No.152 731部隊 対 タスキジー研究

これまでOur Worldでは様々な角度から日米比較を行ってきました。そして日本は米国にますます似通ってきたものの、日本の方が米国の状況よりもまだましであるというのが私の考えでした。  今週は、日米両国が過去に行った残虐行為を比較します。これまでは日米両国の相違点を強調してきましたが、今回のこの2つの出来事は両国の驚く程共通した点を浮き彫りにしています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

米司法省、旧731部隊員の入国を禁止
 日本政府は、第二次世界大戦中に日本軍が中国で行った残虐行為を一般国民の目から隠してきた。学校で使用される教科書にも当時のことについてはあまり触れられていない。その結果、「特に戦後生まれの若い世代は、戦時中の残虐行為についてほとんど無知であり、そのためにその罪や日本の戦争犯罪を世界がどう見ているかということを理解してはいない」とは、ウィリアム・トリプレットの言葉である(『ワシントン・ポスト』紙、3/23/1997)。
 日本国民がトリプレットの分析を認めるかどうかは別として、この分析は多かれ少なかれ的を射ていると思う。米国の学校教育がコロンブスを英雄としてあがめ、コロンブスが実際にはインディアンの征服者であることを教えないのと同様に、日本政府は日本の恥ずべき行為を国民の目から隠してきたからである。
 しかし、最近になって日本の731部隊による中国大陸における残虐行為が世界に広く知れ渡ることになった。米司法省が昨年12月に旧日本軍関係者16名の入国を禁止したことで、世界に対して日本の戦争犯罪を正式に非難したためである。
 米司法省の特別調査事務所(OSI)は1979年の設立以来、ナチス・ドイツ関係者のみを対象とし、これまで約7万人を入国禁止のリストに入れてきた。日本人をそのリストに加えたのは今回が初めてで、その内12人が731部隊関係者、残りの4人は従軍慰安婦の関係者であるという。トリプレットは、「日本人をこの入国禁止リストに加えたのは、日本の戦争犯罪者に対して戦後初めて米国政府が公式にとった措置である」と述べている。

日本の731部隊による残虐行為
 731部隊は満州に置かれた日本陸軍の一部隊の名称で、もともとは中国に駐留する日本陸軍の前線のために水質浄化を行う設備を運営するための部隊であった。しかし、これがすぐにナチスのアウシュヴィッツ収容所のような大研究所と化し、憲兵に拉致された一般市民や捕虜がモルモットにされた。1936年から1945年8月までの間に、3千人の中国人、韓国人、ロシア人の捕虜が、その研究所で培養された腺ペストや肺ペスト、流行性の出血性熱、炭疽、腸チフス、コレラ、天然痘、梅毒などの病原菌に冒され、じわじわと殺されていった。
 US World & News Report”(7/31/95)に、元731部隊員のカマダ・ノブオが初めてその当時の体験を語っているので、以下、その中から引用する。

 元731部隊員のカマダの任務は、細菌の培養である。「もっとも強力な細菌をネズミに注射し、約500グラムのネズミ1匹につき3千匹の蚤を付着させ、そのネズミを放ち、蚤に病原菌をばらまかせるという仕掛けであった」。細菌に感染したネズミと蚤を、陶器でできた特別製の爆弾に入れ、生きたまま飛行機からパラシュートで降下させるということも行った。
 しかし、この細菌兵器よりもずっと恐ろしかったのは人体実験であったという。カマダは日本兵が「マルタ」と呼んでいた中国人の捕虜から、病原菌に感染した臓器を摘出するための手術を麻酔をかけないで行った。「首に直接をメスを刺し、胸まで切り開いた。最初はひどい叫び声を上げていたが、だんだん声が小さくなっていった」とカマタは当時の様子を描写している。
 カマダが731部隊について長い間沈黙を守っていたのと同様に、他の隊員も一様に当時のことを話したがらない。「元731部隊員はまだほとんどが生存している。元隊員の医師たちは医学に貢献してきた。日本のために当時のことは話さないのが一番だと考えた」とカマダは語る。

