No.672 新春の集い(質問と回答)

今年も「新春の集い」では多くの方々よりアンケートにコメントをいただきました。心から御礼申し上げます。アンケートと後日メールでいただいた質問、およびコメントについて下記のように回答させていただきました。

新春の集い

【質問その1】 石油に限りがあることは知っていましたが、石油がなくなる時期が目前にせまっていること、そして、車に頼っている私自身にも責任があることは衝撃でした。いつまでも続くと思っている生活、もしかしたらあっという間に崩壊するかもしれないのですね。 最近気付き始めていたのですがあえて考えようとは思っていなかった「楽をすること」と「豊かさ」は別のものだ、ということも改めて感じました。「足るを知る」ということが大切なのだと思います。実際自分が足るを知ることができるのか、今の時点ではわかりません。これからの自分の生き方次第だと考えていますが、そうなりたいと思っています。国や企業がやらなければ変わらないこともたくさんありますが、私がすぐに一人の人間として実行できること、例えば、無駄なアイドリングはしない、エアコンは不要になったらこまめに切る、など気付いたことはすぐに改めていこうと思います。そして、「幸せの価値観」について、「エネルギー」について、「環境問題」について、できるだけ多くの私のまわりの大切な人たちに伝えて、一緒に話をしてみようと思いました。もうひとつ印象に残ったのは、世界の人口を減少させる必要がある、ということ。いつかは自分も子供を産みたい、母になりたいとは思いますが、日本の少子化問題等の記事を読むと、出産経験のない自分は問題児に含められていると感じます。それなのに、子供を産まなくてよい、といわれたことに、大変驚きました。確かに世界の人口は増えすぎている気がします。そして、自分が責められているように感じることは気分のよいことではありません。しかし、衣食住が当たり前に満たされ、乱れた食生活の世界で生きている私達は、今の高齢者と異なり、そんなに長生きできないと思います。すると、いつか日本の人口は急激に減少するのではないでしょうか?知識不足のままこのように記述するのは失礼だと思いますが、子供を産まない人が増えていくと日本は将来どのようになっていくのかご意見を、ぜひお聞かせ頂きたいと思いました。

回答:おっしゃる通り、いつか必ず日本の人口は急激に減少することになります。それが上手く計画された上での減少であれば、日本に住む人々にとってよいことだと思います。しかしもし正しく計画されなければ、人口の減少は戦争や飢饉、伝染病の蔓延によってもたらされるでしょう。ですから今すぐに日本の人口減について真剣に計画を始めるべきだと思います。
現在、日本の人口は過剰です。人口密度は米国およびG7諸国の13倍でOECD諸国と比べても11倍です。日本の現在の人口は、信頼できる最も古い公式統計である1872年の約4倍にもなります。これはもちろん日本政府の政策によるものです。まず明治、そして昭和の軍国主義政府は戦争のために数多くの兵士を必要としました。そのために出産を奨励したし、また軍事工場を始めとする産業界での労働力も必要でした。富国強兵と「産めよ増やせよ」のスローガンのもと日本の人口は増えてきたのです。平成時代、金権主義になった日本政府は永田町や霞ヶ関の子分たちをうまく使って再び減りつつある人口をなんとか増やそうと画策しています。今度は「消費者」が必要だからです。戦争直後と違い、今はさまざまな製品があふれ生活に必要なものはほとんど間に合っていますから、新たな消費者となる子供が増えることが消費の増大をもたらします。ですからなんとしてでも、過剰生産で余っているものを買わせるためには、買い手、つまり人口を増やしたいのです。ではなぜ過剰に生産するのかといえば、企業経営者が利益をさらに増やすため、つまり買い手側の都合ではなく売り手側の都合なのです。
日本人の寿命が延び、ただ単に長生きするのではなく、より健康なお年よりが増えて人口過剰ではない環境の中で成熟した国家になることは恵みであると私は信じます。それを計画的におこない、その方向にうまく向かわせることが今日本にとって求められていると思うのです。食生活や衛生状態が改善され、医療が進歩したことによって長寿がもたらされ、また技術進歩によって生産性が向上しました。生産性が向上すると労働者あたりのアウトプットが増え、必要な労働者の数は減少します。これからは人口が減らないかぎり失業率は減らないでしょう。その一方で、日本政府は生活保護や弱者への福祉を切り捨てることによって富裕層や権力者に対する減税を行っています。失業の増加は貧困を増やすため、十分な福祉や手当てが削減されれば貧しい人はますます貧しくならざるをえなくなります。
日本の食料自給率は30%から40%しかなく、さらにエネルギー自給率は10%にも満たないことは多くの人が理解していることだと思います。ではこの事実を、日本の人口が過剰であるがゆえに起きているということとなぜ結びつけて考えないのでしょうか。明治の独裁者たちが徳川幕府を転覆させ日本の人口を4倍に増やす以前、つまり江戸時代には、食料もエネルギーも国内ですべて自給自足でした。日本は国内の資源で生き残ることができるような規模の人口に戻る必要があると思います。つまり少子化を問題にするのではなく、この日本列島が許容することができる数の人間で、幸せに、健全に暮らすことを追求する時期にあるのです。

