No. 1407 これまでの歩み ー ウクライナ紛争小史

これまでの歩み

ウクライナ紛争小史

by Ted Rall

https://www.unz.com (March 04 2022)

米国のメディアは、ロシアのウクライナ侵攻を様々に、また同時に、次のように特徴づけている。それはヒトラーのような狂人による血に飢えた行為であり、 旧ソ連を再構築する試みの一部だと。そして予想通りこの6年間続く静かに否定されたロシアゲートのシナリオで、自国民が自由な隣国を妬むかもしれないという恐怖心からプーチン大統領は民主主義の概念を攻撃しているのだという。マルコ・ルビオ上院議員は、米国の情報当局は2年間にわたるコロナのロックダウンによってプーチンの頭がおかしくなったと信じているとまでほのめかした。

全くの推測から生まれたこれらの説明のうち、どれかは正しいか、あるいはどれも正しくないかもしれない。しかし、そのどれもがそれほど単純に説明できることはありえない。ソビエト連邦の崩壊後30年間、米国とその西側同盟国による挑発と包囲はほぼ絶え間なく続いてきた。プーチンはもう我慢できないと判断し、中央アジアの大草原地帯に一線を引くことにしたのである。

友人のふりをした敵同士がナチス・ドイツという共通の脅威と戦った第二次世界大戦が1945年に連合国とロシア赤軍が出会った線でヨーロッパを分断して終結し、ドイツはその間で分断された。

ソ連がトルコ、ギリシャ、チェコスロバキア側についた代理紛争では、西欧諸国にハリー・トルーマン大統領の下で1949年に設立された米国主導の集団安全保障体制である北大西洋条約機構(NATO)への加盟を促した。

NATO加盟国の1カ国に対する攻撃は加盟国すべてに対する攻撃とみなされることは有名な話である。奇妙なことに、第一次世界大戦が同じような同盟関係のもつれから始まったという事実には誰も関心を示さない。

ソ連はこの報復として支配下にある東欧諸国をワルシャワ条約でグループ化した。1955年にできたこの同盟はNATOに直接対抗するものとして作られ、NATOが理論上加盟国の全会一致を必要とするのに対し、すべての主要な決定がモスクワによって直接コントロールされることを除いて、同じ方法で組織された。

1991年、ソビエト連邦は解体された。アル中で新欧米の無能で腐敗した大統領ボリス・エリツィンの下、ロシアは経済的に荒廃し、政治的に士気が低下し、軍事的にも弱体化し、現在独立している15の旧ソ連邦の中で最大の国に過ぎなくなった。ロシアは旧ソ連の4分の3の国土と半分の人口を持つ。

ワルシャワ条約は消滅した。それでも、NATOは存続した。

NATOのホームページにはこう書かれている。「NATOが存続しているのは、ソ連がなくなったとはいえ、同盟の当初の二つの暗黙の使命がまだ残っているからである。それは、過激なナショナリズムの台頭を抑止し、ヨーロッパの民主化と政治的統合を促す集団安全保障の基盤を提供することである。「ヨーロッパ」の定義が、ただたんに東方、ロシアに拡大したに過ぎない。

ロシアは内向きに集中し、資本主義に移行した。しかし西側諸国とNATOはあたかも冷戦が終結していなかったかのように振る舞った。

1991年当時、NATOはロシアから遠いところにあった。共産主義後のロシア連邦は、東欧にモルドバ、ウクライナ、ベラルーシの旧ソ連邦と、同じく旧ソ連邦のリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト共和国によってNATO領域と隔てられていた。それはすぐに変わった。

その後20年の間に、東欧の旧ワルシャワ条約機構諸国はすべてNATOに加盟し、800マイルの緩衝地帯は半分に縮小された。バルト諸国は2004年に加盟した。

モルドバは憲法で中立を保障しているのでNATOに加盟することはないが、緩衝国としての地政学的地位は比較的取るに足らない。ベラルーシは依然としてクレムリンの強固な同盟国であり、そこでウクライナがでてくる。

もしウクライナがNATOに加盟すればロシアの緩衝地帯は消滅する。 その代わり、ロシアとヨーロッパを結ぶ広大な回廊が出現する。ウクライナは1941年にナチス・ドイツがソ連に侵攻し、2700万人のソ連市民を死亡させたルートと同じである。そこでは多くのウクライナ人が、進撃するドイツ軍を解放者として迎えた場所と同じである。そこがNATO同盟の支配下に置かれることになる。国境にロシアの敵がくるのだ。

ウクライナの現政権はNATOへの加盟を望んでいる。彼らは米国が支援したクーデターの結果、政権を握った。ウクライナのヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領は民主的に選ばれた親ロシア派だったが、オバマ政権が慎重に仕組んだ2014年の秘密作戦で退陣させられた。「米国には、他国、特に他の大国の国境にある国の政治的結果を画策しようとする権利はない」と、CATO研究所のテッド・ギャレン・カーペンターは2017年にコメントしている。

