コソボでの民族紛争をめぐるNATOとユーゴの武力対決は、6月10日にユーゴ軍の撤退の確認をもって収束に向かうことになりました。ここでもう一度、NATOがユーゴを空爆した本当の理由が何であったのかを確認すると同時に、今後のコソボの行方を分析するために、以下に2つの記事をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
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米国がユーゴを空爆する本当の理由
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チャック・シャー
FLORA Community Web 1999年4月24日
米国主導の多国籍軍によって、またもや主権国家が空爆され、それが人道的理由によって正当化された。米国の指導者たちは、セルビア人の民族浄化、さらには大量虐殺をやめさせなければならないと主張した。しかし、米国のこの主張を鵜呑みにする前に、米国の行ったこと、行わなかったことについて検討してみよう。そこから自ずと明らかになることがあるはずだ。
米国の行動の真の理由が人道的問題にあったとすれば、なぜ米国政府は、クルド民族を残虐に抑圧するトルコを爆撃しないのか。トルコは同盟国として米国に有益だからであろうか。またなぜ米国政府は、コロンビア政府に兵器を供給しているのだろうか。それを使ってコロンビア政府は毎年何千人もの政治犯を殺害している。ノーム・チョムスキーはこう記している。「コロンビアとトルコは、(米国が支援する)残虐行為が、自分たちの国をテロリストであるゲリラの脅威から守るためのものだと説明している。これはユーゴスラビア政府の主張と同じである」
ユーゴスラビアの内戦では全陣営が残虐行為を行った。しかし、NATOの監視団、ウィリアム・ウォーカーによる、コソボ民族が皆殺しにされたという報告を我々は信じてよいのだろうか(これが米国介入の理由だったが、『ル・モンド』、『ル・フィガロ』の両紙をはじめ、欧州紙はこれに異議を唱えた)。ウォーカーといえばイラン・コントラ事件の中心人物であるオリバー・ノース中佐の手下で、米国が訓練した暗殺隊がエルサルバドルを弾圧した1980年代後半にエルサルバドル大使でありながら、何も行わなかった人物である。
パレスチナ人は、徐々に、だが確実に、アラブ東エルサレムおよびヨルダン川西岸地区の他の区域から締め出されている。これは占領軍が紛争で獲得した領域に自国民を移民させることを禁じたジュネーブ条約に直接違反する。米国政府がそれに抗議しないのはなぜだろうか。インドネシアから占拠および集団虐殺を受ける東ティモールでは、独立の戦いが続いている。なぜここでも米国政府は東ティモールを支援しないのか。これ以外にも、いくつもの例を挙げることができる。これらはいずれも、人権侵害を黙認していた方が米国の地政学的な目的から有益だと見なされているためである。
歴史を遡り、その記録をひもとけば、米国は好きな時に他国を侵略または爆撃し、第三世界の最悪の独裁者を支援してきたが、その際、米政府の真の動機、つまり米国の世界における金融または地政学的な権益を増やすという動機を覆い隠すために「人道主義」を主張してきた。スーダンとアフガニスタンでは違法かつ無用の空爆を行った。米国主導の経済制裁によってイラクでは、過去8年間に栄養失調と水質汚染による病気で罪のない百万人以上の民間人が死亡した。国際法を犯して主権国家であるパナマに侵略し、数千人の民間人を死亡させる原因を作った。グアテマラとエルサルバドルでは、米国政府により訓練・支援された軍隊によって数十万人の農民が殺された。ベトナム戦争はまさに「焦土政策」で、300万人ものベトナム人を殺害した。アメリカ原住民を祖先の土地から追い出したのは民族浄化の元祖ともいえる。その米国には、他人に対してとやかくいう道義的権限などまったくない。
米国のユーゴ空爆の理由から人道的配慮を取り除けば、真の理由が簡単に見えてくる。第一に、米国は国連よりNATOの方が軍事的道具として米国の自由になりやすいと判断し、今回のコソボがその良い例となった。国連は決してセルビアへの武力攻撃を承認しないであろうが、NATOは米国の要求でそれを承認すると思われ、実際その通りになった。これは国際法と国連憲章に真っ向から反するものであり、さらにその存在を純粋な防衛的同盟だとするNATO憲章にも違反する。しかし、世界唯一の超大国であるということは、決して謝罪する必要のない、あるいは法の支配のもとに自分の行動を正当化しなくてよいということを意味する。
第二に、カスピ海地域には西側企業が支配を望む、何兆ドル規模の石油が埋蔵されている。米国はイランやロシアを経由させるのではなく、バルカン諸国を経由させるパイプラインの建設を計画している。そのためには、米国のいいなりになる従順な政権がバルカンに必要なのだ。
