No.142 日中米を信頼のトライアングルに

ここのところ金融危機やビックバンで人々の関心は経済や金融のニュースに傾いていますが、昨年後半このシリーズでも集中的に取り上げ、また拙著『アメリカは日本を世界の孤児にする』のテーマにもなった日米ガイドラインの話はどこに消えてしまったのでしょうか。私は、国民が知らないうちにこれが事実上の軍事同盟になるのではないかと恐れています。そこで今週は、日本政策研究所長であるチャルマーズ・ジョンソン氏の日中米、三国間関係に関する論文をお送りします。日本のマスコミはとかく日米という二国に目を奪われがちですが、ジョンソン氏は中国を含めた三国関係から日本の立場を検討しています。日米同盟関係の「正常化」に向けて、日本が日米両国の国益に見合ったイニシアチブをとらなければ、日本はさらに中国封じ込めの悪循環に巻き込まれると警告しています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

日中米を信頼のトライアングルに
『季刊アステイオン』1998年新年号

チャルマーズ・ジョンソン

(米カリフォルニア州日本政策研究所長)

 今日ワシントンでは、アメリカの次の敵となるのは中国であるという考えが広がりつつある。著名なコメンテーターや戦略家が、益々声を大にして、中国をアメリカ国民に対する「問題国」(rogue state)に仕立てようとしている。こうした反中的な態度は、アメリカの国内政治、次の戦争の準備を熱望する軍産複合体の既得権益、そして冷戦における「勝利」の反映である一種の「勝利主義」的な自国認識などに源を発している。
 日本は、アメリカと同盟関係にある。つまり対外的には、日本はアメリカの保護国であり、また東アジアに浮かぶアメリカの不沈空母のように見える。アメリカ社会の大勢は、冷戦後の東アジアにおける緊張緩和を確認し、それに対応した調整を行うよりも、東アジアにおける明白な軍事的覇権の維持を望んでいる。冷戦期に支配的であった軍事的現状維持を継続し、地域の「安定」をスローガンにした中国の「封じ込め」に対する日本の参加を求めているのである。
 こうして、日本の対米関係と冷戦後の米外交政策の流れは、日本の中国問題の主要な源泉となっている。日本が中国とうまくやっていくつもりなら、現在日本がアメリカ側に認めている日本国内での活動内容などを変更すべきである。こうした変更は、もう何年も前に実現してしかるべきものであったし、ASEAN(東南アジア諸国連合)からも広範な支持を得るであろう。また実行面から見ても、比較的容易であると思われる。日本は対米同盟を放棄する必要はない、条件を新しいものに改定しさえすればよいのである。しかし、もし日本がアメリカの対中敵視に引きずり込まれるようなことがあれば、日本は解決不可能な問題に直面することになるであろう。逆に、日本におけるアメリカの軍事的プレゼンスを大幅に削減する方向で日米同盟を変えていけば、地域大国・中国の出現に容易に対応できるであろう。
 毛沢東の下で何十年にもわたってイデオロギー的・革命的な行動主義を実践していた頃に比べれば、今日の中国は、共存の難しい国ではない。その経済は、レーニン主義的な諸制度の解体を進めている中央計画経済であり、旧ソ連で生じているいわゆる市場化に伴う困難と不満の高まりを回避しようとしている。中国の指導者たちは、外国の学者や経済理論家たちの助言には耳を貸さず、莫大な数に上る国民にまず仕事を供給することを移行期における最優先課題とした。同時に、1992年に開かれた中国共産党第14回大会以来、中国は、東アジアの資本主義的な発展志向型諸国の経験から基本的な教訓を引き出した。つまり、啓蒙された国家指導と市場を組み合わせた方が、社会主義のように市場を除去したり、アメリカのように自由放任主義をとったりするよりも、はるかに強力に国家を発展させることができるということを認識したのである。中国は、日本型の経済を建設し始め、今や世界最速の経済発展を遂げている。国民も、過去には考えも及ばなかったような地位を享受しているのである。
