No. 1460 マイケル・ハドソン著『文明の運命』(2022年)への序文

マイケル・ハドソン著『文明の運命』(2022年)への序文

By溫鐵軍教授

世界経済に影響を与える最も重要な要因は米国の覇権主義による負担の増大である。米国の外交は、第二次世界大戦以来IMF、世界銀行、その他の国際機関によって米国に有利になるよう施行されてきた経済と貿易ルールの形成にあった。米国のリーダーシップが頂点に達したのは1991年のソ連に対する冷戦で勝利したときであり、その後20年間、ますます積極的な軍事外交によってそれは強化されてきた。しかし2008年以降、この米国の外交はあまりにも攻撃的になり、今や自滅的で、他国を米国の軌道から追い出し、米国の国際的な影響力は、経済力が弱まっているにもかかわらず、世界の所得と富を自国のために吸い上げようとする米国の野心にますます及ばなくなってきている。

今日の世界における主要な対立は、米国と中国との間にある。ハドソン教授の本書はこの対立を国際的な変容のプロセス、とりわけ経済システムと政策の領域で説明している。ハドソン教授は、なぜ米中間の対立を単に産業界のライバル同士の市場競争と見なすことができないかを説明している。それは資本主義と社会主義の対立だけでなく、産業経済の論理と、国内経済が萎縮し外国の補助金や搾取にますます依存する金融化したレンティア経済の論理という、異なる政治経済システム間のより広い対立なのである。

ハドソン教授は、新古典派の反革命の流れを変えるために古典派政治経済学の復活を試みている。19世紀の政治経済学の本質は、価値、価格 そしてレント(家賃や地代)理論という概念的な枠組みにあった。自由な市場とは、経済的レント(市場価格が本質的なコスト価値を超過すること、つまり不労所得と定義される)から自由になる市場という考え方であった。古典的な目的は、地主、独占企業、債権者から市場を解放することであった。しかし、西洋では、特に1980年代の新自由主義的な政策のグローバル化以降、逆のことが起こっている。

歴史的に見ると工業国が富と権力を得るには、地主階級の支配を防ぐために政府を強くすることであり、実際それはレンティア(不労所得)部門全体を抑制することであった。産業の繁栄を促進するために、政府は生活や商売のコストを下げるための公共サービスを提供した。基本的なサービスは補助金の援助で提供されたが、主要な公共インフラが民間の所有者にわたれば、搾取的な独占価格に取って代わられただろう。

経済的に、すべての経済が円滑に機能するために必要な最も重要なサービスは貨幣と銀行の信用の提供である。

民営化されるとそれはレント(家賃や地代)を搾取するポイントとなる。だから19世紀に産業資本主義の論理を展開した経済学者たちは、産業生産に不必要な金融オーバーヘッドを最小化するために、貨幣と銀行を公共事業とする必要があると結論づけたのである。

今日の反古典派経済学では、金融の費用は「サービス」を提供するという生産的な行動によって得られる収入であり、それはアウトプットとして分類され、したがって国内総生産(GDP)の一部であると考えられている。その統計手法では金融収益は他の経済的レントとともに間接費としてではなく、GDPに加算されるものとして扱われている。このためあたかも実体経済が成長しているかのように錯覚してしまう。しかし、実際に成長しているのはレンティア部門であり、それは実際の経済価値を生み出さず、債務者、賃借人、消費者から債権者、地主、独占企業へ所得を移転しているに過ぎないのである。このレンティアの乗っ取りは、公共部門を民営化し、主に金融部門によって組織された独占資本のための賃料収奪手段を作り出すことによって達成される。

ハドソン教授によるこの本は、グローバル・ユニバーシティ・フォー・サステナビリティで行った金融資本主義に関する講義シリーズをもとに書かれている。このシリーズは中国の聴衆に向けられたもので、なぜなら古典的な産業政策を持つ中国の混合経済は新自由主義的な米国の病を避けることに最も成功していると教授は考えているからである。この講義では米国やその他の西側諸国の経済が、なぜかつての勢いを失ったのかを説明している。わずかなレンティア層が支配力を得て、新しい中央計画者となり、その力を使ってますます負債を抱え、高コストの労働力と産業から所得を流出させているのだ。米国の脱工業化という病は、現在西洋で広く普及している金融化された独占資本主義のシステム下でレンティア階級が抽出した経済レントによって工業生産のコストが膨れ上がったことに起因している。