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【質問その2】米国が京都議定書に署名しないことと本日の提起との関係についてお考えを聞かせてください。

回答:日本と同じように、米国も近視眼的で利己主義な人々によって支配されているということです。ほとんどの政治家にとってもっとも重要なのは選挙で当選することです。そのためには人気がなくなることを言ったりしてはならないし、または多くの選挙資金が必要です。日本でも米国でも巨額の政治献金を提供するのはほとんどが大企業です。米国の政治家が「世界の石油生産はピークを超え、これからは減耗する。豊かで安いエネルギーはなくなるから今のライフスタイルは続けられない」ということを国民に言わないのはこのためです。政治家は地球の生態系を破壊するような資源の使い方をやめさせ、無駄をしない生活にシフトすることを有権者に提案することは不人気につながり、自分への票を失うと思っているのです。環境問題を真剣に受け止めていない企業経営者も同じく近視眼的です。彼らにとっては短期間に高収益をあげることが唯一の目標で、そのためには経済をもっと早く成長させないといけないし、しかしそれによって地球の資源はますます早く枯渇に向かいます。環境も破壊されます。そんな企業は政治家が選挙資金を必要としていることを知っています。ですから政治家がピークオイルを無視するよう、環境破壊も無視するよう、政治献金を提供するのです。政治家や企業経営者は石油やその他天然資源を他の国から採り続けることが悪いとは思っていないし、地球で暮らす人々の共通のものである自然環境を破壊することも問題ないかのように振舞っています。おそらく豊かな大国に暮らす自分たちは、その環境破壊の影響を被るなどということは考えていないからかもしれません。また政治家も企業経営者も、石油を始めとする天然資源をわれわれの時代に大量に使ってしまうことは子供や孫といった将来の世代の人々の取り分までも使うことであり、地球環境の破壊はこれから生まれてくる未来の子供たちの環境を破壊していることだということも考えていないようです。
政治家でも企業経営者でもない普通の人々がこれらの問題に気づき、支配する立場にいる人々に圧力をかけない限り、これらの問題を解決する希望はないと思います。方向性を変えない限り、豊かな安いエネルギーが不足してくることで徐々に痛みがもたらされ、地球環境が損なわれていくでしょう。そのような痛みを豊かな国に暮らすわれわれが感じ始めた時には、痛んだ地球はもはや回復できないほどになっているかもしれません。

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【質問その3】 具体的な取り組みを自分でも考えたいと思います。社長もしくは企業として講演課題について取り組まれていることはありますか?

