No. 1753 多極化世界の首都

モスクワ日記

by Pepe Escobar

モスクワでは危機を感じない。制裁の影響もない。失業もない。街にはホームレスもいない。インフレも最小限だ。

「何も起こらない数十年があり、数十年のことが起こる数週間がある」とつぶやいたモダニストのレーニンはなんと鋭いのだろう。今、グローバル・ノマド(筆者)はクレムリンで行われたプーチン-習近平の、地政学のゲームを変えるサミットを頂点とする歴史的岐路の中心にあるモスクワで驚くべき4週間を過ごす特権を享受している。

習近平の言葉を借りれば、「100年に一度の変化」は私たちすべてに様々な影響を与えている。

もう一人の近代化の象徴であるジェームス・ジョイスは、「私たちは、平均的な人や非凡な人に出会い、延々と人生を過ごすが、結局最後はいつも自分自身に出会う」と書いている。私はモスクワで、信頼できる友人に導かれ、あるいは幸運な偶然に恵まれて、さまざまな非凡な人と出会うことができた。そして最後に、その人たちが自分自身や歴史的な瞬間を、想像もつかないような形で豊かにしてくれていると、魂が教えてくれるのだ。

その何人かを紹介しよう。ボリス・パステルナークの孫で、モスクワ大学で古代ギリシャ語を教えている天才的な青年。ロシアの歴史と文化に比類ない知識を持つ歴史家。ドゥシャンベの街にふさわしいチャイカナ(レストラン)で身を寄せあうタジキスタンの労働階級。

ビッグセントラルライン(モスクワの地下鉄)で驚いてループを巡回するチェチェン人とトゥヴァ人。共通の関心事について話し合うためのセキュリティに細心の注意を払う友人たちから贈られた素敵なメッセンジャー。マヤコフスカヤの地下で演奏する並外れた音楽家たち。エネルギー産業に適用されていたモットー「Power of Siberia」を全く新しいレベルに引き上げる、限りないエネルギーに満ち溢れた見事なシベリアの王女。

親しい友人に連れられて、ピョートル大帝が愛したというデビャティ・ムチェニコフ・キジチェスキ教会での日曜礼拝に参加した。その東方正教会の真髄ともいえる純粋さ。その後、神父たちが私たちを昼食に招待してくれ、 その天性の知恵とユーモアのセンスに驚かされた。

1万冊の本が所狭しと並ぶ、国防省が見えるロシアのクラシックなアパートで、ジョークをふんだんに盛り込んで、クレムリンとの正教会関係を担当するマイケル神父は宗教的、文化的な議論の忘れられない一夜のあと、ロシア帝歌を歌った。

私は光栄にも、帝国の嘘の機械に特に狙われた人たちに会うことができた。マリア・ブティナは「寒いところから入ってきたスパイ」という格言で悪者にされたが、今は下院の副議長である。ヴィクトル・バウトは、ポップカルチャーによって「戦争の帝王」に転化され、ニコラス・ケイジ主演の映画になった。彼が、アメリカの最高セキュリティの刑務所で、友人から送られたUSBフラッシュドライブ(彼はインターネットに接続できなかった)を使って私の書いたものを読んでいると言ったときには言葉を失った。そしてアメリカの刑務所で拷問を受け、現在は困難な状況に置かれた子供たちを守る財団の代表を務める、不屈の精神と鉄の意志を持つミラ・テラダ。

アレクサンダー・ドゥギンと貴重な時間を過ごし、貴重な議論を交わした。彼はこの時代には欠かせないロシア人で 純粋な内面美を持つ男で、ダリア・ドゥギナのテロによる暗殺後、想像を絶する苦しみにさらされたが、哲学、歴史学、文明史の各分野を横断的に結びつけるということに関しては西洋ではほとんど比類がない奥行と幅を誇っている。

ロシア恐怖症への攻勢

そして、外交、学術、ビジネスミーティングが行われた。ノリリスク・ニッケル社の国際投資家対応責任者からロスネフチ社の幹部まで、またEAEUのセルゲイ・グラジエフ氏本人はもちろん、経済顧問のドミトリー・ミチャエフ氏も並び、私はロシア経済の現状を、対処すべき重大な問題を含めてAからZまで徹底的に教えてもらった。

バルダイ・クラブでは、本当に重要なのは実際のパネルディスカッションよりも、傍聴席での出会いだった。イラン人、パキスタン人、トルコ人、シリア人、クルド人、パレスチナ人、そして中国人が、それぞれの心の内を語ったのだ。

ロシア愛好家国際運動(International Movement of Russophiles)の正式発足はこの4週間の特別なハイライトとなった。プーチン大統領が書いた特別なメッセージがラブロフ外相によって読まれ、その後、外相が自らのスピーチを行った。その後、外務省のレセプションハウスで、私たち4人はラブロフに私的な謁見を許された。今後の文化プロジェクトについて語り合った。ラブロフ氏は非常にリラックスしており、ユーモアのセンスも抜群であった。

