Left and Right
国家ロボトミーの双子の片割れ
by Fred Reed
2人の子供がいたとしよう。両方とも白人の男の子だ。彼らはワシントンDC郊外の中流家庭で生まれ育ち、同じように聡明で人気があり、女の子にもてるなど、満足のいく環境で育っている。一人はがちがちの保守派になり、もう一人はうるさいリベラル派になる。彼らはウーファー(低音スピーカー)とツイーター(高音スピーカー)だと思う。なぜ結果に差が出るのか?政治的指向は生まれつきのものであり、今日で言うところの遺伝的素質の結果である、というのが有力な説明のようだ。
行動特性で生物学的なことを決めるのは一般的である。個々人、人種、動物の種類により知能に違いがあることは、攻撃性、社交性、保護性に違いがあることと同様よく知られている。なぜ政治的傾向も同様に遺伝の問題であってはならないのか。私たちは考える人ではなくロボットであるとするのは納得いかない。
リベラル派と保守派の特徴がランダムにあるのではなく、まとまっていることを見れば、何らかの連関があるのを示している。例えば人種の統合を支持する熱烈な資本主義者や、知能に人種差がある可能性を考慮する情熱的なリベラル派はめったに見ない。特性の集合体を決定する根本的なパターンがあるようだ。
今日、この光り輝く無謬のコラムでは、特許出願中の以下の洞察を提案しよう。
最も純粋な状態において、保守派は冷酷であり、リベラル派はまぬけである。
これで左派と右派が団結し、私の血を渇望するリンチ集団となることを望む。どんな代償を払っても相互の礼節を、と言おう。私は偽の住所を残しておこう。ともかくいくつか意見を述べたい。
保守派は世界を爆撃で瓦礫にすることを望み、リベラル派は世界を母乳で育てることを望んでいる、と言うのはフェアではないかもしれない。だから言わない。でも誰も見ていないところでそう思うかもしれない。
リベラル派は、人種的、民族的、言語的な違いにかかわらず、新しく、異なるものにより安らぎを覚える。保守派は、かつての純粋で高潔な世界を懐かしむが、そんなものはたいてい存在していなかった。彼らは人種的、文化的にかかわらず、自分たちの集団に激しく忠誠を誓う傾向があり、警戒しながら敵対的と疑われる世界を見ている。リベラル派は新しい人形を持った3歳の少女が思いついたと思われる心温まるアイデアに後押しされ、未来に向かってめまぐるしく踊り出す。
また、我々が理性の結果と考える政治行動の生物学的起源を補強するものとして、女性は男性よりも攻撃的ではなく、男性は年齢を重ねアンドロゲンが低下すると闘争心が低下することが多いと言われている。しかし、女性は男性よりもバーで喧嘩をする傾向が少ないが凶暴な傾向がないわけではない。メンケンの「ミソジニスト(女嫌い)とは、女性がお互いを憎むのと同じくらい女性を憎む男である」という言葉を思い出す。
女性は男性よりも大事に育てられており、おそらく共和党に比べて、民主党にははっきりしないが顕著な女性的傾向があるのだろう。左派と右派の根本的な動機の間には確かに溝があり、リベラル派はより親切で、保守派はより現実的である。つまり、保守派はそもそもやるべきではないことをやるのが得意で、リベラル派はやるべきことをやらないのが得意だ。
保守派が夜中に恐怖で目が覚め、汗だくになる最悪の悪夢は、誰か人のためにお金を払うという考えだ。これは冷酷だ。対照的にリベラル派は、存在しないお金ですべての人のためにお金を払いたがる。これはまぬけである。
このことを理解するには、中国が厳格なテストによって優秀な若者を見つけ、それが国のためになるという理由で彼らの教育費を負担していることに注目してほしい。米国ではリベラル派は白痴を集めるためにテストを妨害し、保守派は教育費が高すぎるとして支払いを拒否している。実際、教育ができないように生徒が選ばれているのだから理にかなっている。これは中国にとっても良いことだ。
リベラル派はすべての人種や民族が暖かくフワフワと一緒に暮らすべきだと考えるが、保守派はむしろ湿潤皮膚病にかかったほうがましだといい、とにかくそうはならない。
リベラル派は国民皆医療費が無料になることを望んでいる。保守派はそれは費用がかかりすぎると反対する。これは「金が払えないなら死なせろ」と言っているようなもので、非情ではあるが、保守派から見れば現実的である。とにかく保守派は航空母艦のほうがいいのだ。
リベラル派は移民に好意的で、新しい人々、つまり潜在的な40数億人のすべてはより良い生活を望んでいるだけだと言う。保守派は彼らがどのような生活を送ろうと、他の場所で暮らす限りは気にしない。
保守派は、医学生は知能テストを受けるべきだと考えている。リベラル派は、有色人種の知恵遅れを入学させたがり、なぜならそうすることですべてを受け入れ、それがよいと思っているからだ。彼らは、頭が体のどの端に付いているかわからない「医者」は人を殺すだろうということを理解できないようだ。これはまぬけである。
