Anti-China Rhetoric is Off the Charts in Western Media
集団ヒステリーは、世界で最も強力なメディアに内在する偏見を反映している。
by Chandran Nair
今日の欧米メディアの主要な特徴は執拗な中国バッシングである。それはとてつもなくうるさく、しばしば再利用された些細な事実や根拠のない捏造された話が含まれ、中国についての冷酷な発言を裏付ける証拠もなく、深い理解不足を示している{1}。しかしそのような記事は後を絶たない。
世界中の視聴者によりバランスの取れた見解を提供することで、国際メディアでこれに対抗することは検閲が蔓延しているためほぼ不可能である。ほとんどの場合、ナラティブをコントロールするための世界的な合意があるようで、現代のデジタル技術を駆使したプロパガンダ戦争なのである。
世界の主要メディアで、週のどの日でもいいので中国に関するポジティブな記事を探してみてほしい。1月の旧正月に関する報道を除けばほとんどなく、それらの記事でさえネガティブな見方をされている可能性が高いだろう。欧米のメディアグループ内には、13億人の人口を抱える国からポジティブなニュースがでてこないように、記者や編集者を誘導する極秘メモが出回っているようだ。
一般的に、ネガティブな記事は3つの核となる考え方に沿っており、中国に関する報道に関してはこれらの報道機関内で暗黙のガイドラインとなっている。
一つは、中国は世界にとって脅威であり、この信念はあらゆる機会を通じて執拗に強化されなければならないというものだ。
中国がなぜ、どのように脅威であるのか、その理由は決して追求されない。その信念は根深くほぼ宗教に近い。妥当な論拠など重要ではない。優れたジャーナリズムの基本的な考え方は中国報道に関しては無視される。中国がなぜ世界的な脅威であるのかを説明する必要はないのだ。
無視されたままになっているのは、たとえ中国が特定の分野での過ちや行き過ぎがあっても、世界的な脅威ではないことを示す多くの証拠である。中国は米国を中心とする欧米諸国とは異なり、何十年もの間、どの国も侵略していないし、貧しい国々の何百万人もの生活を荒廃させるような制裁を課していない。
二つ目は欧米諸国に影響を及ぼす可能性のあるあらゆる世界的な出来事に、中国を結びつけなければいけないということである。これは欧米諸国が中国をバッシングする機会を提供すると同時に、国際関係において何が正しくて何が間違っているかの裁定者としての自らの信用を高めることになる。パンデミックからロシア・ウクライナ戦争、二酸化炭素排出量、海面上昇からレアアースの争奪戦まで、アフリカでのインフラ建設からワクチン製造まで、中国を悪魔化し、欧米諸国(およびそれ以上の地域)に恐怖を植え付けるための切り口がなければいけないのだ。
実際、メディアは1800年代後半の「黄禍」(黄色人種が勢力を強め白色人種に与えるという災禍)というアプローチに回帰しつつある。このような恐怖を植え付けるために微妙でニュアンスのあるアプローチはない。それは完全かつ非常にしばしば露骨に人種差別的だが、西側メディアでは黒人と白人の関係については非常に注意深く扱われているという事実にもかかわらず、中国人に対して人種差別的な言動は許容されているようだ。
この現象の三つ目の側面は、主流メディアのリベラルな読者が驚くほど異議を唱えないことなのだが、中国の台頭を阻止するためには違法で不公正な方法であっても、あらゆることを行わなければならないという感情である。何億人もの中国人が100年にわたる貧困と収奪の末により良い生活を手に入れる権利など気にも留めないのだ。
あらゆる見出しが、中国の台頭を食い止める必要があり、それが正当な地政学的な目標であるという視点を常態化している。その理由や道徳的に許されることなのかどうかについての説明はない。中国の台頭は懸念であり脅威であるというのが、欧米の対中論評の特徴となっている。この前提が揺るぎないものとして存在している中で、欧米諸国は同盟国を鼓舞し、時にはいじめる権利を持ち、そして「中国の台頭にどう対処すべきか」というばかげた問いを投げかけることができるようになっている。まるで中国には新しい世界で自らの位置を切り開く権利を持たないかのように。
アメリカには、中国が世界経済への第一歩を踏み出すのを寛大にも許したのはアメリカであり、今にして思えば、アメリカは中国に優しすぎたという考え方さえ存在する。この考え方は西洋に備わる帝国主義的な要素と、他国が成長して自己の力を発展させる正当な権利と向き合うことができない理由を浮き彫りにしている。この見方によれば他国の台頭は西側からの贈り物であり、それゆえ、西側の覇権に挑戦してはならない、ということになる。何世紀にもわたる支配の結果、西側諸国には自己都合の「ルールに基づく秩序」に従って、どの国が世界経済への参加を許されるかを決めるという考え方が深く根付いているのだ。
確かに欧米メディアは地政学における覇権主義的な競争観に完全に縛られているようで、常に「トゥキュディデスの罠」を引き合いに出し、まるで地政学や世界秩序に別の視点が存在しないかのように西側の規範に囚われている。このような見方は、紛争は避けられないと仮定して中国を悪者扱いする一方で、同時に欧米、特にアメリカの覇権的立場を正当化するのに役立っている。
言うまでもなく、これは極めて好戦的でありメディアが助長すべきではない。多国間主義の推進はどこへいってしまったのか?また、なぜ多国間主義を語る人々は、理想主義者や中国擁護論者として脇に追いやられるのだろうか?これは公正な報道の原則に反するものである。
では、どうすればいいのか?