回答:個人としては、講演でお話しした内容について、つまり安い豊かなエネルギー資源が不足してくること、または人間だけでなく様々な生き物と共生しているこの地球環境をいかにわれわれは急速に破壊しているか、といった事柄について、本やインターネットなどでできるだけ多くの、さまざまな角度からの情報を集めています。それと同時になるべく少ないエネルギーでシンプルな生活をし、廃棄物や環境汚染を最小限にすることを心がけています。例えば、以下のようなことを行っています。
■あらゆる消費をなるべく少なくしています。モノを買う行為そのものが楽しみになってしまうと心の病気にもなりえます。つまり健康や幸福のために必要なものを楽しみながら買うのではなく、消費そのものが目的になるからです。
■買い物はできるだけ家の近くの小規模小売店でします。
■できるだけ機械からではなく人からモノを購入します。
■できるだけ機械ではなく人間が作ったものを買うようにしています。
■なるべく菜食に近い食事を心がけています。魚は食べますが、牛、豚、鶏などの肉食を減らしています。
■野菜はできるだけ地場でとれたものを近所のお店で買います。
■残飯はコンポストしています。
■不要なもの、もう使わないものはリサイクルにだします。
■家族も含めて自家用車は持たず、自動車での移動は最小限にしています。できるだけ徒歩か自転車を使います。できるだけタクシーではなく鉄道や地下鉄を利用します
■飛行機には乗らない、つまり外国にはもう行かないということです。外国旅行をするなら日本国内をもっと旅したいと思います。
■電気やエアコンの使用は最小限にします。
■生活をシンプルかつ自然に近づけようとしています。

企業としては、社員に対して石油の減耗問題や自然環境の破壊について気づかせ、問題意識を持たせるようにしています。それに加えて、以下のようなことを考えています。
■私が現在の自分の身長や体重で健康だと感じるように、企業にも健全な規模があると思います。ですから私は、我が社もお客様や日本社会、そして地球環境にふさわしい「健全な規模」を保つべきだと考えています。
■環境的に行き過ぎた社会で、我が社が役に立つことができる方法を模索しています。行き過ぎた社会(overshoot)というのは、日本列島が支えられるキャパシティを超えて成長した社会ということです。この列島の規模に適した生活モードや規模に縮小しなければいけないということです。

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【質問その4】国、政財界ともに50年先、100年先のことをあまり考えず、未来の子供にすべてのつけを回してしまっていると思います。自分たちの生きている間だけよければよいという考えを全国民が意識改革するにはどのようにすればよいのでしょうか。

我が社:私は現代の日本人を「在日日系人」と呼ぶことがあります。なぜなら今の日本人はこれまでこの列島に住んでいた人よりも、カリフォルニアやブラジルの日系人とのほうがより相似点が多いと思うからです。聖徳太子の時代から昭和20年まで、日本人は神道、儒教、仏教、武士道、日本や東洋の古典が中心の教育を受けてきました。しかし昭和20年以降、日本の教育はカリフォルニアやブラジルに住む日系人と同じようにそれらのことをほとんど教えません。この日本古来の教育の欠如が、日本が現在直面する問題の、例えば我々の子供や孫たちの世代のことをまったく考えなくなったことを含めて、原因となっていると思います。

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【質問その5】ポスト資本主義について大胆かつ勇気あるお話を聞けてよかったと思います。中国やインドが発展途上国から脱皮する前に、先進国がこの問題に対して答えを出さないと人類は跡200年ももたないのではないかと思いました。講演の前半部分は眠たい話だったので、後半部分をもっと厚く語っていただければよかったと思います。話されたポスト資本主義的な世界観と御社の事業展開がどう一体的に進んでいくのか興味をもちました。

回答:資本主義が、資本の提供者を富ませることのみに主眼をおいて経営することと定義されるのであれば、私が「資本家」になることはありません。また松下幸之助、本田宗一郎、立石一真、出光佐三、土光敏夫その他数多くの日本の高度成長期のリーダーたちも、その意味で資本家ではありませんでした。事業経営(ビジネス)とは、自分または他の人を雇用して人々の生活や幸福に欠かせない商品やサービスを提供することです。いつの時代も、このビジネス活動はあらゆる人間社会で重要な役割を担ってきました。事業者のほとんどは、自分の仕事(ビジネス)を資本の提供者を富ますためにしていたのではありません。資本家中心の事業経営というような考え方はごく最近、正確には過去200年くらいから、主にアングロサクソンの国で生まれた概念です。私はこれからもお客様の役に立つ、信頼できる製品やサービスを提供することで、社員に楽しくやりがいのある、そしてお金になる仕事を提供するために経営を続けるつもりです。外部の資本提供者に依存することを避けるために、これまでもそうだったように、経費を収益内に抑えるよう努力し、それができない時は外部資本を入れるために株を売るのではなく、銀行からの借入で経営をしていくつもりです。株主は自分たちを儲けさせるために利益をもっと上げるように我々に圧力をかけますが、銀行が要求することは、借りたお金を返すことと一定額の金利だけだからです。