 他の側面についても、中国から寄せられてくるニュースは、同じくらい肯定的なものであり、控えめに見ても、不吉なものではない。イギリスのアヘン・カルテルの戦利品として19世紀に植民地となった香港は、何の混乱もなく本国に返還された。中国に関しては悪いニュースしか流さない『ニューヨーク・タイムズ』、『ウォールストリート・ジャーナル』、『ワシントン・ポスト』、『タイム』、『ニューズウィーク』などは、香港返還がうまくいかないことを予測し、中国政府が香港を成功裏に統治できるかどうかについて疑問を提起した。しかし、今のところ何も起こっていない。香港の行政府は、1842年から1989年のイギリス統治下の政府に類似している。イギリスの香港統治者が民主化の手続きをとったのは、いわゆる天安門事件が起こった後のことである。
 確かに、天安門事件は今でも、安全保障と安定の名のもとに中国が国民を抑圧しかねないことを示す一つの潜在的シンボルである。しかし、この事件でさえ、政治情勢を注意深く見守る内外中国人をさほど刺激しないものになっている。彼らは、対中批判の急先鋒であるアメリカ人たちが、自国や自らのコントロール下にあった国の反体制活動家たちに対処する際の無能と場当たり主義を目撃してきたのである(アメリカ政府は1993年テキサス州ウェイコで、16歳以下の23人を含む82人の反政府的な宗教グループを焼き殺し、古くは1980年の光州事件では、韓国政府による虐殺を黙認した)。1989年に北京で見られた中国政府による学生と労働者たちに対する弾圧は決して褒められたことではなかったが、それ以降は繰り返されていない。(アメリカ政府の高官の予測とは対照的に)いくつかの例を除いて、弾圧を指揮した指導者たちは、現在も権力の座にある。しかし、天安門事件は、開放と経済発展の政策を脱線させはしなかったのである。
 アメリカ人は、富裕国の国民に比して中国人が環境問題に鈍感であることを繰り返し批判している。また、中国の近隣諸国を含む対外武器輸出の面ではアメリカの方がはるかに上回っているにもかかわらず、いわゆる「問題国」に対する中国の武器輸出を非難している。多くのアメリカの大企業が中国で生産活動を行っているのは、労働者の搾取を禁ずる法がないからであるにもかかわらず、中国にはまだ「法の支配」がないと批判したがるアメリカ人も多い。戦略家たちは、中国の核保有を非難している。しかし、アメリカは、日本の母港に核兵器を搭載した軍艦を配備し、朝鮮半島や台湾海峡における有事の際は、核兵器を沖縄の米軍基地に再配備する権利を確保している。アメリカ国内の社会的・道徳的論争を投射して、国際政治にほとんど関心のない人々が、中国の人口抑制政策を非難している。しかし12億の人口を抱える中国が何か手を打たなければならないことは明らかである。中国がキリスト教を本格的に受け入れないと非難している者もいるが、こうした人たちは、百年前にキリスト教が西洋の帝国主義の先駆けであったことと、そうした事実を中国人が今もしっかり覚えていることを忘れている。中国屈指の民主活動家、魏京生は今なお服役中であるが、巧みな外交と人権に関する議会発言の軟化によって、数年前の方励之の時のように、解放にこぎつけることができるはずである。
 対外情勢に関しても、中国人が主張しているのは、せいぜい未回収地の併合にすぎない。台湾と香港のケースは、疑問の余地がないし、チベットのケースはより疑わしいが外から打つ手はない。また、南シナ海の場合は、日米の影響力から自立した唯一のアジアの国際機構であるASEAN地域フォーラム(ARF)との共存を中国としても図らざるをえないという現実によって事態は緩和されている。私の見るところ、ミャンマーの加盟をめぐるASEAN決定は、ミャンマーと東南アジア全体における中国の利益をより複合的にするという意味でも、賢明な決断であった。ベトナムとミャンマーの両国を加盟させることによって、ASEANは地域における中国の影響力を均衡させようと企図していることを示したのである。アメリカの国務長官が人権を理由にARFの行動を非難することは、東アジアにおけるアメリカのクレディビリティを低下させるだけである。
