No. 1739 毛沢東の大躍進政策:その後は?

Mao’s Great Leap: Aftermath?

私たちが聞かされてきたこととは違った

by Godfree Roberts

「毛沢東の大躍進政策」のその1{1}は、経済史家のモーリス・マイズナーの「中国が今後15年間に開始するすべての産業プロジェクトのうち、実に3分の2は大躍進政策の間に設立された」という言葉で結ばれている。しかし、迫り来る天変地異がその成果を覆い隠してしまうことになる。

1960年の生育期の後、1年目の終わりに村々から収穫量の減少が報告されると、上層部は一時的な挫折や単純なミスのせいにした。またある地域で収穫量が増えたと報告されると、共同体農業は共産主義発展の頂点にたつものであったため、近隣の地域も同様の主張をするように迫られた。革命の熱意が冷めるどころか、次のシーズンには不足分を取り戻せると信じ込み、現実離れした数字まで膨らませた。ある農学者は「農民が歩けるほど穀物が茂っている畑もある」と嘲笑った。検査官が実地検査の結果を報告しても、一代で社会主義を実現するという期待に胸を膨らませた上司たちはその報告を拒否し、伝統的に貧しい地域や新しく都市化した工業労働者に備蓄穀物を流用しつづけた。

毛沢東は、官僚の抵抗、外国からの禁輸措置、官僚の腐敗、農民の消極性を予想していたが、中国がこの100年で最悪の天候に3年間も耐えなければならないとは思っていなかった。エルニーニョの影響でカナダの草原地帯の小麦の収穫は半減し、ニューイングランドでは記録的な大干ばつとなり、中国の穀物の収穫は3分の1にまで落ち込んだ。南西部のコメの春の収穫は干ばつで失われ、湖南地方は洪水に見舞われた。1958年に2億トンあった収量は、1960年には1億4300万トンにまで落ち込んだとロデリック・マクファーカーは言う:

予想どうり、干ばつがあると仮定すると、台風による洪水が大半を占めていて中国本土を襲った暴風雨は、過去50年間で最も多く、6月から10月にかけて11回発生した。暴風雨はそれぞれ平均10時間、長いものでは20時間にも及んだ。しかも自然はさらなるトリックを仕掛けてきた。台風がいつものように北西に進まず、北上してきたのだ。台風を防ぐ高い山もなく、また他の国土では雨の量が少なかった。干ばつや洪水の余波で、害虫や植物の病気が発生した。文化大革命の起源第2巻「大躍進政策1958-1960」322ページ。

悲惨な収穫の後、党は廬山に集まり戦争の英雄のPeng Dehuaiが毛沢東の農民支持者を「小ブルジョア狂信主義」と非難した。憤慨した毛沢東は抗議した。「 少なくとも彼らの3割は積極的に我々の味方で、またほかの3割は悲観主義者と地主で、残りは中庸の人たちだ。3割というのは何人なのか? 1億5,000万人だ! 彼らはコミューンや食堂を運営し、何でも協力的にやりたいと考えている。彼らは非常に熱心でやる気がある。なぜそれを小ブルジョア的な狂信者と言えるのだろう?」

毛沢東の同僚たちはそれに動じず「性急な行動、ユートピア的な夢、相当な時間が経過した後にしか達成できない社会発展の必要な段階を無視すること」に対する決議を行い、がっかりした毛沢東は認めた。「 我々は大災害に突入した。コミューンはあまりにも早く組織化された。大躍進政策は部分的に失敗であり、そのために私たちは高い代償を払うことになった。混乱は壮大な規模で、私はその責任を負う。大同社会への移行は私が想定していたよりも時間がかかり、おそらく5か年計画が20回も必要になるかもしれない。」

毛沢東は再選挙への立候補を辞退し、「自分の葬式に参列する喪主のように」さまよったが、叱責にも「党に弾劾されても対処できないようでは、党の器ではない」と哲学的に耐えた。

後継者の劉少奇は、大躍進政策の問題の7割を人為的ミス、3割を天候のせいとし、毛沢東の5か年計画を中止した。そして彼は、「今後、政策は物質的なインセンティブに依存し、理想的で計画性のない大衆動員には決して頼らない」と言い、この決意は10年後に破られることになる。

飢饉

干ばつがひどくなるにつれ、党は何十年にもわたって行軍中の何百万人もの兵士を養ってきた経験を生かし、史上最も包括的な食料救済プログラムを実施した。配給帳と効率的な配給のおかげで、誰もが毎日何か食べものがあった。当時の平均寿命は58歳で、コレラ、結核、戦争の中で栄養失調になった人々は、絶え間ない飢餓で弱っていた。祖父母はわずかな食料を孫に与え、収穫が減るにつれ死亡率は容赦なく上昇し、1958年の1000人当たりの死者数は12人、1959年には15人、1960年には25人になり、1961年まで14人に戻ることはなかった。Mobo Gaoは自分の村の歴史上、唯一自殺があったのは大躍進政策の時代だったと言う。