2014年のマイダン蜂起ではネオナチを含む右派過激派が大きな役割を果たし、ロシアの不安を増大させた。

今や、鉤十字をつけたアゾフ大隊のような悪名高い反ユダヤ準軍事組織が公式なウクライナ軍の重要な構成要素になっている。しかし、メディア監視団体Fairness and Accuracy in Reporting (FAIR)が指摘するように、米国のメディア消費者はこのことを知らされていない。FAIRは次のように報告している。

   不作為によるプロパガンダの決定的な事例はネオナチのウクライナ軍への統合に関するものである。もし企業メディアが、ネオナチが入り込んだウクライナ治安機関に対する西側の支援や、これらの部隊が米国の外交政策の最前線の代理人として機能していることについてもっと批判的に報道すれば、戦争に対する国民の支持は減り、軍事予算はもっと疑問視されるようになるだろう。

BBCは2014年当時、「超国家主義者およびその極右過激派グループは、全体の作戦のごく一部、つまり少数派のサブグループである」と報じている。しかし新政府の指導者たちは「さまざまな場面で、ほとんどが「ライトセクター」と呼ばれる傘下組織に集中している過激な右翼を抑制することができない、する気がない、あるいは恐れているようにさえ見えた」という。

アゾフ大隊(ネオナチ組織)は2014年以来急増した。今では独自の政治家や新聞、子どもたちのキャンプまで所有するムーブメントとなっている。

ロイター通信によると、別の極右過激派組織C14は現在、ウクライナの警察と国家警備隊を支配しているという。トランプ政権は、アゾフとウクライナ国家警備隊をテロ組織として宣言することを検討した。現在、フランスやフィンランドなどのヨーロッパ諸国から、ナチスの記章をつけた兵士を隊列に持つアゾフ大隊とともに、ロシアと戦うためにオルトライト過激派が集まっているとニューヨーク・タイムズ紙は報じている。

ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、自身がユダヤ人でありながら、政府内のネオナチには目をつぶってきた。米国の同盟国も同様だ。The InterceptのSam Biddleは先週、「Facebookは、同社の危険な個人と組織に関するポリシーで自由に議論することが禁止されていたウクライナのネオナチ軍部隊、アゾフ大隊を称賛することを数十億人のユーザーに一時的に許可する」と報じた。

米国人にとって敵の敵は常に味方である。ロシアと違って米国人はナチスを軍に迎え入れるような国の隣に住んでいるわけではないのだ。

NATOは過去数十年にわたりロシアを繰り返し挑発し、特に旧ワルシャワ条約機構のポーランドに弾道ミサイルを設置することを計画していた。「ミサイル防衛システムの構築、軍事基地によるロシアの包囲、NATOの容赦ない拡大など、近年目にしたものからは彼らが我々の力を試しているという明確な印象を受けた」と、当時のロシアのドミトリー・メドヴェージェフ大統領は2008年に述べている。

昨年8月まで、旧ソ連と国境を接するアフガニスタンを、NATOと米国は20年にわたり完全占領していた。

米国は、ロシアによる積極的な軍国主義を批判しているように見える。しかし、この記事を書いている時点で、ロシアが旧ソ連邦の外に持っている軍事基地はシリアに1つだけである。米国は世界中に800以上の基地がある。2001年のニューヨーク、ワシントンの同時多発テロの後、ブッシュ政権は米国占領下のアフガニスタンでの空爆や物資輸送のために必要だとして、ロシア南部国境沿いの中央アジアの旧ソ連邦から軍事基地を借り受けた。

米国は、ロシアと国境を接する旧ソビエト連邦の3つの共和国にあるハナバド基地を引き継いだ。ウズベキスタン、キルギスのビシュケク空港、タジキスタンのクロブ飛行場である。NATO軍はウズベキスタンのテルメズとタジキスタンの首都ドゥシャンベ郊外に基地を設置した。

旧ソ連の中央アジアにおける米軍の駐留は2014年に終了した。しかし、ロシア南部から打撃を与えられる距離に米軍を維持することは明らかに米国政府関係者の頭の中にまだあるのだ。2021年4月、バイデン新政権はカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンの3カ国政府に基地の利用を打診した。

これらのいずれもウクライナにおけるロシアの行動をすべて正当化するものではない。しかし東欧の果てにおける現在の危機を正確に評価するには、ロシアの動機を考慮しないわけにはいかない。ロシアに向けられた一方的な冷戦における長年の包囲のあと、少なくとも中立国(または理想的には同盟国)ではないウクライナは、モスクワの不安を取り除くにはあまりにも近すぎる存在なのだ。

https://www.unz.com/trall/how-we-got-here-a-brief-history-of-the-ukraine-conflict/