中国にとっての政策課題は、いかにしてその優位性を維持し、米国のイデオロギー的・外交的圧力の餌食にならないようにするかということである。 ハドソン教授はその処方箋を次のようにまとめている。 第一に、国の統計は実質的な価値を生み出す生産部門と、他の経済部門から自分たちに所得を移転するだけの金融レンティア部門を区別する必要がある。移転支払いは生産ではない。第二に、成功した経済はすべて混合経済であった。貨幣と信用、土地、公共サービス、天然資源を政府が管理し、原価で、あるいは補助金で提供できるようにし、それによって生活コストと民間企業の事業コストを引き下げるべきである。第三に、非生産的な負債のオーバーヘッドを防ぐ方法は、経済レントが金融化され、投機家やレント抽出の機会の買い手によって利子として銀行に支払われないように課税することである。

ハドソン教授の分析の中心は、米国の外交が、そのレンティア寡頭政治に支えられた新自由主義的イデオロギーの延長線上にあるといことである。 「米国の例外主義」とは、米国が国際法を無視し、他国の政策に口を出し、潜在的なレント収入の資産(銀行、鉱物資源採掘権、ハイテク独占権)の支配を米国の多国籍企業に経済的衛星国に委ねるよう要求することである。

第二次世界大戦後の75年間、米国の外交軌道の中にあるすべての国に対して債権者寄りの法律が押しつけられてきた。この米国の動きは、南半球の国々がドル化した債務を支払えないときに緊縮財政を課し、外国の債権者に支払うために国内経済と国民の幸福を犠牲にさせてきた。

皮肉なのは、米国自身が世界最大の国際債務者であるということである。世界の中央銀行の外貨準備を米国債や銀行預金などドル建て資産の保有という形で米国債に貸し付けることで、ドル建ての国際決済システムを他国に自国の軍事費を調達させる手段にしてしまったのである。それが今日の債務に基づくドル覇権の基盤である。

このドルの罠から抜け出すために、中国は他の独立国とともに、新しい国際決済システムを構築し、貿易・投資関係に関する新しい国際法の原則を打ち立てるべきである。この原則には、本書で述べたような経済的・政治的な全体的な原則が必要である。

私が不思議に思うのは、西洋の新自由主義的な反古典主義的イデオロギーに起因する経済的、政治的、社会的、文化的問題が長年にわたって明白であるにもかかわらず、中国の多くの人々がいまだに西洋の学校や指導者に指針を求めていることだ。まるで自国の制度や文明さらには民族が劣っているかのように。一国の敗北は、その国の制度に対する国民の自信の喪失から始まる。しかし米国の学者として長年米国の金融を研究し、数十年間ウォール街で働いてきたハドソン教授は、中国の制度的優位性を認めている。自己反省、自己修正、自己強化を続ける科学的精神がある限り、中国の社会組織と共栄の思想は、社会をより高い文明へと導くことができると信じない理由はないだろう。重要なことは、我々の制度的優位性を追求し、産業革命後の西側レンティア経済の欠点を捨てることであり、西側の新自由主義の道をたどり米国の覇権とイデオロギーに依存することではない。その道を辿った西側経済の大半では、負債にまみれた緊縮財政にさらされ、繁栄は停止している。

今日の金融資本主義の危機の背後には、したがってこのように深遠な文明の危機がある。世界は今、全人類に共通する展望は野蛮かエコロジー文明か、という岐路に立たされている。

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Professor Wen Teijun is Executive Dean, Institute of Rural Reconstruction of China, Southwest University, China

Translated by Alice Chan

https://www.unz.com/mhudson/foreword-to-the-destiny-of-civilization/