No.5 コロンブスとインディアンと人間の進歩と(前編)

 現代は情報社会であり、人々の生活は昔よりも良くなってきているといわれています。しかし、本当の意味で情報社会といえるのでしょうか。指導者や一部の支配者階級が思想統制のために流しているプロパガンダ(宣伝活動)社会なのではないでしょうか。情報が氾濫する中、それは事実なのか、誤った情報を正しいと信じ込まされているのではないか、また何が真実かを誰が決めているのか、真実を見極められるような教育を我々は受けて

 賢人ジョージ・オーウェルは「過去を支配するものが将来を支配し、現在を支配するものが過去を支配する」と書いている。つまり、我々の社会を支配するものがその歴史を記す立場にあり、それができる者が将来をも左右するということだ。だからこそコロンブスについて事実を伝えることが重要なのである。

 正直に告白すると、A People”s History of the United States(『民衆のアメリカ史』TBSブリタニカ刊)の執筆を始める12年前まで、私自身、コロンブスのことはほとんど何も知らなかった。コロンビア大学で歴史の博士号を取得している私でさえ、コロンブスに関する知識は小学校で習ったこととあまり変わらなかったのである。

 しかし、この本を書くに当りコロンブスのことを学ばなければならなくなった。有り触れたアメリカ史にはしたくなかったからである。歴史の本がこれまで無視してきたアメリカ先住民、黒人奴隷、女性、労働者の視点からアメリカ合衆国というものを捉えてみたかった。ロックフェラーやカーネギーなど富豪のではなく、労働者の立場からこの国の産業の進歩について語ってみたかった。また、英雄の立場ではなく、兵士や敵の目を通した戦争の話を伝えたかったのである。

 コロンブスを取り上げる場合、まず最初に思いついたのが先住民(アメリカ大陸をアジアと勘違いしたが故に「インド人(インディアン)」と呼ばれることになった)の目からコロンブスを捉えることである。しかし、先住民は伝記や歴史というものをまったく残していないし、20~30年でほぼ絶滅している。そこで、次に考えたのはスペイン人であり、まずはコロンブス自身の視点である。

<コロンブスが見たアメリカ原住民>

 コロンブスは日記をつけていた。そこには、バハマ諸島に上陸した時、先住民(アラワク族)にとって自分達は別世界の人間に思えたはずなのに、数々の贈り物を手に海の中まで出向いて歓迎してくれたと記されている。コロンブスが、穏やかで優しいと形容した先住民は、「武器を持たないどころか、その存在さえ知らない。私がサーベルを見せたら刃の方を持って手を切ったくらい」であった。

 上陸後数カ月間にスペインの後援者に宛てた手紙には「彼らは極めて純真かつ正直で、決して物惜しみしない。自分の持ちものを乞われればそれが何であろうと与えてしまう」と書いている。しかし、日記の中に突然次のような一節が現われる。「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば彼らを一人残らず服従させられるし、望むことをなんでもやらせることができるだろう」。これがコロンブスのインディアンに対する見方である。客を手厚く持て成す主人としてではなく、「自分達の望むことをやらせる」ための「召し使い」として見ていたのである。コロンブスは一体何が欲しかったのであろうか。それを見極めるのはそれほど難しいことではない。なぜなら、最初の2週間分の日記の中に「黄金」という言葉が75回も登場するからだ。

<十字架と絞首台>

 コロンブスの話の中でいつも強調されるのは、彼の宗教心と、先住民をキリスト教に改宗させたいという願いである。コロンブス達の主な滞在地、エスパニョーラ島には至るところに十字架が立てられた。しかし、それと並べて絞首台も立てられ、1500年には340台を数えている。十字架と絞首台が並んで立っていたとはなんたる歴史的事実だろうか。実のところ、コロンブスは神よりも黄金に対する執着心の方が強かったようだ。インディアンが持っていたわずかばかりの黄金を見ただけで、それが大量にあるはずだと思い込み、いついつまでにこれだけの黄金を探し出すようにと命令したのである。そのノルマを達成できなければ、他の先住民への見せしめのために腕をたたき切ったという。

 ハーバードの歴史家で、コロンブスを尊敬する伝記作家のサミュエル・エリオット・モリソンもこの点は認めている。「この身の毛のよだつような制度を誰が考えたにしろ、輸出用黄金の唯一の産出方法として、コロンブスがそれを実行に移したことに疑いはない。山に逃げたものは猟犬に追われ、たとえ逃げおおせたとしても餓死あるいは病死した。また、絶望した先住民はその惨めな生活に終止符を打つために毒を飲んだ。コロンブスの制度によって、地上の楽園だったエスパニョーラの急激な人口減少が始まったのである。民族学者の推定では、元々30万人いた先住民のうち3分の1が1494~96年の2年間に死亡したという。1508年には残った先住民の数はさらに6万人に減り、1548年には生存者が500人いたかどうかも疑わしいとされている」

