No. 1049 原発安全神話脱却を

私の情報源はインターネットで、主に海外のサイトから収集している。その中には日本のメディアがあまり報じない日本のこと、日本では報道されない海外のニュースも少なくない。

福島原子力発電所の事故のあと、高濃度放射能汚染水が太平洋に流れ込んでいることに関して、ようやく安倍政権も「非常事態」として取り組み始めた。しかし海外メディアは数カ月前から、福島第1原発の地下貯水タンクから高濃度の放射能廃水があふれ出していることを警告していた。

原発事故に関して安全対策の不備などで東電を非難する声があるが、責任は日本政府にある。日本でも、また海外でも、地震や津波によって原子力発電所が破壊されたら、うまく対処することなど困難なのだ。スリーマイル島やチェルノブイリで起きた大事故、そして数え切れない小さな事故を入れると、原子力発電がいかに危険で脆弱(ぜいじゃく)なものか明らかである。原発が安全なのは事故が起きるまでであり、それがどれほど危険なものか、チェルノブイリや福島が証明しているではないか。そのような原子力発電所を、おそらくは核開発も含めて、日本政府は推進してきた。

戦後日本が原子力事業を導入していく過程は、アメリカで公開された機密文書ですでに明らかにされている。読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏、自民党の中曽根元首相らが中心となり、この小さな地震の多い島国に「安くてクリーン」といわれる原子力発電所が数多く建設された。しかし真の原発コストは、自治体に原発を受け入れさせるために支払われる交付金や賄賂、賠償費用や除染費用、廃炉費用や使用済み核燃料を何万年も安全に保管する費用なども入れると莫大(ばくだい)な金額になる。

真のコストを国民に正直に伝えていれば、ここまで日本が原発一辺倒になることはなかったはずだろうし、まして政府が戦争に備えて核兵器を保有したいと思っていたとしても、中国やアメリカ、ロシアのような大国と違い、日本のような小さな島国は核戦争で勝てる見込みはない。原発や核兵器を所有することは、危険なだけでなく費用がかかりすぎて経済的ではないのである。それでも政府は原子力と核開発を行うことを決定した。とくに昭和の時代、電力会社は政府によって厳しく規制されていたため、政府の決定を電力会社が拒否できたとは思えない。

その規制を緩和していったのも政府だし、原発を含むさまざまな費用を電気代に上乗せできるという総括原価方式の料金制度を制定したのも政府である。ある人は東電は傲慢(ごうまん)だというが、もし東電が傲慢ならば、それは政府となれ合いの、過度に親密になれる理由があるためではないだろうか。

原子力を推進した政治家や官僚が責任をとらないとしても、福島の原発事故は、広島、長崎の核の恐怖を忘れ始めていた日本人を目覚めさせる契機となった。事故で失われた命のためにも、原子力の平和利用とか、原発の安全神話といった洗脳から、国民は抜け出なければいけない。