  ある女性は家庭の苦境から首を吊った。Gaoの村人たちが山菜を採り、籾殻を粉にして食料にしたのは、記憶にある限り大躍進政策時代だけである。Gao村での20年間を振り返ってみても、家族が十分に食べていた時期というのは特に記憶にない。しかし大躍進政策によって生活はさらに苦しくなった。私たちの地域は、2年連続で自然災害に見舞われた…。しかし2年間の自然災害の間、中央政府、省政府、青島市、上海市など多くの地域から救援物資が届いた…。ある場所が困っていると、いつでもどこでも、いろいろな場所の人が助けてくれた。もし人民政府の援助がなかったら、1960年のような災害で多くの人が飢えていただろう。それに対して、湖南省北部(大躍進政策時の穀物不足のほうが深刻だったはずの)では1942年に500万人が餓死した。当時の政府は、現地の人たちを助けるために何もしていなかった。

1990年代、グッゲンハイムの奨学金を得て私は大学院の指導教官だったラルフ・サクストンに同行し、この地域の飢饉を調査した。ラルフが「飢饉の調査に来た」と言うと、農民たちは「1942年から1943年にかけての飢饉を調査しているのだ」と思った。1942年から1943年にかけての飢饉では500万人が飢えただけでなく、多くの人が土地や家、子供を売って故郷から逃げ出さなければならなかったという。地方政府も国も何もしてくれなかった。しかし大躍進時代にはそんなことはなかった。Gaoの村 By MoboCF Gao著 (1999-03-11)

毛沢東のボディーガードのLi Yinqiaoは、毛沢東の妻の江青と料理人が毛沢東の10代の娘、Li Naが寄宿学校から帰ってきたときに家族で宴会を用意したことを話してくれた。Li Naはとてもお腹が空いていて、食べるのも早かったので、毛沢東と江青はお椀を置いて、彼女がテーブルの上のすべての料理を食べ尽くすのを見て、最後には料理人と江青は泣き崩れた。毛沢東は言葉を失い、中庭をさまよった。

ジャーナリストのシドニー・リッテンバーグ{2}によると、党員は食べ物を買うために列に並ぶことを禁じられていた。彼は、その規則を破ったある女性のことを思い出した。「彼らは大きな会議を開き、彼女は自己批判をし、泣きながら、”私は良い共産主義者ではない、私は大衆の健康よりも自分の子供の健康を優先した”と言った。今日、それに少しでも似てることを想像できるだろうか?現代は”私の分を持ってこい!”だ。」

収穫の失敗は広く知られ、アメリカ政府はCIA94に穀物禁輸の有効性を報告するよう命じた。

1961年4月4日:中国共産党政権は、中国本土に権力を集中させて以来最も深刻な経済的困難に直面している。経済的な不始末、特に2年間の天候不順の結果、1960年の食糧生産は1957年よりも少なく、この時、養うべき中国人が約5000万人減った。広範な飢饉が迫っているわけではなさそうだ。それでも一部の地方では、多くの人が生存のために最小限の食糧で生活しており、7月の収穫を前に最も深刻な苦しみが待ち受けている。中国の工業化計画は、「躍進政策」とソ連技術者の撤収による混乱で破綻している。これらの困難は1960年の経済成長率を急激に低下させ、深刻な国際収支の問題を引き起こした。民衆の士気、特に農村部では、共産党が政権を握って以来、ほぼ間違いなく最低の状態にあり、公然と反抗する例も出てきている。

1962年5月2日: 中国共産党の将来の動向は、指導部の知恵と現実性、農業生産の水準、対外経済関係の性質と範囲という3つの非常に予測しにくい変数によって大きく左右されるだろう。過去数年間、この3つの変数がすべて中国に不利に働いている。1958年、指導部は一連の誤った考えで過激な経済・社会プログラムを採用し、1959年には3年ぶりの凶作が発生し、1960年にはソ連の経済・技術協力がほとんど停止された。これら3つの要因が重なり、この国は経済的に混乱した。栄養失調が蔓延し、対外貿易は減少し、工業生産と工業開発は急激に落ち込んだ。政権の経済的苦境からの早急な回復は見込めない。共産中国への展望。 National Intelligence Estimate Number13-4-62。

