No. 1668 2022年…アメリカの覇権主義が終焉を迎えた年

2022… The Year That Marked the End of America’s Hegemony

https://strategic-culture.org (December 30 2022)

 この1年の主役はウクライナ戦争だった。エネルギーや食料の高騰という他の世界的な危機は、ウクライナ紛争の巻き添えで起きたことである。

この紛争は、キエフの反動的な反ロシア政権が関与する、ヨーロッパの中心部でロシアの玄関口でおきている単なる局地的なものではない。この紛争は、米国とその同盟国のNATO軍とロシアとの、歴史的な対決である。この対決は長い間続いてきた。

このような暴力的で残虐な方法でおきる必要はなかった。

長いことロシアは米国とNATO加盟国に対し、ロシア国境に向けた同盟国の拡大は受け入れがたい戦略的安全保障上の脅威であると警告してきた。モスクワの警告は何年たっても聞き入れられなかった。

約1年前、ロシアは対立を回避するための最後の外交手段として、従来から認められていた「不可分の安全保障」の原則に基づく包括的な安全保障条約の締結を訴えた。この外交的イニシアチブはワシントンとそのヨーロッパの同盟国によってあっけなく却下された。

モスクワは、ネオナチを信奉するキエフ政権のさらなる軍国主義化は受け入れないと繰り返し警告していた。8年にわたる 旧東南ウクライナのロシア語を話す人々に対する低強度の戦争は止めなければならなかった。NATOがウクライナの軍事化と同盟への加盟を誘ったことがロシアのレッドライン(平和的解決から軍事的解決へと移る一線)だった。その一線を越えることを選んだのは米国とNATO同盟国である。そうなれば軍事技術的な手段を講じるとロシアのプーチン大統領は誓った。2月24日に始まったキエフ政権の軍事力無効化はその結果である。

今起きているのはNATOとロシアの準戦闘である。ウクライナにはNATOの兵器が押し寄せた。攻撃はロシアの奥深くで行われ、西側の政治家や専門家はロシアの指導者を暗殺し、モスクワの政権交代を推し進めるという無謀で汚い話もある。

ウクライナが、米国が長年温めてきたロシア侵略の帝国的計画を解き放つ機会であったことは明らかである。ロシアの天然資源は世界覇権を目指す米国にとって垂涎の的である。ウクライナでの戦争はワシントンに部分的な利益をもたらした。ヨーロッパはこれまで以上にアメリカの支配下に置かれることになった。ヨーロッパにガスと武器を売ることは低迷するアメリカの資本主義経済を儲けさせた。NATOの創設者が第二次世界大戦直後に構想したように、ロシア人は締め出され、アメリカ人が入り込み、ドイツ人(ヨーロッパ人)は引きずり降ろされたのである。

米国/西側と、ソ連/ロシアの地政学的な関係は、長い間、デタント(緊張緩和)のエピソードによって区切られてきた。このことは、立派な学者、故スティーブン・F・コーエンがその最後の著書『ロシアと戦争か(War With Russia?)』で述べている。

1930年代、米国がソ連の主権を認め、デタントが始まった。そのデタントがナチス・ドイツを倒すための便宜的な同盟を生んだ。しかし、第三帝国が滅ぶと同時に、アメリカとイギリスは冷戦という新たな敵対関係に移行した。

1960年代、ジョン・F・ケネディ大統領の時代に核戦争による相互確証破壊を恐れて、再びデタントが行われた。その後、数十年にわたり、いくつかの画期的な軍備管理条約の交渉が行われた。

しかし1991年のソ連崩壊後、米国は新たな帝国的威厳を身に着け、ロシア連邦を侮蔑した。唯一の超大国、全領域支配という傲慢な考え方が定着したのである。

以前の約束とは裏腹に、米国と米国の軍事力のためのNATO軍はロシアの国境を執拗に侵し、30年間で加盟国を2倍以上に増やした。ロシアを標的とした戦争訓練、ヨーロッパ全域での新しいミサイル施設、軍備管理条約の破棄、旧ソビエト共和国への意図的な勧誘は、どれも過去数十年にナチスドイツが達成できなかった方法でロシアを征服するという合図だった。

米国がモスクワに対して行ってきたデタントのオン・オフのパターンは、常に便宜上のシニカルなゲームであった。冷戦が終わったとされる後、米国は、ロシアはもはや敬意を示すべき大国ではないという体系的な見解をとった。ロシアはもはや尊敬すべき国ではなく征服すべき対象だった。

しかし問題があった。ロシアがそれを拒否したのである。モスクワは戦略的安全保障上の利益を主張し、アメリカの野心に譲歩することを拒否した。2015年末にロシアが同盟国のシリアに軍事介入し、テロリストの代理人を使った米国主導の政権交代戦争から守ったことは大胆な威嚇行動だった。

モスクワは敵対関係を解決するための外交を真剣に模索した時期もあった。しかし、現実はワシントンのゼロサムで勝者総取りの世界支配の野望は容赦なく、飽くことを知らないということである。ワシントンとアメリカの見栄っ張りなメディアは、ナルシシズムと美徳のふりをするのが得意である。彼らが「ルールに基づく世界秩序」について語るとき、その真意は常に善良であると自惚れながら、米国の覇権の下での完全な支配を意味している。

その結果、アメリカ帝国の利益に奉仕する臣下か、侵略と最終的な破壊の対象となる敵か、いずれかになるのだ。

ロシアが自国の戦略的利益を守ることに固執したために、アメリカは温和な仮面の下にあるアメリカン・パワーの醜い顔を露呈した。これは単なる一年の終わりではなく、アメリカ帝国の威信をかけた一世紀の終わりなのだ。独善的なアメリカン・パワーの虚飾が露呈したのである。ワシントンが世界に対して要求しているのは従属である。常にそうであったが、それは潜在的な形であった。

アメリカン・パワーの極悪な性質は、ますます手のつけられないロシアや中国との関係から、今そのむき出しの残虐性がはっきりと見える。

ウクライナをめぐるロシアの超えてはいけない一線は、アメリカン・パワーを支えているのは暴力であることを明らかにした。そのパワーは持続不可能であり、国連憲章に基づくはずの世界においては容認できないものである。ウクライナ紛争は岐路にある。第二次世界大戦の灰の中から国連が構想したように、国際法と衡平な関係に基づく多極化した世界が出現するか、あるいは、ワシントンの帝国主義的ゼロサム覇権のために世界が大混乱に陥るかのどちらかである。

ロシア、中国、そしてますます多くの国々が国際法に基づく平等な関係の多極化した世界を求めている。米国は例外的特権の妄想を抱く覇権主義国家であることがこれまで以上に露呈している。現在の政治状況下では、米国は多極化した世界に従うことができず、また従う気もない。そのような平和的関係の世界はワシントンにとって基本的に受け入れがたいものである。それゆえ、歴史上のどの国とも比較にならないほど戦争を挑発してきた実績が際立っている。

ウクライナにおけるロシアの抵抗は世界の戦争屋の仮面をはいだ。そして、その(ロシアの)開き直った抵抗は、米国の覇権とみられるものの終わりを告げている。

2022… The Year That Marked the End of America’s Hegemony