An empire in denial
by Kari McKern
歴史を注意深く観察している人なら、驚くようなことは滅多におきない。ウクライナでの戦争から中国とグローバルサウスを中心とした経済再編に至る現在の地政学的な秩序の軌跡は、記録にある限り、最も古い時代のパターンを踏襲している。しかし西側では政治エリートやメディア機関は依然として困惑している。冷戦後の時代に誰もが認める圧倒的な優位が、なぜこれほど急速に失墜したのか?なぜNATOの東方拡大が紛争を誘発したのか?欧米が設計した金融秩序が、かつては周辺的な存在と見なされていたユーラシアの大国からなぜ真に迫った挑戦を受けることになったのか?
欧米の「例外主義」という心地よい神話を認めていない人々にとって、これらは驚くようなことではない。進行中の一極支配の崩壊は、無理な拡大政策を続けた過去の帝国の崩壊と同じくらい予測可能なことだった。私がエッセイで繰り返し警告してきたように、欧米の地政学上の誤り、イデオロギーの硬直性、制度的な自己満足が欧米の衰退を加速させたのだ。ウクライナの「長期戦争」、中国に対する中傷、メディアの単純化された報道は、より深い病理を反映している。それは、多極化する世界の現実を受け入れることができないという病理である。
ウクライナの驕り
ウクライナにおける戦争はとんでもない自滅行為であり、冷戦後の勝利主義に根ざした地政学上の誤算であった。1991年以降、西側の戦略家たちは、米国の支配は必然的かつ永続的であり、歴史は終わったという信念を採した。ジョージ・ケナンなどの封じ込め政策の立案者たちから明確な警告があったにもかかわらず、NATOを東方へ拡大するという決定は、この考え方を反映したものであった。1997年、ケナンは次のように警告した:
NATOの拡大は、冷戦後の時代における米国の政策における最も重大な過ちだろう。それはロシアの反西欧的なナショナリズムを煽り立て、東西関係に冷戦時代の空気を再び呼び戻すことになるだろう。
しかしこの警告は無視された。2014年、西側が支援するキエフのマイダン・クーデターにより、ウクライナはロシアとの歴史的なつながりを断ち切り、モスクワを弱体化させるためのより広範な競争における最前線国家へと変貌した。私がエッセイで述べたように、NATOは軍事支援をエスカレートさせ、ウクライナ軍を訓練し、事実上ミンスク合意を台無しにした。そして2022年、ロシアは軍事作戦を開始した。その悲劇は回避できたはずだった。
希望はイスタンブールでの和平交渉だった。ウクライナは中立化の意思を示し、ロシアは軍事作戦の中止を表明した。プーチンはキエフ占領の試みさえ取りやめた。その時、介入したのが英国のボリス・ジョンソン首相であり、キエフに譲歩を思いとどまらせたと言われている。NATOの目的は、代理戦争によってロシアを疲弊させ、最終的にはプーチンを追い出すことだったようだ。ウクライナに甚大な人的被害が及ぼうとも関心はなかった。
その結果が今明らかになっている。数十万人の死傷者、経済的荒廃、そして敗北に耐える能力によってのみ存続が保たれる分裂国家。
合意の捏造
西側のメディアでは、冷戦後の複雑な力学は、ウクライナは勇敢な民主主義の砦で、ロシアは帝国征服を狙う非合理的な侵略者、というような単純な道徳的二元論に還元された。それまでの背景はすべて消された。NATOの拡大、2014年のクーデターにおける米国の役割、ドンバス地方でのウクライナの8年間にわたる内戦におけるロシア語話者の犠牲者の悲惨な数などはナラティブから消し去られたのだ。