 アメリカは歴史上、中国におけるアメリカのいわゆる死活的利益について混乱と誤解を招く声明を繰り返し発表してきた。1899年と1900年の「門戸開放宣言」では、アメリカは中国の「政治的・領土的保全」を主張した。それに続く50年間、多くの中国人たちは、外国勢力の脅威に直面した時はアメリカにいる友人たちが助けに来てくれると信じた。しかし、1915年に日本が中国を脅かした時も、1931年に満州を制圧したときも、1937年に中国全土を侵略した時も、アメリカは高潔な不承認の声明こそ出しはしたが、実際には何もしなかった。アメリカ国民は、中国のようなおよそ縁遠い国に自国の指導者が何をどうコミットしようと、支持する気など毛頭なかったのである。1937年から1941年にかけて日本が中国に対して行ったことにショックを受けはしたものの、アメリカ自体は日本に攻撃されるまで第二次世界大戦に参戦しなかった。
 大きな口をきいてほとんど何もしない、というこのパターンに似たことが、今日また再現されつつあるようである。ジョージ・F・ウィルは、「中国がまともな国際行動をとるよう徹底的に圧力をかけること」を望んでいる。「戦術がなんであれ、アメリカの政策の戦略的目標は、中国の体制の転覆でなければならない」とウィルは提唱する。米下院議長のニュート・ギングリッチは、中国と台湾を訪問した際、たとえ法的に問題があっても、大陸・中国が台湾を攻撃した場合は、アメリカは台湾を支援すると約束した。明らかにギングリッチは、そうした政策をとった場合に起こる米企業の在中資産の没収と政策に対して投資家たちが黙ってはいないことを考慮しなかったようである。
 ハーバード大学のアーサー・ウォルドロンは、「今世紀に見られたドイツ、日本、ロシアの問題の場合と同様に、中国の脅威の問題を解決する方法は、政治的民主主義への体制の変化しかない」と提案している。1992年に米国議会は、アメリカ-香港政策法を通過させ、ブッシュ大統領がこれに署名したが、いくつかの文章は不吉にも1世紀前の「門戸開放宣言」のように聞こえる。「香港の人々の人権は、アメリカにとって重大な関心であるとともに、香港におけるアメリカの利益に直接結びついている」。歴史の教えるところによれば、香港の人々は、こうしたアメリカの高潔なコミットメントに対して懐疑の念を抱くべきなのである。

「エンゲージメント」と「コンテインメント」
 今日のアメリカにおける主要な論争は、中国に対する「エンゲージメント(関与)」対「コンテインメント(封じ込め)」をめぐるものである。そこに欠如しているのは、中国の再台頭への「調整」、つまり、中国が将来の超大国として抱える正当な関心に適応すべくアメリカの政策の選択肢を拡大する、あるいは、変更することである。調整は宥和を意味するわけではない。中国が誤算して、いくつかのイニシアチブをとり、他国の権利を侵害した場合は、報復措置をとらねばならないこともあろう。しかしアメリカは、本来の外交と政治をそっちのけにして悪い結果ばかりを毎日のように予測している。またアメリカは、前方展開軍で中国を包囲することによって、中国の恐怖を煽り立てている。現代の中国問題を分析した二つの著書、リチャード・バーンスタインとロス・H・マンローの『やがて中国との闘いがはじまる』(邦訳は草思社)とアンドルー・J・ネイサンとロバート・S・ロスの『万里の長城と空虚な要塞-安全保障を追求する中国-』(Norton)は、それぞれコンテインメントとエンゲージメントを提唱している。しかしどの著書も、東アジアにおける軍事的優位をアメリカが維持すべきであるという点では一致している。双方の著書とも、この点でアメリカが失敗すれば、結果は「不安定」になることを警告している。