<コロンブスが始めた奴隷制>

 しかし、それでもスペイン国王や融資家を驚かせるほどの黄金は産出できなかった。そこで、もうひとつの略奪品として奴隷をスペインに送り始めたのである。約1,200人の先住民の中から500人を選び、大西洋を渡る船にぎっしり詰め込んだ。途中、寒さと病気のために200人が死亡した。1498年9月のコロンブスの日記には、「三位一体の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」とある。

 スペイン人がインディアンにどれだけ酷いことをしたかは、バルトロメ・デ・ラスカサスによって克明に描かれている。ラスカサスはコロンブスより2~3年遅れて渡ったドミニコ修道会の宣教師で、エスパニョーラ島と近くの島で40年間過ごし、スペインでインディアンの人権を主唱した人物である。ラスカサスは彼の著書の中でインディアンについて、「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しかし、この羊の檻の中にスペイン人が突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして殺戮や破壊行為を正当化した」と書いている。ラスカサスは兵士がふざけてインディアンを刺し殺したり、赤ん坊の頭を岩に投げつけている光景を目にした。元々”所有”という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、スペイン人のものを手にした場合には打ち首か火あぶりにされたという。強制労働が大半の先住民を病気と死に追いやった。過重労働と飢えで母親の乳が出ないために多くの子供が死んだ。ラスカサスは3カ月で7,000人の子供達が死亡したと推定している。さらにヨーロッパから、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気が運ばれ、それが最大の死因になった。

<二人の合意の上に成立したレイプ!?>

 軍隊による征服では必ず女性が酷い目に遭う。クネオというイタリア人貴族は次のように書き残している。「海軍司令長官(コロンブス)から与えられ、自分も肉体的な欲求を抱くカリブの美人を捕まえた。私はその欲求を満たしたかったが、女はそれを望まず、爪で私を傷つけたため、ロープを取り出し激しく打ち付けた。そしてとうとう2人は合意に達したのである」。先住民女性に対するレイプが横行していたことを裏付ける証拠は他にもある。モリソンは「バハマ、キューバ、エスパニョーラでは、若くて美しい女性がほとんどどこででも全裸で過ごしていたことから、従順だと思われていた」と書いている。従順だと思い込んだのは誰なのか。多くの男達がモリソンと同様に考えたのは間違いない。

 モリソンは多くの作家同様に、この征服をロマンチックな冒険と捉え、男性的な勇ましい征服に酔っているかのようだ。「1492年10月、新世界が征服者のカスティリア人の前に屈服し優雅にその処女性を与えた時の驚きと不安、そして歓喜を呼び起こすことは不可能であろう」と記している。クネオ(「二人は合意に達した」)とモリス(「優雅に与えた」)の言葉は500年の歳月を隔ててなお、残忍な性行為を「従順」に受け入れたと見なすことですべてを正当化してしまう伝統が、現代史に一貫して流れていることを示唆する。だからこそ私は、従来の歴史書ではなく、コロンブスの日記やラスカサス、そしてKoningのColumbus: His Enterpriseを頼りにしたのである。

<読者の驚き>

 私の本『民衆のアメリカ史』が出版されると全米中から手紙が届き始めた。この本はコロンブスの時代から1970年までを取り上げているにも拘わらず、読者からの手紙の大半がコロンブスだけに焦中している。

 オレゴン州タイガードの高校から20~30通の手紙が毎学期届くようになった。どうもそこの学校の先生が生徒に私の本の一部を読ませ、それについてのコメントと質問を書かせているらしい。その手紙の半数は真実を教えてくれたことを感謝するというものだが、残りの半分には憤りが感じられ、どうやってこのような情報を入手したのか、またどうしてこのような酷い結論に達したのかと懐疑的である。

 17才のブライアンは次のような手紙をくれた。「コロンブスの部分を読んで混乱してしまいました。まるでコロンブスは女と奴隷と黄金のためにアメリカに渡ったようです。また、インディアンを虐待したと書かれています。先生はこれらの情報をコロンブスの日記から入手したといいますが、日記は実在するのでしょうか。もしそうだとすれば、なぜ私達の歴史の中にその情報が取り込まれないのでしょう。なぜ先生がおっしゃるようなことが私の教科書や一般の歴史の本には出ていないのでしょうか」。

 この手紙の内容について考えてみた。他の歴史の本が、私が伝えたようなことを取り上げていないことに対して怒っているとも受け取れるが、それよりも「あなたが書いていることなど一言も信じられない。でっちあげたのだろう」といっているようだ。私自身はこのような反応にそれほど驚いていない。何世代にもわたりコロンブスについてまったく同じことを学び、同じ部分が欠落したまま教育を終えているという紛れもない事実は、米国文化の多元性や多様性の追及、「自由社会」への誇りに対して何かを物語っているのではないだろうか。