第三は、米国の他の国における政策同様、バルカン政策のもう1つの動機は、国防総省の年間予算、約3千億ドルを正当化する裏付けが必要だったからである。その裏付けにより、米国企業の利益を代表した、自称「世界の警察官」としての地位を維持するためである。米国の税金の使い道として、米国民はこれを許せるだろうか。
最後に、ユーゴスラビアはチトー政権下では比較的成功した社会主義国家であり、米国のイデオロギー的覇権主義の脅威であった。そのため、1989年以降、IMFと世界銀行(共に米国の金融利権が支配している)はユーゴスラビアに公共部門の大幅な削減を行わせた。この政策および米国が支援した経済制裁によって、ユーゴ経済の大部分が崩壊し、1990年から1993年にGNPは50%も減少した。これにより、極端な貧困、大量失業、そして第二次世界大戦以降抑えられていた民族間の緊張が一気に増加した。
事実、これは1989年のソ連崩壊以来、米国が画策してきたことであった。ソ連が崩壊した時、第二次世界大戦後に社会主義政府を押し付けられた他の東欧諸国とは異なり、45年間にわたりチトー元帥の下で独立社会主義政府を維持してきたユーゴスラビアは、その間手にしたものを自ら手放そうとはしないだろうと、米国の地政学計画者は考えた。大企業がこの地域全体に完全かつ自由にアクセスできるようにするには、ユーゴを力で解体するしかなかった。1990年の海外向け歳出予算案で、米国議会は警告も正当な理由もなく、6ヵ月のうちにユーゴに対する米国、IMF、世界銀行からのすべての援助、融資を中断するとした。
さらに、この法案には、ユーゴの6つの共和国への援助を再開するためには、各共和国別の選挙を行うと同時に、米国務省による選挙手続きおよび結果の承認を必要とすることが盛り込まれていた。それから6ヵ月後、クロアチアとスロベニアの連邦分離から現在の内戦が起こり、続いてクロアチアから脱出した何十万人ものセルビア人の民族浄化に発展し(これは米国の援助と承認によって行われ、米国メディアがこれに抗議することはまったくなかった)、ボスニア紛争となった。これは米国にとって、セルビア人を悪魔に仕立て上げるのに好都合であり、コソボでもまたセルビア人は悪魔にされた。つまり現在にいたるコソボの窮状の大部分が、米国政府と、米国の真の政策立案者である米国企業の利権が原因と断定できるということだ。
米国人は心無い人々ではない。しかし我々は、際限なく主流派メディアが繰り返す政府の主張を絶対的真実だと認めるように慣らされてしまっている。しかし、それに盲従する必要はない。公式「ニュース」の裏側の真実を報道する他の情報源に目を向けるといい。ノーム・チョムスキーやマイケル・パレンティが書いたものや、『Zマガジン』、『ネーション』などの雑誌を読み、電波が入ればパシフィカラジオを聴くといい。コソボ情勢について詳しく知りたければインターネットでZNet(www.lbbs.org)やラムゼー・クラークの国際アクションセンター(www.iacenter.org)にアクセスするといい。この2つのホームページは多くの問題について主流派メディアに代わるすばらしい記事を載せている。あなたの税金がユーゴや世界中で何に使われているか、真実を見きわめる責任があなたにはあるのだ。
※ チャック・シャーはカリフォルニア州パタルマ在住の小企業経営者で、政治活動家でもある。
[http://www.flora.org]
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次は地上戦に突入か
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『インディペンデント』紙、日曜版
6月3日、コソボ紛争での勝利が祝われ、ミロシェビッチ・ユーゴ大統領との交渉が成立すれば空爆が終了し、復興過程が開始されることになった。70日間を超えた空爆の後、3月と同じ状態、つまり空爆開始前の交渉段階に戻ったのである。それ自体は良いことである。『インディペンデント』紙は、ユーゴスラビアとの調停役を果たしたアハティサーリ・フィンランド大統領とロシアのチェルノムイルジン大統領特使に拍手を送る。しかし、戦争はまだ終わっていない。NATOは不毛の地を作ったのであり、それを和平と呼ぶのは賢明ではない。
同様に、これを勝利と呼ぶこと自体賢明とはいえない。誰の勝利で、何を勝ち得たというのか。本紙は最初からこの紛争に反対の立場を示してきたし、それを今変えるつもりもない。これは国際法を無視して起きた戦争であり、いかなる基準に照らし合わせたとしても正義の戦いとはいえない。一方、NATOの動機そのものは立派なものだと信じている。ミロシェビッチは冷酷で邪悪な人間であり、コソボのアルバニア系住民に対する政策は恐ろしいほど悪意に満ちたものだった。しかし実際は、バルカンにおける人道的大惨事を避けるというNATOの試みそのものが、人道的惨事を生み出した。空爆が始まった3月24日よりも、現在の世界情勢はより危険なものになっている。