 なぜアメリカ人は、効果的な対中政策を作成する上で、かかる困難を抱え込むのであろうか。高価で、しかもクレディビリティの全くない東アジアの冷戦型軍事配備に、なぜかくもこだわるのか。たとえば、沖縄に駐留する米海兵隊は兵力としては力不足で、中国人を挑発する程度の影響力はあっても、中国側の動きを封じるほどの存在ではない。なぜアメリカ人は、日本の防衛に関する問題を、独占的に決定しているのであろうか(もっとも、沖縄の農民から土地を借り上げてアメリカに貸し、アメリカ人のために働く日本人を雇用するために年に60億ドルもの大金を支払っているのは当の日本人なのであるが)。同時にアメリカ人は、対中貿易赤字を許容し、世界最大の債務国という疑わしい地位を強化するだけに終わっている。1997年5月には、対中貿易赤字は対日貿易赤字を上回った(37億6,000万ドル対36億3,000万ドル)。経済の再台頭と好景気によるアメリカにおける「勝利主義」の普及にもかかわらず、アメリカに冷戦型の覇権を東アジアで維持するだけの力がないことは明らかなのである。
 私の見るところ、アメリカの対中政策の矛盾と非一貫性の原因は、中国側にはない。アメリカの対中政策は、アメリカが他国に対してとっている政策と基本的に同じもの、つまり、アメリカが欲しているのは、圧倒的な影響力、ワシントン中心の世界、覇権、「唯一の超大国」という地位、世界の警察官、『気の進まない保安官』(外交評議会が出した新しい本の題名)、ソフト・パワー、アメリカが鼓舞し、支配し、指導する世界秩序を意味する他の婉曲的なすべての言い回し、であるからだ。問題は、ドイツ、日本、中南米、ロシア、国連を対象にしたアメリカの覇権主義が、ポール・ケネディの言う「帝国主義的過剰拡大」と長期的な衰退をアメリカにもたらすのに対して、中国を対象とする覇権確立の試みは、最初から失敗する運命にあるということである。
 すべての国がアメリカとの対決を避けて注意深く行動すれば、アメリカ側の「国威」が徐々に傷つく程度で長期的な帝国主義的過剰拡大は持続可能である。しかし、中国に対して同様の政策を適用すれば、危機を招くことになる。中国は世界最大の国であり、それ相当の富と力を生み出せる経済を建設することに最近成功した。と同時に中国は、二世紀にわたる帝国列強の搾取に耐えて史上最大の革命を成し遂げた国でもあるからである。そして、前近代の古い中華世界の再興を目指すべきか、西洋的な国際関係の中での平等を追求すべきか(あるいは、二つの興味深い混合を作り上げるべきか)、中国はまだ結論に達していない。
 いずれにせよ、中国から見れば、アメリカに敬意を払う理由はない。1950年から1953年にかけて、中国は、朝鮮半島でアメリカと戦い、戦争を膠着状態に持ち込んで終わらせた。戦後日本は、アメリカからの技術移転やアメリカ市場へのアクセスと引き換えに米軍の駐留権と反共主義の受容を認めた。しかし中国は、アメリカ市場へのアクセスこそ欲してはいるものの、アメリカの覇権に日本と同様の利害関心はもっていない。
 90年代の進展につれ、冷戦の標的はソビエト共産主義であり、ソ連の崩壊と共にそれは終わったのであるというアメリカ一般の認識が、誤りであることが明らかになってきた。クリストファー・レーンとベンジャミン・シュウォルツが指摘しているように、「第二次世界大戦以来のアメリカの安全保障政策の基本志向は、ソ連の封じ込めではなかった。……第二次世界大戦終了時に、アメリカは、積極的な国際主義的アジェンダにコミットしたのであり、たとえソ連が地政学上、イデオロギー上のライバルとして台頭してこなかったとしても、このアジェンダを追求していたであろう」。あるいは、A・L・バセヴィッチが述べているように、「アメリカのプレゼンスの必要不可欠性を訴える大統領の主張によって不明確にされてはいるものの、こうした[アメリカの]パワーの投射は、現実に展開されているアメリカの大戦略の本質を明らかにしている。つまりそれは、アメリカの国益と価値に則した穏やかな帝国を築き上げることなのである」。