日本の戦争犯罪者と米国の取引き
 米司法省が元731部隊員の入国禁止という措置をとった時に、最初に浮かんだ疑問は、731部隊の残虐行為について知りながら、なぜ米国が長い間その事実に触れなかったのか、そしてなぜ今になって入国禁止という措置で公にしたのかということである。
 トリプレットはその理由を次のように説明している。

 捕虜を生きたまま解剖したり、細菌兵器や凍傷の実験といった731部隊の残虐行為は明らかであったにもかかわらず、731部隊が東京裁判にかけられることはなかった。米軍は米国政府の承認のもと、731部隊の司令官が提示した取引きに応じたのであった。つまり、人体実験の結果をすべて米国に渡す代わりに、裁判を免除するという免責を与えたのである。大半の学者の一致した意見では、米国政府はこれによってソビエトとの細菌戦争で優位に立てると考えたのであった。

 つまり、満州における日本軍の人体実験が長い間衆目に晒されることがなかったのは、米国が元731部隊の医師達に、彼らが収集したデータと引き替えに、戦犯者に対する裁判の免責を与えたためであったという事実が明らかになった。

タスキジー研究
 日本の戦争犯罪の共犯者であった米国が、それを犯罪行為として追及する立場へと態度を一転させた昨年12月からわずか数ヵ月後に、今度は米国で同様の事件が広く知れ渡ることになった。
 クリントン大統領が、アラバマ州タスキジーで40年間にわたり、貧しい黒人男性の梅毒患者を意図的に治療せず、病状の進行状況を観察する研究を行ってきたことに対して歴代大統領として初めて公式に謝罪したのである。米国の連邦公衆衛生局が黒人男性に対して行ったこの実験はタスキジー研究と呼ばれ、無料で診療を行い、食事も提供するという言葉に惑わされて、399人が集められた。しかし、梅毒がどのように人体をむしばんでいくかを観察するために、治療を一切行わないなどということは、全く知らされていなかった。
 タスキジー研究では少なくとも2年間は梅毒にかかりながらその症状が現れていない399人の病状を観察し、その治療を行わない彼らと、梅毒にかかっていない黒人男性の健康状態を比較することにあった。この研究が開始された1932年当時は梅毒の治療がまだ困難な時代であったが、梅毒に対する信頼できる治療薬、ペニシリンが利用できるようになった1947年以降も研究は続けられた。また、研究結果に対する有用性が大きく疑問視されながらも実験は続行したのである。
 1932年に始まったタスキジー研究が抗議によって1972年に中止されるまでの間に、少なくとも100人の男性が梅毒あるいはその合併症で命を失い、また少なくとも40人の妻と子供が感染した。またこの間1947年には、本人の同意なしに人体実験を行うことを禁止するニュールンベルク綱領が採択されたことも指摘しておかなければならない。
 米国では、政府が行った非倫理的な科学実験に対して大統領が謝罪したのはこれが初めてではない。1995年10月にも、クリントンは1940年代、1950年代の放射能実験に関して謝罪を行っている。この実験では、政府は被実験者の同意なしにプルトニウムを注射し、知恵遅れの子供には放射能に汚染されたオートミールを食べさせた。また、居住地の近くで放射能を発し、その影響を観察する実験も行った。1997年5月17日付けのエコノミストには、米国政府の行った人体実験の例が他にも紹介されている。さらにその記事には米国は国外の貧しい国でもこうした実験のスポンサーになっているとも記されていた。

 米国の人体実験が、旧日本軍の残虐行為と何ら変わりがないと思うのは私だけであろうか。日本と全く同じことを行いながら、731部隊関係者に入国禁止措置をとる米国。この行為はまさに日本に対する米国のいつもの二重基準であるといえよう。

---参考文献---
* Butler