No. 2196 なぜ米国はウクライナ戦争の平和的終結交渉を手伝わないのか

Why won’t the US help negotiate a peaceful end to the war in Ukraine?

by Jeffrey D Sachs

お願いだから交渉を!

ロシアは2008年以来5度目となる提案をプーチン大統領が2024年6月14日に発表し、今回は安全保障に関する取り決めについて米国と交渉することを提案した。過去4回、米国は交渉の申し出を拒否し、戦争や秘密工作を通じてロシアを弱体化させたり解体させたりするネオコン戦略をとってきた。米国のネオコン戦術は大失敗し、その過程でウクライナは壊滅的な打撃を受け、全世界を危険にさらしている。さんざん戦争を煽ってきたが、今こそ、バイデンがロシアとの和平交渉を開始するときである。

冷戦終結以来、米国の基本戦略はロシアを弱体化させることだった。早くも1992年には、当時のリチャード・チェイニー国防長官が、1991年のソ連崩壊後、ロシアも解体されるべきだと述べた。ズビグニュー・ブレジンスキーは1997年、ロシアはロシア領ヨーロッパ、シベリア、極東の3つの緩やかな連合体に分割されるべきだとの見解を示した。1999年、米国主導のNATO同盟は、ロシアの同盟国セルビアを78日間空爆した。セルビアを解体し、分離独立したコソボに大規模なNATO軍事基地を設置するためだった。米国の軍産複合体のリーダーたちは、2000年代初頭のロシアに対するチェチェン戦争を声高に支持した。

こうした米国の対ロシア進出を確保するためにワシントンは、ドイツから1インチも東方に動かないというミハイル・ゴルバチョフやボリス・エリツィンと約束にもかかわらず、NATO拡大を積極的に推し進めた。最も偏向的だったのは、クリミアのセヴァストポリにあるロシアの海軍艦隊をNATO加盟国で囲い込むという考えから米国がウクライナとグルジアへのNATO拡大を推し進めたことだ。ウクライナ、ルーマニア(2004年NATO加盟)、ブルガリア(2004年NATO加盟)、トルコ(1952年NATO加盟)、そしてジョージアで、クリミア戦争(1853年~1856年)における大英帝国のやり方そのままのアイデアである。

ブレジンスキーは1997年に、2005年から2010年にかけてのウクライナのNATO加盟を含む、NATO拡大の年表を綴った。実際、米国は2008年のNATOブカレスト・サミットで、ウクライナとグルジアのNATO加盟を提案した。2020年までに、中欧、東欧、旧ソ連の14カ国に拡大し(1999年にはチェコ、ハンガリー、ポーランド; ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア(2004年)、アルバニアとクロアチア(2009年)、モンテネグロ(2017年)、北マケドニア(2020年)、一方でウクライナとジョージアの将来的加盟を約束したのである。

要するに、チェイニーとネオコンによって構想され、それ以来一貫して進められてきた米国の30年来のプロジェクトは、ロシアを弱体化あるいは解体させ、ロシアをNATO軍で包囲し、ロシアを好戦的な国として描くことだった。

こうした厳しい背景の中、ロシアの指導者たちはNATO圏だけでなくすべての関係国に安全保障を提供するような安全保障協定をヨーロッパや米国と交渉することを繰り返し提案してきた。ネオコンのゲームプランに導かれた米国は、交渉の欠如をロシアになすりつけようとする一方で、あらゆる場面で交渉を拒否してきた。

2008年6月、米国がNATOをウクライナとジョージアに拡大する準備をしていたとき、ロシアのメドベージェフ大統領は、集団安全保障とNATOの単独行動主義の終焉を求める欧州安全保障条約を提案した。しかし米国はロシアの提案にまったく関心を示さず、かわりに長年の懸案であったNATO拡大計画を進めた。

2度目のロシアの交渉提案は、2014年2月のウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコヴィッチの暴力的な転覆の後にプーチンから出された。クーデター後の政府が緊急の経済協議のために私を招いたので、私は偶然にも米国の加担を間近で見ることになった。キエフに到着すると私はマイダンに連れて行かれ、そこでマイダン抗議活動に対する米国の資金提供について直接聞かされたのである。

米国がクーデターに加担していた証拠は数多くある。ビクトリア・ヌーランド国務次官補は2014年1月、ウクライナの政権交代を画策しているところを電話回線でキャッチされた。一方、米国の上院議員は個人的にキエフに赴き、抗議デモをあおった(2021年1月6日に中国やロシアの政治指導者がワシントンDCに来て群衆を煽るようなものだ)。2014年2月21日、ヨーロッパ、米国、ロシアはヤヌコビッチとの取引を仲介し、ヤヌコビッチは早期選挙に同意した。しかし、クーデター指導者たちは同日、この取引を破棄し、政府庁舎を占拠し、さらなる暴力を予告し、翌日ヤヌコビッチを退陣させた。米国はクーデターを支持し、即座に新政府を承認した。