 もちろん、アメリカにとってソ連は主要な問題であった。しかし、戦後世界においてアメリカは、ソ連との勢力均衡以上のことを実行しようとした。アメリカは、アメリカ的な民主主義と自由市場の制度化を世界中で試みた。第二次世界大戦の主因となった1930年代のナショナリスティックな憎悪の再現を未然に阻止しようとしたのである。このプロジェクトは、冷戦が終了しても終わらなかった。今やアメリカの指導者たちは、公然と次のように述べている。南北朝鮮の統一後も朝鮮半島に米軍を引き続き駐留させたい。ボスニアで効果的な役割が果たせるのは米軍だけである。ソ連という敵が消滅した現在、NATO(北大西洋条約機構)の同盟は、その重要性をはるかに高めている、等々。事実上、日本はいかなる軍事的脅威にも直面していなかったのに、90年代半ばの東アジアにおける米外交政策の焦点は、対日同盟の軍事的側面の拡大と強化であった。日本国内やASEANからも懐疑や激しい反対が示されたにもかかわらず、アメリカはこの政策を追求した。
 敵は大衆のために作られる。アメリカ国民が敵を必要とすれば、(映画産業を含む)エスタブリッシュメントは中国を敵に仕立て上げる。しかし、こうした政策の意図は、悪者を押さえつけることにではなく、世界中でアメリカの政治的、経済的優位を保持することにある。ヨーロッパの人々と日本人は、アメリカに世界を指導させることに、しばしば自国の利益を見い出した(ベトナム、湾岸戦争、台湾海峡)。しかし、中国は世界をそのようには見ていない。そしてアメリカは、もはや中国に叩頭を強いることができるほど富裕ではないし、軍事主義的でもない。アメリカの対中政策をめぐる議論を混乱させ、覇権と帝国主義的過剰拡大の長期政策に伴う矛盾を生じさせているのは、こうした難問に他ならないのである。
 アメリカの覇権主義の矛盾が最も顕著に現れたのは、これまで常に東アジアにおいてであった。この地域のアメリカの同盟諸国は、自由市場をもつ民主主義国ではなかった。アメリカの反共主義に対する口頭の支持を与える代わりに、アメリカの市場へのアクセスを獲得した資本主義的発展指向型国家であった。こうした国々の敵である、北朝鮮、中国、ベトナムは、古典的な共産主義体制の指導者ではなく、帝国主義に対して情熱的に闘い、その後も愛国主義者として国を統治したナショナリストたちであった。こうした事態の帰結として、アメリカは1945年の沖縄戦を最後として、東アジアで軍事的に勝利することができなくなった。同様に重要なことが、もう一つある。アメリカのアジア同盟諸国は、戦争の廃虚から復興するやいなや、継続的な対米貿易黒字を享受するようになった。しかし、これに対してアメリカの経済エスタブリッシュメントは、こうした赤字を、アメリカの顧客たる同盟各国の重商主義や保護主義の結果というよりも、アメリカの経済理論の説く市場の力がもたらした当然の結果であるというふりをせざるをえなかった、ということである。
 こうしたそぶりを見せることをアメリカはやめつつあるが、それは、中国経済がまだ一種の資本主義経済確立の初期段階にあるからであり、中国がアメリカの覇権にリップサービスをする理由を全く持ち合わせていないからである。中国は対米貿易と投資を求めているが、対等な対米関係を望んでもいる。日本型の経済発展戦略をとっているかもしれないが、日本が示した対米従属のパターンは繰り返すまいと決意している。中国がレーニン主義的な拘束衣を脱ぎ捨て、市場を基盤とした発展政策を採用して以来、アメリカの太平洋政策に長期にわたって潜在してきた矛盾が次々と暴露されている。アメリカは、新しい対中政策だけでなく、新しい東アジア政策を必要としているのである。