これは文化的な運動であると同時に政治的な運動でもあり、ロシア恐怖症と闘い、特にグローバル・サウスに対して、あらゆる面で非常に豊かなロシアの物語を伝えることを目的としている。

私は創設メンバーで私の名前は憲章にも記されている。私は40年近く外国特派員として働いてきたが、世界のどこの国でも政治的・文化的運動に参加したことはない。ノマドの独立派は獰猛な種族なのだ。しかしこれは極めて重大なことである。現在の、救いようのないほど凡庸な西側諸国の自称「エリート」たちは、あらゆる面でロシアをキャンセルすることを望んでいる。ノー・パサラン。

精神性、思いやり、慈悲

わずか4週間の間に数十年分が起きたことは、そのすべてを整理するのに必要な貴重な時間を暗示している。

到着した日、雪の舞う中を7時間かけて歩き、最初に感じた直感は確信に変わった。ここモスクワは多極化世界の首都なのだ。バルダイの西アジア人たちの間で私はそれを見た。イラン人、トルコ人、中国人の訪問客と話しながら、私はそれを実感した。習近平がこの街に到着した日、40人以上のアフリカの代表団がドゥーマ周辺一帯を占拠したとき、私はそれを見た。私は習近平とプーチンが地球の圧倒的多数に提案していることを、グローバル・サウス全体が受け入れているのを目の当たりにした。

モスクワでは危機を感じない。制裁の影響もない。失業もない。街にはホームレスもいない。インフレも最小限だ。あらゆる分野で代替輸入、特に農業は大成功を収めている。スーパーマーケットには何でもある。欧米よりも多い。一流レストランもたくさんある。ベントレーも、イタリアでは手に入らないようなロロ・ピアーナのカシミヤコートも買うことができる。TSUM百貨店の店長と談笑しているうちにそんな話になった。ビブリオ・グローバスの書店では、彼らの一人が「私たちはレジスタンスだ」と教えてくれた。

ところで、この街で最も洒落た書店であるBunkerで、私の親愛なる友人であり、絶大な知識を持つDima Babichの仲介で、ウクライナ戦争に関する講演を行うという名誉を得た。責任重大だ。特に、ウラジーミル・Lが聴衆として参加していたからだ。彼はウクライナ人で、2022年までの8年間ロシアのラジオでありのままのことを話していたのだが、銃を突きつけられた後、ウクライナのパスポートを使ってなんとか脱出した。その後、私たちはチェコのビアホールへ行き、そこで彼の驚くべき話を詳しく聞いた。

モスクワでは、彼らの有害な亡霊が常に背後に潜んでいる。しかし今となっては、サイコ・ストラウス的なネオコンやネオリベラル・コンには同情せざるを得ない。彼らはもはや、ズビッグ・”グランド・チェスボード”・ブレジンスキーの弱々しい孤児としか思えないからだ。

1990年代後半、ブレジンスキーはこう説いた。「ユーラシアのチェス盤の上で新しく重要な空間であるウクライナは、独立国家としての存在そのものがロシアの変革を助けるので、地政学上の中心である。ウクライナがなければ、ロシアはユーラシア帝国でなくなってしまう」。

ウクライナの非武装化、非ナチ化の有無にかかわらずロシアはすでにシナリオを変えた。これは再びユーラシア帝国になるためではない。これはユーラシア大陸の統合という長く複雑なプロセスを主導することであり、すでに実施されているグローバル・サウス全体の真の主権独立を支援するとのと並行するものなのだ。

私がモスクワ(第3のローマ)を離れ、コンスタンティノープル(第2のローマ)に向かったのは、ニコライ・パトルシェフ安全保障理事会書記がロシースカヤ・ガゼータ紙に、NATO対ロシアの戦争に内在するあらゆる本質を改めて概説する破壊的なインタビューを行う1日前だった。

私が特に印象に残ったのは、この点だ。

私たちの何世紀にもわたる文化は、精神性、思いやり、慈悲に基づくものである。ロシアは、助けを求めたあらゆる民族の主権と国家を守る歴史的な擁護者である。独立戦争と南北戦争の際には、少なくとも2度、アメリカそのものを救っている。しかし、今回、米国がその完全性を維持するのを助けるのは非現実的だと私は考えている。

最後の晩に、ジョージアン・レストランを訪れる前、ピャトニツカヤを降りたところで完璧なコンパニオンに案内され、モスクワ川沿いのプロムナードへ向かった。美しいロココ調の建物が華やかにライトアップされ、春の香りが漂っている。ようやくベルイマンの名作「野いちご」のような心の底に響く瞬間だ。まるでタオを実践でマスターするように。あるいは、ヒマラヤかパミールかヒンドゥークッシュの頂上での、完璧な瞑想的洞察のように。

だから結論は必然なのだ。私はまた戻ってくるだろう。すぐに。

The Capital of the Multipolar World: A Moscow Diary