No.480 政治のイデオロギー:ブッシュは保守派ではない

ブッシュは大統領選で自分を「思いやりのある保守派」と宣伝していましたが、裕福な企業経営者の利益を代表する彼の政策を見れば、彼が保守派でないことは明らかです。以下の『シカゴ・トリビューン』紙の記事が、それを古代ローマ時代の保守政治と比較していますので、是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

『シカゴ・トリビューン』紙 2001年4月29日
ロン・グロスマン

 本物の保守派は、ジョージ・W・ブッシュにぞっとしないのだろうか。大統領選でブッシュは、「思いやりのある保守派」という看板を掲げた。しかし、大統領就任から明日で100日目になるその日、彼は自分が決して保守派ではないことを証明した。

 保守派には広い意味がある。ドイツの鉄血宰相のビスマルクから、ヴィクトリア女王時代の気取ったディズレーリ首相まで、さまざまな政治家が保守派と呼ばれてきた。思想家のエドマンド・バーク、ジャン・ジャック・ルソー、プラトンも保守派だった。しかし、もし彼らが一堂に会することがあれば、思想上の対立になるだろう。

 違いがあるとはいえ、保守派の人々は、世界とは複雑で混乱した場所であり、見極めが難しいという認識を共有している。答えはすぐには出てこない、というのが保守主義の考え方である。そして何にでも当てはまる答えを出そうとすれば、それを探知して防ぐ初期警報システムが保守主義には組み込まれている。

 しかし、ブッシュは、昔のスターリン主義者がモスクワをすべての知恵の源と見なしたような、固定焦点の知識の眼鏡をかけている。ホワイトハウスの執務室でブッシュが最新の報告書から顔を上げ、こういっている姿が目に浮かぶ。「私が知りたいのは、企業の金持ち経営者たちが何を欲しているかだけだ」

 問題は何でもいい。飲料水の砒素許容量、処女地や処女海での石油採掘、米国人労働者のための労働安全基準など、いかなる問題であっても、ブッシュの答えは簡単に予測できる。ブッシュは、財界と同じ見方をするからである。

 予算案発表前に減税の承認を議会に求めたことで、ブッシュの政治的優先課題が明らかになった。それは、まず政府の税収を減らすことを認めさせた上で、最富裕層を最も優遇し、残りをヘルスケアや教育といった社会問題のプログラムで分け合うというものだ。

 ブッシュ政権が政治的ビジョンに欠ける、というのではない。実際、ブッシュは、ハリウッドやマイケル・ダグラスよりもずっと以前に「強欲は良いことだ」と説いた小説家、アイン・ランドとイデオロギー的に同じ路線を行く。ランドはその哲学を客観主義と呼んだ。利益が政治制度の健全さを測るものだと考えることから、「キャッシュレジスター主義」とも呼べる。

 ゼネラルモーターズ社長の後、1950年代には国防長官を務めた、チャールズ・ウィルソンは、「GMにとって良いことは、米国にとっても良いことだ」と自分の立場を簡明に示した。

 この立場には議論の余地がある。決して保守主義的立場とはいえない。プラトンはこれをすべての政治的諸悪の根源と見なし、この保守主義の考え方で誰にも屈しなかった。現代の保守派は、政府には芸術(ビジネス)のための資金集めをさせたくはないようだが、プラトンは芸術家(ビジネスマン)こそ問題を起こす者として彼の理想国家から追放したいと考えた。

 彼がユートピアとする「国家」において市民は、個人の利益か意思決定への参画のどちらかを選択する。利益を選択した者は裕福な暮らしができるが、政治に関与することはできない。利益を選ばなかったものだけが、国家を運営できる。個人の利益を抜きに国家を運営して、質素な暮らしを営むのである。

 「もしGMにとって良いことが国家にとって良くなければどうなるのか」という問題に対して、プラトンは政治から富を取り除くことで対処した。もしチャーリー・ウィルソンが突然、GMの社長から政界に転進したとして、国家のために彼が会社の仲間やゴルフクラブの友人を見捨てると思うだろうか。要するに、石油業界出身のディック・チェイニー副大統領が、自然環境保全地域での石油採掘が米国民の利益にはならないという決断を下す可能性がどれだけあるか、ということだ。

【 古い富を好んだローマ人 】

 ローマ人はそのような質問に対する答えを、自分たちの政治制度の中に組み込み、保守主義を自分たちの合言葉にした。ローマ人は、妥当なものであれば公職者が富を所有することを問題視しなかった。キケロやポンペイウス、彼らの元老院の同僚たちは広大な農地を所有していた。ただし、ローマの法律では、商人が公職に就くことを禁じていた。それは、平野や羊といったものがもたらす古い富は、国家全体として何が最善かを真剣に考える余暇を人間に与えると考えられていたからである。しかし、投機的なビジネス・ベンチャーと結びついた新しい富は、国民を犠牲にして事業家と政治家が儲かる取引へと政治家を誘なう。

