Be it Resolved: Don’t Trust Mainstream Media
今夜のトロントでのマンク・ディベートにおける私の開会の辞
by Matt Taibbi
今夜トロントのロイ・トムソン・ホールで、私は『西洋の戦争』(2022年)の著者ダグラス・マレーと組んで、権威あるマンク・ディベート(Munk Debates)に参加する。対戦相手はベストセラー作家でニューヨーカーのスタッフライター、マルコム・グラッドウェルと、MSNBCの寄稿者でニューヨークタイムズのコラムニスト、ミシェル・ゴールドバーグだ。今夜のお題は、「主流メディアを信じるべきか否か」{1}。
私がどちら側を主張するか、おそらく想像がつくだろう。以下は私の開会の挨拶の原稿である(イベントが始まったらこの原稿が届くだろう)。イベントについての詳細は終了後にお知らせする。この一週間、私が準備する間お待ちいただいた皆さんに感謝している。
論題「メインストリーム・メディアを信じるな」。私はマット・タイビといい、30年間記者をしている。私はこの論題を支持する。主流派メディアを信じるべきではない。
私はマスコミの中で育った。私の父は記者だった。継母は記者だった。私の名付け親は記者だった。私の知っている大人は皆、マスコミ関係者だったようだ。父のテレビマイクの旗(テレビ局のロゴ)をおもちゃとして使っていたこともある。裏庭で家に背を向けて立ち、「生中継」ごっこをしたものだ。
チェット、私はマサチューセッツ州ノーウェルにいます。いま、消防士が3つの火事の消火に当たっています・・・
私はニュースの仕事が好きだ。それは生まれつきだ。しかし私は嘆いている。それは自滅したのだ。
私の父はこう言っていた。 “ストーリーがボスだ” 。アメリカでは、もしこの災害における悪者が共和党なら、あなたはそれを記事にする。もし事実が民主党をより強く指し示していれば、そちらを記事にする。『ローリング・ストーン』誌で10年近くウォール街と2008年の暴落の原因を調査してきた私にとってはよくあることだが、両者とも責任があるということになれば、そのように記事に書く。私たちは、事実を一方的に誘導するようなことはしないはずだ。私たちの仕事は、見たままのことを書き、あとはあなたに任せることなのだ。
今はそうではない。ストーリーはもはやボスではない。その代わりに、事実はますますどうでもよくなった新しいビジネスモデルの一部として、私たちは物語を売っている。
チャンネル数が少なかった時代、ニュース会社の商業戦略は全視聴者をターゲットにすることだった。テレビのニュース放送は夕食時に放送され、狂った右翼のおじさんから不機嫌な左翼のティーンエイジャーまで、家族全員が視聴できるように作られていた。このシステムには欠点もあった。しかし、すべての人と話をしようと努力することには、利点もあった。ひとつは、より多くの信頼を得ることができたことだ。ギャラップ社の世論調査では、CBSのウォルター・クロンカイト(米ジャーナリスト、アンカーマン)がアメリカで最も信頼されている人物であることが2度にわたって示された。現代ではありえないことだ。
インターネットが登場し、新しい声が市場に溢れるようになると、一部の放送局は視聴者全体を狙うよりも、ある層を選んでそこを支配する方が経済的に合理的であることに気づいた。どうやって?簡単なことだ。視聴者が好むと思われるニュースを流すのである。Foxが郊外や地方、主に白人、主に年配の保守派をターゲットにして成功すると、Fox Newsの故ロジャー・アイルズ局長は自社の視聴者を「55歳から死人まで」と表現したことで悪名が高いが、他社もすぐにそれに倣うようになった。
今では誰もがそれをしている。Fox、MSNBC、CNN、The Washington Postなど、欧米のメディアはほとんどすべて、人口動態を追い求めるビジネスを行っている。公共メディアの伝統が強いカナダではそうでもないかもしれないが、アメリカではこれが標準である。
これは「視聴者最適化」モデルと呼ばれる。ストーリーから始めて事実を追うのではなく、視聴者が喜ぶストーリーから逆算していくのである。このシステムでは、圧倒的多数の国内メディア機関が、どちらかの「サイド」に迎合している。たとえば、数年前のPew Centerの調査{2}によると、Foxの視聴者の93%は共和党に投票し、一方、まさに鏡のような現象で、MSNBCの視聴者は95%が民主党である。
今夜の対戦相手の同僚は、かつて偉大だった2つのメディア組織を代表している。Pewの調査によれば、ミニューヨークタイムズの 視聴者は現在91%が民主党員だ。ニューヨーカーの最新の数字は2012年のものだが、その時でさえ 共和党の読者はわずか9% {3}だった。今はもっと少なくなっているのではないかと思う。
このような二元的なシステムは根本的に信頼できない。潜在的な読者の半分を見送って、残りの半分に応えるという目的を達成するために、どの事実を強調し、どの事実を軽視するかをあらかじめ選択するからだ。また、どの記事を取り上げ、どの記事を避けるかを、真実やニュース価値以外の考慮に基づいて選択することになる。
これはジャーナリズムではない。政治的エンターテイメントであり、したがって信頼性に欠ける。