<海を愛する少年コロンブス>

 オレゴン州ポートランドの教師、ビル・ビゲローはコロンブスの伝記の指導方法を全米で改革するように運動を起こした。彼は新しいクラスを受け持つと、前列に座っている女生徒の所に行って財布を取り上げる。そして女生徒が「私の財布を取った」というと、「違うよ。これは私が発見したんだよ」と答えるのだという。

 ビゲローがコロンブスに関する最近の子供の本を調査したところ、どれもが非常に似通っていたという。典型的な小学校5年生向けのコロンブスの伝記は、「あるところに海を愛する少年がいました」で始まっている。また2年生の場合には、「国王と女王が黄金とインディアンを目にし、コロンブスの冒険談を聞いて驚かれました。そしてみんなで教会に行き、祈りと歌を捧げました。コロンブスの目には涙が溢れていました」という内容だ。

 教師とコロンブスについて話した時、一人の教師が生徒はラスカサスやその他の恐ろしい話を聞くにはまだ幼すぎると指摘した。しかしこの指摘では、大学院を出るまで事実を知らされなかったという私個人の経験や、私の本でショックを受けたという反応は年令を問わず全世代から寄せられているという事実を正当化できない。それにいわゆる大人の本の例として、コロンビア百科辞典をひもといても、コロンブスや彼の仲間の残虐行為については一言も触れられていない。

<国民的英雄による大虐殺>

 1986年版のColumbia History of the Worldには、コロンブス自身が先住民に対して行ったことについて何も書かれていない。「アメリカ大陸のスペインとポルトガル」としては数ページが割かれているが、当時の神学者、または今日の歴史家間の論争の焦点として提示されているに過ぎない。「インディアンの改宗に対する国王と教会の決意、新地開拓のための労働力の必要性、スペイン人によるインディアン保護の試み、これらすべてが非常に複雑な習慣や法律、機関の設立につながった。そして、現在でも、スペインのアメリカ支配に関して、歴史家が矛盾した結論を導く原因になっている。学界ではこのように解決できない疑問について活発に論争が繰り広げられているが、蛮行、過重労働、病気が急激な人口減少につながったことに疑いの余地はない」。

 学問的な言葉を使ってはいるものの、奴隷制や強制労働、レイプ、殺人、人質、ヨーロッパからの病気の蔓延、先住民の大量減少についてはっきりと書かれている。しかし一つ問題なのは、これらの事実にどれだけ重きを置くか、そしてどうやってその事実を現代の問題と結び付けるかである。

 例えば、モリソンはコロンブス達の原住民に対する仕打ちをある程度克明に記し、この「発見」の総体的な影響を「計画的絶滅(ジェノサイド)」という言葉で表しているが、コロンブスを賞賛する部分がやたら長く、このような表現はその中に埋もれてしまっている。モリソンは、有名な著書、『航海者クリストファー・コロンブス』の結論部分で自分の見方を次のようにまとめている。「彼にも誤りがあり欠点があった。しかし、その大半は彼を偉大ならしめた特性、つまり不屈の意志や、神への信仰心や、大洋のかなたの国へのキリスト教伝道者としての使命感や、無視と貧困と失意にもめげぬ頑固なまでの一貫性に伴う欠点である。しかし、彼のすべての特性のうち最も卓越した、最も本質的なものである船乗りとしての識見と能力には、なんらの欠点も後ろ暗い面もなかった」

 私の立場を明確にしておきたい。私はコロンブスを糾弾したい訳でも、称賛したい訳でもない。それをするには遅すぎる。私にとって、コロンブスの伝記が重要なのは、それが自分達について、現代について教えてくれると同時に、今世紀または来世紀に関する決定についても参考になるからである。

[Columbus, the Indians, & Human Progress 1492-1992 — Pamphlet #19 of Open Magazine Pamphlet Series Open Media, May 1992.より抜粋翻訳]

※ Howard Zinnはボストン大学の名誉教授であり、米国で最高権威の歴史家の一人である。Zinn教授は第二次世界大戦の爆撃手として勲章を受けており、公民権運動やベトナム反戦運動に熱心であったことでも知られる。独創的な著書、”A People”s History of the United States”は大学で広く使われている。その他の主な著書には、”Declarations of Independence”や”You Can”t Be Neutral on a Moving Train”がある。

※ Open Magazine Pamphlet Seriesは、ニュージャージにあるOpen Mediaが出版する小冊子で、政治、社会、経済を問わず我々を取り巻く様々な問題を取り上げている。最近出版されたものの中には、Media ControlやNAFTA, GATTT & The World Trade Organizationなどがある。

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