09/07/opinion/baptist-slavery-book-panned-economist-review/

{85} https://www.company-histories.com/Barings-PLC-Company-History.html

{86} https://fathersmanifesto.net/wm/wm0051a.html

{87} https://www.henrymakow.com/2018/10/the-reasons-for-anti-semitism.html

{88}https://www.realhistorychan.com/the-sassoons-the-rothschilds-of-the-east.html#:~:text=The%20privately%20owned%20British%20East%20India%20Company%2C%20%28cough,had%20enjoyed%20while%20creating%20millions%20of%20opium%20addicts.

{89} https://conspiracy.fandom.com/wiki/Colonization_of_India

{90}https://knowthestraightpath.wordpress.com/2012/01/08/british-east-india-companys-colonization-of-india/

{91} https://www.quora.com/Did-the-Rothschilds-invest-in-the-British-East-India-company

{92} https://defence.pk/pdf/threads/the-rothschild-colonization-of-india.598421/

{93} https://divineabodenews.wordpress.com/2014/01/19/who-owned-east-india-company/

{94} https://rense.com/general78/imper.htm

{95} https://www.islam-radio.net/islam/english/jewishp/china/jew-opium-monopoly.htm

{96} https://covenersleague.com/culture-heritage/item/1446-jews-and-opium-war-in-china

{97}https://ronaldwederfoort.wordpress.com/2018/06/10/the-rothschilds-bosses-documentary-the-jewish-monopoly-on-opium/

{98} The historical record of the Opium Jews engaging in massive slave-trading in India and China, has been severely cleansed, with few traces remaining. The only full historical records exist partially in India and mostly in China – where these truths are well-known, but the references are all in Chinese only. Millions of Chinese were abducted and sold to build the North American railways, the Panama Canal and Panama Railway, the guano mines in Peru, and so much more.

{99} https://exposeintelligence.blogspot.com/2016/03/the-slave-trade-quotes-from-jewish.html

{100} https://davidduke.com/how-long-will-the-jewish-role-in-slavery-be-hidden/

{101} https://fgcp.org/content/slave-traders

{102}http://www.covenersleague.com/fighting-against-globalist/item/802-rothschild-connection-to-black-slavery

{103} https://www.theatlantic.com/magazine/archive/1995/09/slavery-and-the-jews/376462/

{104} https://aaregistry.org/story/mayer-lehman-slave-owner-and-businessman-born/

{105} https://ibw21.org/reparations/the-lehman-trilogy-and-wall-streets-debt-to-slavery/

{106} https://groups.google.com/g/alt.obituaries/c/SaufEb-Pzkw

{107} https://www.haaretz.com/jewish/.premium-this-day-birth-of-a-lehman-brother-1.5306818

{108} https://www.washingtontimes.com/news/2006/sep/23/20060923-084010-6735r/

{109} https://www.salon.com/2014/09/07/we_still_lie_about_slavery_heres_the_truth_about_how_the_american_economy_and_power_were_built_on_forced_migration_and_torture/

{110} https://www.counterpunch.org/2015/04/10/the-black-struggle-against-slavery/

{111} https://www.counterpunch.org/author/ron-jacobs/page/2/

EN — LARRY ROMANOFF — Nations Built on Lies — How the US Became Rich — Volume 1 – Part 2 — Colonisation, Labor, and Slavery