編集者は、物事を正しく伝えることよりも視聴者を維持することを重視するようになり、この業界全体の特徴は右派から左派まで不正確であることだ。私たちは多くのことを間違えている。今や記者にとって重要なのは、正確であることよりも「方向性」が正しいことであり、中道左派の「主流」メディアでは、ドナルド・トランプや反ワクチン派、選挙を否定する人たち、抗議するカナダのトラック運転手、その他間違った思想を持つ人々に反対する見解を報じている。
熱心に「トランプの責任を追及」したり、ウラジーミル・プーチンのような人物を妨害するために、倫理的なガードレールは投げ捨てられた。無言の編集が常態化している。人々にコメントを求めないまま、深刻な非難がなされている。記者は政治家と癒着し、その結果、情報をまったく帰属させずに、あるいは無名の当局者や「この問題に詳しい人物」を情報源として報道するようになった。科学者と同じように、ジャーナリストも研究室で互いの研究を再現することができるはずだ。匿名の情報源が多すぎるとこれは不可能になる。
数週間前、ある通信社の記事の見出しに「米情報当局高官がロシアのミサイルがNATO加盟国のポーランドに侵入したと発表」{4}という記事が載ったことがあった。このような記事は、間違えれば戦争になりかねないが、それでも彼らは無名の情報源にすべてのチップを置くのだ。それが正しいとしても、非常に危険な行為である。
その話は結局間違っていたと判明したが、悲しいことにこれはもう珍しいことではない。トランプ時代には、異常な数の「爆弾発言」が横滑りした。「Peeテープ」(トランプ大統領と売春婦との醜聞を記録したビデオ)からアルファサーバーの話、トランプがロシアのスパイだったという憶測(ディスコの前で採用)、ロシア人がバーモント州の公共施設をハッキングしたという誤った報道、トランプの選挙運動本部長がなぜか気づかれずにこっそりロンドンのエクアドル大使館で地球上で最も監視されている人間、ジュリアン・アサンジに会ったという証拠のない話まで、間違った話は山ほどある。
私はドナルド・トランプのファンではない。『Insane Clown President』(2017年)という男についての本を書いた。しかし、「バウンティゲート」から、MSNBCがロシアのオリガルヒがトランプへの融資に共同署名したというものまで、数え切れないほどの「爆弾発言」が破綻した100以上のリストをまとめたのは、こうした話が私を不快にさせるからだ。優れたジャーナリストは常に誤りを恥じるべきである。多くの同僚が恥じることを知らないのを見るのは不快である。
ところでこれはまったく新しい現象ではない。大量破壊兵器騒ぎの後、アメリカのニュースメディアは自己監査をしなかった。それどころか、間違った報道をした者を昇進させ、そうでない者をクビにした。
「少なくとも私たちはブライトバート(極右とされるオンラインニュースサイト)ではない」という言い訳は通用しない。もうひとつの爆弾発言、トランプの弁護士マイケル・コーエンがロシアのハッカーと会うためにプラハに行ったとされる話について考えてみよう。この話は、元英国スパイのクリストファー・スティールによる、今では不名誉な文書に由来するものだ。この話には何度も反論があり、ロバート・ミューラー特別顧問も、コーエンは「プラハに行ったことはない」ときっぱり断言している。それでもこの話は語り継がれるだろう。
MSNBC{5}からCNN、McClatchyまで、主要メディアは、ドナルド・トランプの弁護士がプラハに行き、ルーマニアのハッカーを使って選挙を修正する方法について「クレムリンの代表」と画策したという考えを真剣に受け止め続けている。ステイルによれば、その後、ブルガリアに退き、その国を「潜伏」するための「穴」として使用することになる。これが陰謀論でないなら、何が陰謀論なのか分からない。
この話は、2020年の選挙で不正が行われたという考えと同じくらいに、頭がおかしい。あえて言えば、よりクレイジーだ。少なくとも、より創造的だ。まともなジャーナリストなら、多くの証拠もなしにこのような話に近づくことはない。しかし、我々の主要なメディア関係者は、何の証拠もなくこれを信じた。なぜなら、彼らはジャーナリズムをしていないからだ。彼らは物語を売っているのであり、これは良い物語だったのである。
ニュースメディアには “サイド “があってはならない。報道機関は政治から切り離されていると見なされなければいけない。それは、このことが信頼性の重要な要素であるというだけでなく、メディアはその独立性の認識からすべての力を得ているからである。報道機関がどちらかの政党とつながりすぎているとみなされれば、権力に対するチェック機能を失ってしまうからである。信頼性もなしにどうして「トランプに責任を負わせる」ことができるのだろう?
物事を正しく理解するのはそれだけで大変なことである。この仕事において、他のことをしようとした途端、歯車は狂ってしまう。私たちが基本に立ち返るまで、私たちは信頼されるに値しない。そして、これからもそうなることはないだろう。
Links:
{1} https://roythomsonhall.mhrth.com/tickets/munk-debates-2022
https://taibbi.substack.com/p/be-it-resolved-dont-trust-mainstream