 現在のアメリカの政策が抱える矛盾を最も鮮烈に浮き彫りにしているのは、1995年2月に国防総省(ペンタゴン)が発表した、いわゆる「ナイ・レポート」(カーター政権時に米中央情報局(CIA)に数ヵ月間籍を置き、クリントン政権の第一期に安全保障担当の国防次官補として国防総省に所属したハーバード大学教授のジョセフ・ナイに因んで、こう呼ばれる)であろう。このレポートは、次の20年間に米国は日本と韓国に駐留する10万人の前方展開軍を維持するとの意向を宣明するものであったが、維持の根拠については明快な説明に乏しかった。そこでナイは、これだけの部隊を駐留させる理由付け・正当化に懸命に努めた。ナイは北朝鮮を「東アジアのルーマニア、あるいはアルバニア」のように「破綻した一共産主義国」という存在から東アジア全域に恐るべき脅威を与える「国家」に「昇格」させた。また彼は、アメリカが監視を続けなければ日本は軍国主義に逆戻りする可能性があるとも示唆した。だがその際ナイは、自分の主張する政策が戦後最も重要な日本国内の安全保障論議をぶち壊しにしていること、および日本の軍国主義化がアメリカの奴隷制再導入と同じくらいありえないことには何ら言及しなかった。そして結局ナイは、大規模かつ高価な米陸海空軍の部隊の存在こそ東アジアの「不安定」を阻止することになるのであるという議論に与せざるをえなくなっていったのである。
 中国人がこうした軍事力の標的を自分たちであると見なし、アメリカと日本の意図に公然と疑問をぶつけたのは、(特に、かつて日本が中国領・台湾の宗主国であったことを考慮に入れれば)自然なことであった。こうしてナイは、(彼の発言が全くクレディビリティを欠いているにもかかわらず)自分が設定した標的が中国ではないことを繰り返し強調した。もし中国が大規模な軍事配備の標的でないのなら、アメリカ政府は、その目的をもっと明確にする必要がある。つまり、東アジアにおけるアメリカの覇権を維持し、日本ないし中国の挑戦を阻止するためであると明言せざるをえなくなるであろう。

中国、日本、アメリカ
 現在アメリカのとっている政策がいかに時代錯誤なものか。それが最も明白に露呈しているのが、中・日・米のトライアングルである。1997年6月7日に、ホノルルで、アメリカと日本の軍高官は、東アジアにおける有事の際の共同作戦計画に関する「中間取りまとめ」を発表した。どの国を敵国として仮想しているのか、そして、日米の挑発なしに戦争が起こる可能性はどれくらいあるのか、といったことについて、説明はなかった。しかし、いずれにせよ有事計画作成の作業は、この「取りまとめ」の線で継続されることになった。
 「取りまとめ」の公表は、東京、ソウル、北京で、即座に危機をもたらした。アメリカはなぜ、渋る日本に、憲法に抵触するような軍事的役割を担わせようとするのか。三国とも、その理由を知りたがった。東京の新聞は、一面と社説面の大半を「取りまとめ」の説明と分析に費やした。しかし、アメリカの報道機関は「取りまとめ」をほとんど完全に無視。唯一『ロサンゼルス・タイムズ』紙が6月9日の「世界短信」欄で全文わずか次のとおりの不明瞭な報道をしただけであった。「[日本の]外務省と防衛庁の高官がきょう北京に到着する予定。目的は、第二次世界大戦以来最も大きな軍事的役割を日本に与える、東京とワシントンの新しい安全保障上の取り決めについて説明するためである」。
 この取り決めは、96年4月に東京で行われたクリントン-橋本会談の産物である。当時、両首脳は、米軍基地に関する沖縄の人々の抗議に対応するそぶりを見せ、他方で、日米両国をより強固な軍事同盟にコミットさせた。新しい防衛指針が、19年前にソ連という真の脅威に対して作成された旧来の日米戦略にとって代わることになった。