「ドミノ理論」がベトナム戦争を正当化したように、「ロシア帝国主義」という亡霊が、欧米のウクライナへの介入を正当化している。このナラティブに疑問を呈するメディアは疎外されたり、検閲されたりした。私のように交渉を主張する者は「プーチン擁護派」と揶揄された。欧米市民はこの戦争を道徳的な聖戦として捉えるように洗脳され、その一方で、真の動機である地政学的な支配と経済的利益は依然として隠されたままだった。
この認識上の閉鎖性は、より深い機能不全を反映している。時代遅れのパラダイムに固執する社会は停滞する。西側諸国が文化やイデオロギーの優越性を主張したことで、政策立案者は変化する世界情勢に目を向けられなくなった。
グローバルサウスの台頭
西側諸国がウクライナ問題に気を取られている間に地殻変動が起きていた。中国の適応的な政策枠組み、特に低コスト製造からハイテク技術革新へのシフトは世界貿易の構造を根本的に変化させていた。一帯一路構想(BRI)のようなイニシアティブは、特にアフリカ、中南米、中央アジアにおいてグローバルなサプライチェーンに中国を組み込んだ。
一方、BRICS圏は、概念上の頭字語から代替的な金融メカニズムを追求する制度的なネットワークへと発展した。非ドル貿易協定や国境を越えたデジタル決済プラットフォームは、かつては揺るぎないものだった欧米の金融機関の優位性に挑戦している。上海協力機構(SCO)やBRICS+のようなユーラシア主導のフォーラムは増加しており、イデオロギー的な足並みを揃えるよりも、相互の経済的利益に基づくパートナーシップを促進している。
これに対して西側諸国は、 制裁、関税、軍事的威嚇など、戦略というよりも戦術で対応したのである。
内側からの衰退
西側諸国の対外的な失敗は、その内側の崩壊を反映している。政治の極化、経済格差の拡大、制度の腐敗、人口動態の圧力は、社会の結束を弱体化させている。当初はモスクワを弱体化させることを目的としていたロシアへの制裁は、結果的にヨーロッパ、特にドイツの産業基盤を弱体化させた。
米国も同じである。政治的議論は文化的な戦争に明け暮れ、財政基盤は持続不可能な赤字により崩壊しつつある。かつては賞賛されていた「ルールに基づく国際秩序」はもはや普遍的な敬意を集めることはなく、代わりに、世界の多くの地域が独自の道筋を描いている。
これからの道
一極支配の時代は終わった。多極化はもはや理論上の構築物ではなく、現実のものとなっている。問題は、西側が適応できるかどうかではなく、システム刷新の能力があるかどうかである。
もし西側が中国を敵対者として扱い続けるのであれば、孤立を深めることになるだろう。軍事的封じ込めとイデオロギー的例外主義をさらに推し進めるのであれば、自らの衰退を加速させることになるだろう。外交的現実主義を受け入れ、イデオロギーの処方箋ではなく相互利益に基づいて中国、ロシア、そしてグローバルサウスと関わることによってのみ、西側は自らの存在意義を維持できるだろう。
西側の衰退は勝利ではない。しかし適応を頑なに拒むことは、容赦ない歴史のパターンを思い起こさせる悲劇的な出来事である。衰退から免れていると信じ、批判者を悪者扱いし、必要な適応を拒む帝国は、必ず屈することになる。
アングロサクソン世界は、歴史から学ぶ謙虚さを再発見し、幻想を捨てる勇気を見つけなければならない。我々の衰退は、グローバル文明の終焉ではない。科学や哲学の最も優れた教訓、そして我々の音楽やダンスの高度な洗練ささえも、我々の目の前で刷新され、適応されている。西側の企業の力を超えて、我々は、東洋と西洋の最良のものをハイブリッドな活力で成長するネットワークによって刷新され、変容する世界を目にしている。
カール・セーガンはかつて、核の脅威を前にして、こう問いかけた:
地球の代弁者は誰なのか?
気候変動という現実の脅威や、地球規模の開発と適応という課題に直面する中で、その問いに対する答えがようやく見えてくるかもしれない。