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【質問その6】消費社会の問題を痛感しました。エコロジーソフトウェアとはなんでしょう。

回答:エコロジーソフトウェアに該当するものはわかりませんが、我が社は今、「情報活用」に焦点を当てています。それは企業のユーザが持っている情報資源をもっと効率的に使うことを助けることも意味します。我々のお客様の多くは、持てる情報資源をエネルギーの保全や、公害や廃棄物の削減のために活用しています。ですから情報資源を効率よく助けることはエコロジカルな社会に貢献しているということができると思います。

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【質問その7】学生時代に戻ったような論理展開で久しぶりに新鮮なショックをうけました。ただ、企業人としてはとまどいも感じざるを得ないというのが正直なところです。

回答:日本や米国のような民主主義社会では、その国の人々がどのような社会を築きたいのか、そしてその社会を築くためにどのようなことをすればいいのか、ということを決めるのは国民一人一人です。もちろん、我々は日々することがあります。オフィスや工場に勤める「企業人」や、その他さまざまな職業に就く人々、学生、または仕事はもたなくとも家庭で子供たちを育てる人々など、様々な人がいます。そして、各人に課せられた仕事以外に、われわれにはもう一つ、民主主義国家の一員としての務めがあると私は思っています。その務めの一つが、われわれがどんな社会を求めているのか、そのために何をすればよいのかを考えることで、その第一歩はまずそれを理解することです。どうかこれを理解するために、この社会がどのような仕組みになっていて、それをどのように改善したいのかを考えていただきたいと思います。学生であっても、企業人でも、この民主主義社会を改善するために何が必要で、どのように改善させるのかを考えること、話し合うことは古くさいことでも、人をとまどわすようなことでもないと思います。そして各人ができると思うこと、ふさわしいと思う活動をしていけばよいと思います。

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【質問その8】成長から縮小経済への移行の手順に関する具体的なアイデア(書籍)はありますか。

回答:私が読む本はすべて英語です。日本語に限定するなら、ローマクラブが「成長の限界」の最新版として出版した「成長の限界 人類の選択」(デニス・メドウズ著)をお薦めします。あとは講演でもお知らせした、石井先生のWebサイトをぜひ見ていただきたいと思います。http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/
石井先生は「豊かな石油時代が終わる」(発行(社)日本工学アカデミー、発売:丸善)という本もだしておられます。

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【質問その9】経済の成長を追及できなくなったほど、人類が発展してしまったということは生物の本来持つ、闘争心を表に出せないことになり、大きな意味で悲しいことだと思いますがやむをえないことなのかもしれません。

回答:私はそうは思いません。第一に、闘争心は人間が本来持っていたものなのでしょうか。私は人間に備わっているものではなく、ある社会、または環境下によって育まれるものではないかと思うのです。人間はもともと互いに協力するという精神性を持っています。歴史をみるとその協調性をうまく育て、生かしてきた社会がたくさんあります。また経済活動は、顧客に商品やサービスを提供し、社員に雇用を提供するという真剣なビジネスです。そこでは闘争心(または競争)よりも協調性のほうがずっと多く求められます。経済は闘争心を出すゲームではありません。闘争心を表に出したい人は経済成長の追及にではなく、スポーツとか、競争がもとめられるゲームなどをすればよいと思います。私は、闘争心はテニスコートで発散させ、ビジネスにおいてはなによりも協調を心がけています。