まず第一に、中国と非西洋の国々の人は主流メディアの動きに関して言えば、私たちは新しい時代にいることを認識する必要がある。これは今日のデジタル技術を駆使した、世界がかつて見たことのないようなプロパガンダ戦争なのだ。メディア戦争は現実でテクノロジー主導のものであり、公正で正直で教育的なニュースを伝えるためのものではない。特に中国や西側の敵国に関してはそうではないのだ。
一方では欧米の力の維持を目指した純粋なプロパガンダが展開されている。参加者には、世界中で広く知られる欧米メディア界で最も有名なブランドが含まれている。
欧米メディアが、権力に対して真実を語りたいという願望だけに突き動かされた、独立心のある公正な人々によって運営されているという考えは幻想である。それは神話であり、受け入れる必要のある厳しい現実だ。欧米のジャーナリストは美徳の模範であるという考えも、メディアを利用する消費者の頭から追い払う必要がある。
それが、私たちが日常的に巻き込まれているプロパガンダの霧から抜け出す最初の段階だ。こうしてニュースを見る時に異なる視点を検討できるようになる。これは、現在の欧米メディアの支配力とその集団的使命感を考えれば簡単なことではない。
次のステップは、欧米メディアの支配を解体することだ。
これもまた、長く厳しい戦いになるだろう。欧米の主流メディアは世界で最も強力であり、1世紀近くにわたり、メディアは世界中の国際的なニュースや視点の発信を掌握してきた。その多くは、植民地主義、帝国の維持、そして世界のあり方に関する欧米の思想の普及に端を発している。こうした報道機関は強力な経済力を持っており、これを駆逐するには投資が必要だろう。
世界各地に、この取り組みに貢献する機会がある。必ずしも大メディア会社を設立する必要はないが、公正で客観的な分析に取り組むメディア会社に投資することで、まずは現地の視聴者が選択肢を持ち、欧米の主流メディアのプロパガンダばかり見ないようにするのである。これも簡単なことではなく、乗り越えなければならないハードルはたくさんあるが、ここではその詳細を説明することはできない。結局のところ、読者がより多くの非西側的な情報源に頼ることで、グローバルな問題に対する認識を深め、現在のプロパガンダ戦争の犠牲にならないようにすることが重要なのだ。より多くのオルタナティブメディアが盛んになるにつれて、これが起こり始めている。
これは欧米においても緊急に求められている。主流メディアによって生み出される集団ヒステリーが恐怖を生み、欧米社会が世界の他の地域と対立するのを防ぐためだ。今日の標的は中国だが、明日はインド、そしてアフリカになるかもしれない。
Link {1}: https://hbr.org/2021/05/what-the-west-gets-wrong-about-china
Chandran Nair:Global Institute for Tomorrowの創設者兼CEO。著書に『Dismantling Global White Privilege: Dismantling Global White Privilege: Equity for a Post-Western World』(2022年)の著者。
https://thediplomat.com/2023/02/anti-china-rhetoric-is-off-the-charts-in-western-media/