 しかし、今日の敵は、いったい誰なのであろうか。東アジアの政治経済情勢は根本的に変化してきた。ソ連の崩壊、中国とロシアによる韓国の承認、世界最高の経済成長率を誇る中国の出現、北朝鮮の困窮、香港の返還、ベトナムとミャンマーのASEAN加盟などがそうである。しかし、「取りまとめ」は次のように述べている。「日米同盟の基本的枠組みはこれからも変わらない」。「アメリカは、核抑止力、アジア太平洋地域における前方展開戦力、および前方展開戦力を補強する他の戦力を保持する」。こうした「取りまとめ」について仮りにアメリカ国民が知らされても相談されてもいないとしたら、安保条約が真のテストに堪えられるかどうかは疑わしい。
 たとえば、「日本の周辺事態における協力」という見出しの下でガイドラインは、「自衛隊は、生命と財産の保護と航行の安全の確保のための情報収集、警戒監視、機雷除去などの活動を行う。米軍は、日本の周辺地域の平和と安全を回復する作戦を実行する」と述べている。これは、アメリカ側から見れば、もし脅威が出現した場合、日本は「情報活動」しかしないのに、アメリカ人は生命の危険を冒すことを意味する。しかし、他方で日本の評論家たちは、機雷除去や情報活動でさえ、日本の「平和憲法」の許容範囲を逸脱すると論じている。アメリカの主唱するこの作成過程にある戦争計画、特に、アメリカの参加するすべての戦争における日本の支援をアメリカが繰り返し強調している事実は、中国人の警戒心を喚起している。
 なぜ新しいガイドラインが必要なのか。なぜアメリカは、仮想有事用の軍事計画に日本を取り込もうとしているのか。こうした点について、「取りまとめ」は全く説明していない。最大の謎は、なぜ日本は、同盟国アメリカに一定の抑制を働きかけようとせず、こうした考えを受け入れるのか、ということである。日本は、対中戦争の準備をしているわけではないと中国に訴えているが、アメリカ人は逆のシグナルを送り続けている。1997年の半ばに、米軍が関西国際空港、新千歳空港、那覇空港などを含む民間・商業用の空港30余ヵ所を調査していることが明らかになった。米軍は、「日本の周辺地域」における武力紛争その他の有事の際にこうした空港を独占的に使おうと考えているのである。
 今世紀に入って日本は、口では平和を望むと言いながら、他方で戦争計画を実行してきた。そんな日本を、中国が長年見てきたことは言うまでもない。外国政府の平和宣言をいっさい信用せず、具体的な軍事行動に目を光らせている。これは、国際関係場裡における中国の伝統である。朝鮮戦争のさなか、東京のマッカーサー将軍とワシントンのトルーマン大統領の対立を見て中国が介入を決定したときにも、この伝統は生きていた。ひるがえって今日、東アジアでアメリカが、ワシントンの声明と異なった行動に出た場合、この古い記憶が改めて北京で呼び覚まされることになろう。
 97年9月の橋本首相の訪中をAP通信は「信頼醸成のため日本の首相が訪中」と報じた。橋本はそれなりの成功をおさめた。1931年に日本が第二次世界大戦に足を踏み入れる端緒となる事変を起こした旧満州を訪問することによって橋本は、戦時中の行為に対する歴史的責任を日本がより真剣に受けとめるようになっていることを伝えた。しかし彼は、日米が反中国で手を組んでいるわけではないことを中国に理解させるという点では、合格点には程遠い結果に終わった。中国側に言わせれば、アメリカは、中国が支配的な地域大国になる可能性(あるいは、蓋然性)に過剰反応しているように映る。だがアメリカは、必ずしも中国の支配を予想しているわけではない。むしろそれは、ズビグニュー・ブレジンスキーの言葉を借りれば、「中国より弱小の国々が地域大国[この場合は、中国]の権益、見解、予想される反応に特別の敬意を払う」事態を仮定しているのである。
 そうした事態になれば、言うまでもなく、太平洋で国際調停役を独占してきたアメリカの役割は終焉する。先手を打ってこれを阻止するために、アメリカは中国の封じ込めを、少なくとも考えている。そのために、世界屈指の軍備(軍事産業を含む)の維持、長期にわたって被害を受けている沖縄の人々に対する司法権上の制限、日米安保条約の不適切な方向への誘導、朝鮮戦争終結後も在韓米軍を維持するという発言、「拡張主義的」「全体主義的」中国に対する根拠のない敵視政策などを継続しているのである。