保守派は、結果は意図的な選択から生じると信じている。つまり、IQ70で5人の先天性奇形児を持つ黒人の麻薬中毒の売春婦は、麻薬を使用するための代償として売春することにしたのだからそれが彼女が望む人生なのだ。白人の上流階級の女性は高いIQを持ち、エール大学に進学し、出産前に結婚することを決めた、だからそれが彼女の望む人生だ。それは選択の問題にすぎない。
リベラル派は、性格、ひいては行動は環境によって形成されるものであり、その行動をとる人の責任ではないと考えている。誰にも何の責任もないのだ。唯一の例外は白人で、彼らは悪意があり神を憎んでいる、あるいはもし神がいるなら憎むだろう。つまり、リベラル派は、知性は(存在していない)存在しない人種に等しく分布しているが、自由意志は、同じ人種(存在しない)のほうが他の人種よりも大きいと信じているのだ。頭が痛くなってきた。
くりかえすが、もっとも純粋な時、保守派は冷酷でリベラル派はまぬけなのだ。例えば、人種的な保守派はその陰惨な記録にもかかわらずアフリカの家畜奴隷制度は間違っていたと言うことができない。それは不合理ではなかった。奴隷制度は金儲けの手段として認められていた。これとは対照的にマイノリティを優遇するために大学やエリート校の識字テストを廃止しようとするリベラルの動きはまぬけだ。それは筋が通らず、結果としてなったのが、……そう今日のアメリカだ。
保守派は、ホームレスを人間の屑とみなす傾向があり、それは自らのモラルの欠如や無頓着さが招いた結果だとみている。彼らは同情に値しないし、人目につかないように不特定の措置がとられるべきだと。これは冷酷である。リベラル派は、ホームレスを税金でホテルに泊めたり、彼らのために住宅を建てたりしたがり、これは親切だが、これによってより多くのホームレスを生み出すだろう。少なくとも私自身は、本当に良いホテルに住めるならホームレスになってもいい。
リベラル派は黒人に奴隷制の賠償金を支払いたがっている。これは、奴隷にされなかった人に対して奴隷を使わなかった人がお金を払うよう要求することで、まぬけである。保守派は黒人とは一切関わりたくないし、彼らがどうなろうと知ったことではない。おそらく正確には非情ではないが、そのような傾向にある。
リベラル派の、やってもいないことを罪に問えるという信念は、絶妙にまぬけである。しかし、それは混乱を招く。例えば、私はエイブラハム・リンカーンを殺していないから、それゆえに有罪で、誰かに賠償しなければならない。おそらく他の80億人もリンカーンを殺していないので、これは恐ろしい割合の逆大量殺人になる。
リベラル派は、実際に黒人と接することもないのに黒人のためにいいことをしたがり、お金をあげてもが何の役にも立っていないことに気づいていないようだ。これはまぬけだがリベラルの特徴だ。
公平を期すために、リベラル派と保守派が共通の目標に向かって協力することもあることを指摘すべきだろう。例えばリベラル派は、狂気の社会政策によって国内を破壊し、保守派は悲惨で破滅的な戦争を続けている。同様に民主党は国境を開放し続けるために戦い、共和党は人種間の敵対関係を最大化するために働いている。これは有効な生存手段だ。わかるだろうか?希望はある。
リベラル派の思考の多くには、まぬけさ、時に「リスの要素」と呼ばれるものがある。例えば前述したように、保守派はテストで最も優秀な子どもたちを見つけ、そのレベルの学校に入れ、学生ローンでつぶしたいと考えている。リベラル派は文字通り、テストを禁止し、人種によって生徒を選別することがよいことだと思っている。まぬけの極みだ。また、成績不振者の、(存在しない)優秀な学生に対する恨みにもつけ込んでいる。ここでもまた、リベラルの優れた優しさが見られる。彼らはどのグループも取り残されたり不平等だと感じたりすることを望まない。だから裁判所の命令によって違いをなくそうとする。それはうまくいかないが、その精神が重要なのである。
これはパロディを誘う。NBAには、分厚いメガネをかけ、ジャンプショットが下手な高齢者はいない。本質的に異なる影響。賠償金が欲しい。タンジェリン・メタルフレーク・ラッカーを施したフルアップのコルベットでもいい。
一方、保守派の間で一般的で、資本主義として体系化されたIGMFY哲学(“I Got Mine, Fuck You”)(「俺は俺のものを手に入れた、お前なんかくそくらえ」)には、それなりの下流への影響がある。それは血に飢えた暴徒、ギロチン、火あぶりなどだ。私たちはまだそこに到達していない。まだね。
キッチンにワイルドターキーのボトルがある。私はそれと上手くやっていくつもりだ。