 歴史的に見て、なぜ個人の経済的利益のために政治家の立場を利用してはならないのか、と反論してきたのは自由主義派であった。

 19世紀、産業革命で新たに金持ちになったイギリスの実業家階級は、自由貿易の利点に気がついた。関税が下がれば、外国との競争で食料価格は下がり、工場所有者は労働者に払う賃金を安くできる。議会でこの見解を擁護したのは、後に自由党となったホイッグ党だった。自由主義の思想家は、労働条件を規制する法案の成立に反対を試みた。幼年労働を規制する法律にさえも反対した。それは自由市場経済の運営に大きな足かせになるからだった。

【 金持ちの義務 】

 イギリスの保守党はそれとは反対の立場をとり、少数派ではなく、多数派の利益を保護するための方策として、政府の規制を支持した。米国では最も保守よりだった米国憲法制定者のジョン・アダムスは、富と政治権力が無秩序に混じり合う考え方に、同じように反対した。

 政治哲学の中の政治と利益を結びつける学派に対してなされた次の反論をよく考えて欲しい。

 「我々の時代において、蓄積されたのは富だけではなく、強大な権力と独占的な経済支配が少数の人々の手に集中した。国家は最高の審判となるべきであり、すべての党派の論争を超越し、王者のやり方で統治すると同時に、正義と公益に集中すべきである。しかし、その国家が奴隷に成り下がり、人間の情念と強欲に仕えることを強いられている」

 これはマルクスではなく、ピウス教皇11世の言葉である。1931年、ローマ教皇の回勅が出され、典型的な保守派の組織であるローマカトリック教会は、政治が金持ちをさらに富ませる体制以上のものになる必要があると明確に認識していた。

 なぜそれがジョージ・W・ブッシュにはわからないのだろうか。彼こそ、ローマ教皇の言葉が真の思いやりある保守主義であることに、最初に気付く人物でなければならないはずだ。

 18世紀末、偉大なイギリスの保守派、エドマンド・バークはフランス革命の大失敗を哲学的に受け止めた。国王の首が落とされ、その死刑執行人たちも同様の仕打ちを受けた。次々と支配政党が変わり、政策が放棄され、すぐ次の党派が権力を握った。

 バークは、革命家の致命的な欠点は、伝統の代わりに判断力を利用しようとしたことだと考えた。何世紀もの歴史を予言できると考えたのである。

 バークは、これは逆でなければならないと結論づけた。人間の判断は間違うことがあり得るが、秩序立った社会は伝統に依存し、継続的に存在する家系に政治権力を保持させることになる。

 このようにして、政権保持者は実習を行わずとも、自分の先祖のやり方にならって政治的善悪の感覚を身に付けるのである。

【 保守派の主眼となるもの 】
 
 バークの着想は現代の保守主義の主眼となった。現米国大統領は、この命題の生きる証になるべきだ。彼の父は大統領で、祖父は上院議員だった。ブッシュ一族はすでに使いきれないほどの金を持っている。

 ジョージ・W・ブッシュは、古代ローマの元老院議員のように財産を有しているのだから、蓄財を目的にしてはいけないのである。

 それでも、就任してから100日間に、損益計算書に基づかない政策をブッシュはまだ発表していない。

 どうすればいいのか、と保守派が懸念するのももっともだ。おそらく今の段階で行えることはあまりなく、成熟した人間の精神はそれほど変わらないだろう。

 しかし、どんなに確固として見える政治的教義でも、最後まで懸命に努力してみる価値はある。したがって、ホワイトハウスに出入りできる誰かが、政策についてのメモを壁に張っておくといいかもしれない。クリントンを大統領選の勝利に導いたとされるスローガン、「わからないのか、問題は経済だ」に相当するような助言をブッシュに伝えるのである。

 しかし、保守派からすれば、ブッシュが気付くべき、また熟考すべきものは、全く逆の、より崇高なものだろうと思われる。

 「国家との関係は、胡椒やコーヒー、木綿やタバコ、またはその他のつまらない取引における協力者以上のものでなければならない」とバークは述べている。「国家は、もっと威厳のあるものと見なされなければいけない。国家との関係は、はかなく死滅する動物の存在に依存した物質に関する協力関係ではないからだ」

 保守派と自由派が対抗する政治標識だった時代は消え、代わりに、新しくもっと曖昧な現実へと変わった。政治家はいまだにその標識を使っているが、彼らは本当に内実を伴っているのであろうか。