私の見解では、これはもっとも標準的なCIAの秘密の政権交代作戦であり、世界中で数十回行われている。これについてはリンゼイ・オルーク教授が丹念に記録した1947年から1989年までの64のエピソードがある。秘密の政権交代作戦はもちろん完全に隠されているのではないが、米国政府はその役割を声高に否定し、すべての文書を極秘にし、組織的に誤った情報を世界に提供している。「自分の目で見たことを信じるな!米国はこの件には無関係だ」と。しかし、目撃者、内部告発者、情報公開法に基づく文書の強制公開、数年後あるいは数十年後の機密解除、回顧録などを通じて、作戦の詳細はやがて明らかになってきているが、どれも本当の説明責任を果たすには遅すぎた。

いずれにせよ、暴力的なクーデターによってウクライナ東部のドンバス地域はクーデターの指導者たちから離反した。指導者たちの多くは極端なロシア嫌いのナショナリストで、過去にナチス親衛隊とつながりがあった暴力集団もいた。すぐにクーデター指導者たちはロシア語圏であるドンバス地域でもロシア語の使用を抑圧する措置をとった。その後の数カ月から数年間、キエフ政府はネオナチの準軍事組織と米国の武器を投入し、離脱地域を奪還するための軍事作戦を開始した。

2014年になるとプーチンは交渉による和平を繰り返し呼びかけ、2015年2月にはドンバスの自治と双方による暴力の停止を柱とするミンスク第2協定が結ばれた。ロシアはドンバスをロシア領とは主張せず、ウクライナ内での自治とロシア系民族の保護を求めた。国連安全保障理事会はミンスク第2協定を承認したが、米国のネオコンが内々に反故にした。数年後、ドイツのメルケル首相が真実をぶちまけている。西側諸国はこの合意を厳粛な条約としてではなく、ウクライナに軍事力を増強する「時間を与える」ための遅延戦術として扱ったのだ。その間、2014年から2021年にかけてドンバスでの戦闘で約1万4000人が死亡した。

ミンスク第2協定の決定的な破綻を受けて、プーチンは2021年12月に再び米国との交渉を提案した。その時点では、問題はNATOの拡大にとどまらず、核武装という根本的な問題にまで及んでいた。米国のネオコンは一歩一歩、ロシアとの核軍備管理を放棄していった。2002年に米国は対弾道ミサイル(ABM)条約を一方的に破棄し、2010年以降はポーランドとルーマニアにイージス艦を配備し、2019年には中距離核戦力(INF)条約から離脱した。

こうした切実な懸念を鑑みたプーチンは2021年12月15日、「安全保障に関する米国とロシア連邦との間の条約」草案をテーブルに載せた。テーブルの上の最も直接的な問題(条約草案の第4条)は、ウクライナにNATOを拡大しようとする米国の試みを終わらせることだった。私は2021年末にジェイク・サリバン米国家安全保障顧問に電話し、交渉に入るようバイデン ホワイトハウスを説得しようとした。私の主な助言は、ロシアにとって真っ赤な一線であるNATO加盟よりもウクライナの中立を受け入れることでウクライナでの戦争を回避することだった。

ホワイトハウスはこの忠告をきっぱりと拒否しNATOのウクライナへの拡大はロシアには関係ない、と驚くべき(そして鈍感な)主張をしたのである!しかし、もし西半球のどこかの国が中国やロシアの基地を受け入れると決めたら米国はどう言うだろうか?ホワイトハウスや国務省や議会は、「ロシアや中国とその受け入れ国だけの問題だ」と言うだろうか?1962年、ソ連がキューバに核ミサイルを配備したとき、世界は危うく核ハルマゲドンに至るところだった。米国は海軍の検疫を課し、ロシアがミサイルを撤去しなければ戦争になると脅した。米国国境近くの基地がロシア軍や中国軍に属さないように、米国の軍事同盟はウクライナに属するものではない。

プーチンの4度目の交渉の申し出は2022年3月、2022年2月24日に始まったロシアの特別軍事作戦の開始からわずか数週間後、ロシアとウクライナが和平協定を締結しかけたときだった。ロシアは再び、ウクライナの中立性という大きなものを求めていた、 つまりNATOの加盟も、ロシア国境に米国のミサイルを駐留させることもないということだ。

ウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領はすぐにウクライナの中立を受け入れ、トルコ外務省の巧みな仲介で、ウクライナとロシアは書類を交換した。そして突然3月末、ウクライナは交渉を放棄したのである。

英国のボリス・ジョンソン首相はクリミア戦争(1853~1856年)にさかのぼる英国の反ロシア戦争煽動の伝統に倣い、実際にキエフに飛んでゼレンスキーに、中立を否定し、ウクライナが戦場でロシアを打ち負かすことの重要性を警告した。その日以来ウクライナは約50万人の死者を出し、戦場では窮地に立たされている。

6月14日、ロシア外務省で行われた外交官向けの演説で、プーチン自身が明確かつ理路整然と説明した。プーチンは、ウクライナの戦争を終わらせるためにロシアが提案する条件を示した。

プーチンは、「ウクライナは中立、非同盟の立場を採用し、核を持たず、非軍事化と非ナチ化を受けるべきだ。これらのパラメーターは2022年のイスタンブール交渉で大筋合意されたもので、合意された戦車やその他の軍備の数など、非武装化に関する具体的な内容も含まれている。我々はすべての点で合意に達した」と述べた。

「もちろんウクライナのロシア語を話す市民の権利、自由、利益は完全に保護されなければならない。クリミア、セヴァストポリ、ドネツク、ルガンスク人民共和国、ケルソン、ザポロージェ地域がロシア連邦の一部であるという新たな領土的現実を認めるべきである。これらの基本原則は、将来的には基本的な国際協定によって正式に定められる必要がある。当然のことながら、これには西側の対ロ制裁をすべて撤廃することも含まれる」とも述べた。

交渉について一言言わせてほしい。.

ロシアの提案は、米国とウクライナの提案によって交渉のテーブルで受け入れられるべきである。ホワイトハウスは、ロシアの提案に同意できないからといって交渉を回避するのは大間違いだ。ホワイトハウスは自らの提案を提出し、戦争終結の交渉に取りかかるべきだ。

ロシアにとって重要な問題は3つある: ウクライナの中立(NATOの非拡大)、クリミアをロシア領とすること、ウクライナ東部と南部の境界変更である。最初の2つはほぼ確実に譲れない。NATOの拡大終了は基本的な事由である。クリミアもまたロシアにとって重要で、なぜならクリミアは1783年以来ロシアの黒海艦隊の本拠地であり、ロシアの国家安全保障の根幹をなすものだからだ。

3つ目の核心問題であるウクライナ東部と南部の国境は、交渉の重要なポイントになるだろう。1999年にNATOがセルビアを空爆してコソボを放棄させ、米国がスーダンに圧力をかけて南スーダンを放棄させた後、米国は国境は神聖なものだ(変えられない)というふりはできない。そう、10年にわたる戦争、戦場での状況、地元住民の選択、交渉の席でのトレードオフの結果、ウクライナの国境は引き直されるのだ。

バイデンは、交渉は弱さの表れではないことを受け入れる必要がある。ケネディが言ったように、「恐れから交渉してはならないが、交渉することを恐れてはならない」。ロナルド・レーガンは、ロシアのことわざ「信頼せよ、されど確認せよ」を使って自らの交渉戦略を説明したことで有名だ。

ロシアに対するネオコンのアプローチは、最初から妄信的で思い上がったものであり、破綻している。NATOはウクライナとジョージアには決して拡大しないだろう。ロシアはCIAの諜報活動によって打倒されることはないだろう。ウクライナは戦場でひどく血まみれになっており、しばしば1日に1000人以上の死傷者を出している。失敗したネオコンのゲームプランは我々を核のハルマゲドンに近づけている。

それでもバイデンはまだ交渉を拒否している。プーチンの演説を受けて、米国、NATO、ウクライナは再び交渉をきっぱり拒否した。バイデンと彼のチームは、ロシアを倒してNATOをウクライナまで拡大するというネオコンの幻想をいまだに捨てていない。

ウクライナ国民は、ゼレンスキーやバイデンをはじめとするNATO諸国の指導者たちによって、何度も何度も嘘をつかれてきた。彼らは、ウクライナは戦場で勝利し、交渉の選択肢はないと、偽りの言葉を繰り返し伝えたのだ。ウクライナは現在、戒厳令下にある。国民は自国の虐殺について何の発言権も与えられていない。

ウクライナの存続のために、そして核戦争を回避するために、米国大統領には今日ひとつの重大な責任がある: 交渉だ。

Why won’t the US help negotiate a peaceful end to the war in Ukraine?