セルビア人はミロシェビッチの従順な死刑執行人であり、したがって彼らを標的にNATOが空爆を行うのは正当であるとする人々がいる。しかし、本紙はそうは考えない。もちろんNATO軍は、自分たちの航空兵の死を避けるために細心の注意を払うのと同じくらい、民間人の犠牲を避けようとしたというのは事実であろう。しかしそれでも、NATO軍は民間のセルビア人に対して戦争を行ったのであり、 付帯的損害(軍事行動によって民間人が受ける人的および物的被害)が出ることは避けられなかった。何千人もの罪のない人々が空襲で命を失ったり、不具になった。何百人もの人々が毎晩のように繰り返される空襲の轟音と叫喚で苦しめられ、暖房や照明、安全を奪われ、恐怖に晒された。さらに、養老院や産婦人科医院、刑務所、病院、アパート、難民護衛隊、中立国の大使館、コソボ解放軍(KLA)の駐屯地、アルバニアの村、ブルガリアの首都が誤爆を受けた。
コソボでは空爆が煙幕となって暗殺隊の大虐殺を奨励し、人種対立の長い歴史の中で最も残忍な状況に陥った。土地はあまりに荒廃し、傷つき、アルバニア人とセルビア人がそこで平和的に共存することを思い描くことはもはや不可能となった。百万人近くの難民がコソボを離れ、不衛生で不自由な難民キャンプで暮らしており、すぐに故郷へ帰還できる見込みはない。
さてこれからどうなるのか。コソボ紛争は新しい段階、つまりKLAと名目上は非正規のセルビア人民兵組織との間の過酷なゲリラ戦に突入する可能性が高い。「平和維持部隊」はその板挟みとなるだろう。民族浄化が続くことはほぼ間違いなく、バルカンのお決まりパターンとなりつつあるコソボ分割に向かうであろう。今ここで祝うべきことなど何もない。ここで、新和平案の内容を検討してみよう。その第一の欠陥は、和平案の当事者としてKLAが含まれていない点である。したがってコソボでの「暴力行為および弾圧の終結」は保証されない。ランブイエ合意は事実上寸断された。外交的曖昧表現において、約束を「完全に尊重する」ということは、無視することを意味する。ミロシェビッチは彼が反対していた約束を抹消することに成功した。国際駐留団はセルビアとモンテネグロには駐留しないことになり、ユーゴスラビア領土の一体性は保証され、コソボ独立の可能性はもみ消された。意義のある国民投票が行われる余地はない。このような状況で、KLAが自発的に武装解除するとNATOが期待しているとすれば、滑稽である。
コソボからすべての軍を完全に撤退させることは誰にもできない。KLAは撤退を口にしながら、セルビア人への攻撃の手を休めることはないであろう。また、セルビア側は次の段階のために軍隊を備えるであろう。いい換えると、国連部隊は戦いが継続する敵対地域に足を踏み入れるようなものである。準軍事的組織は緩衝地帯やロシアが警備する地域を拠点に活動するか、アルバニアから、または帰還する難民を装って攻撃を仕掛けるであろう。NATOはこの領域の支配を断念しなければならなくなった。暫定統治機構は国連安全保障理事会によって決定されるため、ロシアと中国を満足させるものでなければならないだろう。国際駐留団の指揮権にはあいまいさが残っており、分断されるであろう。ロシアは自国の指揮系統を維持するであろうし、他の非NATO軍もその権利を持つ。NATOが遂げた戦争目的は、NATO自体の被害の除去と、自らの行動そのものが国外追放を助けることになった難民の帰還に制限されることになった。
このような状況になる必然性はまったくなかった。NATOの同盟国がランブイエ合意の調停にもっと協力的であれば、ミロシェビッチ大統領もこの合意に調印したであろう。しかしNATOは、NATO軍に対して、ユーゴスラビア全土への自由なアクセスと、刑事訴追を受けない特権を要求した。これらの追加要求が含まれていなければ、恐らく合意に達していたであろう。ミロシェビッチが昨年の10月の和平条約を破ったのと同様、ランブイエ合意も破る可能性は確かにある。しかし、それは今回のアハティサーリとチェルノムイルジンが調停した合意も、破られる可能性があるということだ。
戦争の惨事はまだ終わっていない。平和維持部隊がコソボに侵入した時に、何を目にすることになるかは誰にもわからない。共同墓所を掘り出し、何万人もの死体を発見することになるかもしれない。そうなれば、NATOは紛争終了後、さらに戦争を行わなければならない理由に直面することになる。しかし、NATOがミロシェビッチの民族浄化の手先たちに隠れ蓑を与えなかったならば、そうした共同墓所を発見する可能性など生まれなかったであろう。