 特に、沖縄をめぐる問題は、危険な矛盾をはらんでいる。クリントン政権はこれまで、この小島に42もある基地の、一つたりとも閉鎖しようとしていない。50年にわたる沖縄の人々の不満に答えるふりをしながら、その実、基地を沖縄の内部で移転させ、沖縄の人々を内部分裂させようとしている。もちろん、基地の日本国内の他の場所への移転は可能である。しかし、そうなれば日米双方ともに、自らの政治意思を十二分に表明する力をもった日本の市民活動家を相手にせざるをえなくなる。それよりも彼らは、日本が長らく差別を続けてきた沖縄、島の20%の土地を米軍に召し上げられてきた最貧県の沖縄に基地を残す道を選んでいる。
 このようにして沖縄の人々をだますことに積極的にかかわってきたのが東京の中央政府であった。まず、中央政府は、政治的・法的手段による沖縄救済の望みをあらかじめ断ち切った。最高裁判所と国会を通して、政府は完全な日本市民がもつのと同一の財産権と市民権を沖縄の人々が有しないこと、そして、沖縄の人々は今後も基地の負担をすべて背負っていかねばならないことを沖縄に告げてきた。こうした状況は、本質的に不安定である。95年9月の三人の米兵による少女誘拐・暴行のような事件が起これば(その可能性は高い)、事態は一気に混乱を極める可能性もある。沖縄は刻々と時をきざむ時限爆弾であり、沖縄の人々の権利を尊重しない限り、この危険を除去する方法はない。

日本のリーダーシップの必要性
 問題は、このような不適切な政策になぜ日本が追随するのかということである。外国軍の駐留はもう必要ないと、なぜ日本はアメリカの同盟諸国に言わないのであろうか。日本に米軍が必要であるとして、そのプレゼンスをめぐっては日米が真の交渉を重ねて同盟を強化すべきであって、いつまでもペンタゴンの言いなりになっているのはおかしい。湾岸戦争以降、海と空の輸送能力は飛躍的に増大し、これによって前方展開軍という概念そのものが時代遅れになってきた。アメリカとの同盟を強化し、さらに中国に対しては日本が攻撃意図をもたないことを理解させるために、日本として実行しなければならないことがいくつかある。最も簡単で何をおいても今すぐ実行すべきは、アメリカ人に対して、沖縄の海兵隊はもはや必要ないので、本国に帰ってほしいと伝えるべきである。そして日本は、米軍駐留にかかる巨額の「思いやり予算」をただちに打ち切るべきである。そして、1960年の改定以来の大きな変化を取り込んで、日米安保条約の新たなる改定交渉をアメリカと始めるべきである。これはとりわけ、日米同盟を、両国の軍事施設の相互使用の承認と駐留軍の撤退という普通の基盤の上に置くことを意味している。
 現在アメリカは自己満足ムードに包まれ、国全体が国内問題に集中しているだけに、アメリカが率先して変革に取り組む可能性は低い。いま動くべきは日本である。もし日本が日米両国の国益に見合ったイニシアチブをとらなければ、日本はこのままさらに中国封じ込めの悪循環の中に巻き込まれてしまうであろう。こうした展開が、結局どのような帰結をもたらすか。アメリカは帝国主義的過剰拡大によって破産し、日本国内には深刻な亀裂が生じるであろう。日米は他のアジア諸国から批判され、中国にはより軍事的な指導者が出現し、挙げ句の果ては中国との衝突も起こりかねないであろう。しかし、日米両国が中国との共存に本腰で取り組めば、こうした事態の展開を防ぐことは可能である。国際関係にフルに参加し、自らの富に見合った責任を担い、日本独自の外交政策を打ち出したい-こうした議論をさせると、日本人は際限なく抱負を語る。今こそ、その議論を実行に移すべき時なのである。

[本稿は、TBSブリタニカの許可を得て転載]