大躍進政策を『大後退政策』と揶揄したエドガー・スノーはCIAの調査結果を確認した。

周恩来が私に語ったように、1960年の災難は北京で報道された、「19世紀以来最悪の災害の連続」というほど深刻だったのだろうか?天候だけが不作を招いたわけではないが、大きな原因だったことは間違いない。天候に恵まれれば作物は十分に収穫できただろう。しかし天候が良くなければ、私が挙げた他の悪条件、コミューンの不満、官僚主義、輸送のボトルネックが重くのしかかる。1960年の個人的な観察によると、中国北部の広い地域で200~300日間も雨が降らなかったことを知っている。満州中部では未曾有の大洪水が起こり、私は瀋陽に1週間も置き去りにされた……一方で中国東北部には50年ぶりの多さとなる11個の台風が襲い、私は黄河が小川になっているのを見た。1959年から1962年にかけて、多くの欧米メディアの社説は、中国の「大量飢餓」に言及し続け、何の裏付けもない事実を引用し続けた。私の知る限り、中国を訪れた非共産主義者の報告で、この時期の飢餓の実例を示すものはない。ここで私が言っているのは、これまで何度も言及してきたような食糧不足あるいは余剰がなかったことではなく、飢えで死んでいく人々である、それが私たちの多くにとって「飢饉」の意味するところであり、それを私は過去に見たことがある。

フェリックス・グリーン(英ジャーナリスト)も1960年に中国を旅している。

1949年に北京で新政府が樹立されると、2つのことが起こった。まず、中国では飢餓がなくなった。食糧不足、それも深刻な事態はあったが餓死はなかった。戦争、混乱、飢饉による中国の普通の農民の苦しみは、この10年間、今世紀の他のどの10年間よりも計り知れないほど少なかったというのが真実である。「無知のカーテン」{3}フェリックス・グリーン

1961年、延安を訪問したとき、体調管理の専門家であるバーナード・モンゴメリー陸軍大将は、公衆浴場までも視察した。「ここに来る前に、中国は飢饉で何十万人も餓死していると言った人がいたが、ここでは人々の筋肉が非常によくできている。飢饉の兆候は見られなかった」。英国の植民地長官レジナルド・モードリングは、情報報告を要約して「香港に入ろうとする中国人難民が栄養失調に苦しんでいるという証拠はほとんどなかった。ヒューズが見た難民たちは、時折ビタミン欠乏症の兆候が見られた以外は3年間にわたる農業生産の失敗と誤った修正方法に対処するための食糧配給が明らかに大量飢餓を防ぐのに役立っていることを示していた」と述べている。

余波

他の飢饉と同様、この飢饉でも出生率は50%低下し、女性の社会進出が進み、若い村民が都市に移住したこともあって出生率はさらに抑制された。それでもアメリカ国立衛生研究所{4}は、「毛沢東政権下の平均寿命が「記録された世界史の中で最も急速で持続的な伸びを示したものに数えられる。これらの生存率の向上は1950年代に最も大きく、1959年から1961年にかけての大飢饉で急激に回復し、その後1960年代前半に再び大きく前進したようである」と報じた。(注:逆転したのは人口ではなく生存率の向上である)

大躍進政策で2人の祖父母を亡くした歴史家のHan Dongpingはその後、最も深刻な飢饉の現場である山東省と河南省を訪れた。農民たちは1958年の豊作によって、食料の収穫、消費、貯蔵に無頓着になり、コミューンが自分たちの食料安全保障の責任を免除してくれると思い込んでいたのだという。「山東や河南で多くの労働者や農民を取材したが毛沢東が悪いと言う人は一人もいなかった。安徽省の学者で、農村で育ち、そこで研究をしていた人に話を聞いた。彼は、毛沢東が悪かったと言う農民にも、鄧(毛沢東の後継者)が良かったと言う農民にも一人も会ったことがない」。歴史家のグウィディオン・ウィリアムズは、「歴史上初めて重武装した農民は、何も行動を起こさなかった」と辛辣に評している。もし毛沢東への信頼が揺らいでいたら、生き残った人々は1966年以降に示したような文化大革命への熱意を示すことができただろうか?

その混乱と失望があったとしても、もし大躍進政策がなかったら中国はどうなっていたのだろう。なぜならそれが現在のこの国の成功の基礎となっているからだ。

農学者のウィリアム・ヒントンは、「1983年に中国で3週間かけて、当時まだ存在していたいくつかのコミューンを訪問したとき、『大躍進政策のときに水利システムを構築した』とどこでも言われた」と語っている。(「中国における農民、毛沢東、不満:大躍進政策から現在に至るまで Dongping Han.Monthly Review 2009年12月01日」)

Links:

{1} https://herecomeschina.substack.com/p/maos-great-leap

{2} https://www.marketplace.org/2012/11/19/world/old-friend-party-assesses-chinas-new-leaders

{3} http://https//www.amazon.com/gp/product/B000K0JE70/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=1789&creative=9325&creativeASIN=B000K0JE70&linkCode=as2&tag=inpraiseofchi-20&linkId=6edf4741174103afb0d302720b6d958f

{4} https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4331212/

https://herecomeschina.substack.com/p/maos-great-leap-aftermath