No.231 東アジアの経済危機は資本主義の衝突が原因だった(前編)

 日本政策研究所所長であるチャルマーズ・ジョンソン氏が、アジア金融危機について冷戦経済を含めて、総合的な分析を試みていますのでご紹介いたします。この問題に関する多くの分析が一面的であるのに対し、ジョンソン氏は複数の角度から東アジアの状況を捉えています。是非お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

東アジアの経済危機は資本主義の衝突が原因だった
(前編)

チャルマーズ・ジョンソン

 米国人は過去1年間、アジア型経済モデルはもはや時代遅れで、東アジアの通貨危機は米国人やその雇用、米国の株式市場にはまったく影響しないであろうと繰り返しいわれてきた。1997年に米国の対アジア貿易赤字が1,000億ドルを超えた時でさえ、低価格の輸入品はインフレを抑えるために良しとされた。しかし、東アジアで問題になっているのは需要が世界的に落ち込む可能性があること、それが世界大恐慌につながるかもしれないということである。しかし、もしそれが現実にならないとしても、豊かな衛星国に約10万人の米軍を駐留させるという東アジアの体制が事実上、終焉を迎えることは確実である。
 東アジアで起きている事態は深刻である。しかし、その原因はあまりにも複雑で、コンセンサスが取れているわけではないため、いかに分別のある観察者であっても性急な判断をすべきではない。いわゆる東アジアの経済危機の詳細を議論する前に少なくとも3つ、警告しておきたい。

 第一に、アジアの経済モデルが東アジアのすべての国に一様に当てはまるわけではないということである。議論を単純化するためにいうと、私のいう東アジア型モデルとはアジアの価値観から成り立つものであり、具体的には、政府の特徴として個人よりもコミュニティを優先し、民間所有ではあるが管理市場経済に基づく政府指導を行い、経済成長をすべて輸出と結びつける、というものである。これは、個人主義、自由放任主義、そして内需と結びついた経済成長を普遍的な価値観とする(あるいは普遍的価値観とすべきであるという)英米流の考えとは対照的である。そして通貨が崩壊した国の中でアジアの経済モデルが実際に当てはまるのは日本と韓国だけである。タイとインドネシアにはこれが存在せず、それゆえ両国は通貨に対する投機的圧力に最初に屈したのである。中国本土やベトナムでは、東アジア型モデルが生まれようとしている段階にある。またアジアの価値観を頻繁に口にするマレーシアは、日本や欧米の銀行に投機的な「バブル」経済の輸出を許したため、アジア型経済モデルの教義に反するといえる。アジア型経済モデルが息づき、繁栄しているのは台湾および中国の香港特別区そしてシンガポールであり、また米軍がようやく撤退したフィリピンにも根づこうとしている。大半のアジア人、特に中国人は、今回の経済危機でアジア版発展モデルを否定するどころか、ますますその必要性を肯定するようになった。  

 第二は、この通貨危機の原因を「縁故資本主義」に結びつけることである。ここでいう縁故資本主義とは、汚職や親戚縁者の登用、厳格な官僚制度、その他政府が市場の結果を操作しようとする時に必ず起こる独禁法違反行為を総称したものである。米国でいえば住宅ローンに対する課税控除は政府による市場操作であり、これも縁故資本主義の1つである。

 確かに縁故資本主義は不動産の過剰建設や高級車などの消費財の過剰輸入など、多くの過ちを助長する。数年前、メキシコに外資系金融機関が資金を流入させた時にも同じようなことが起きている。しかし、海外から韓国への融資は不動産投資には向けられなかったし、タイとインドネシアでの問題は日本の通産省のように投資先を統制する機関がなかったことにある。東アジア経済にもっとも大きな影響を与えた縁故資本主義の例はインドネシアのスハルト政権で、彼は米国が寵愛し支持してきた、マルコスを筆頭とする独裁者の1人であり、我々は彼がそうした独裁者の最後の1人になることを切に願っている。しかし実際には、究極の縁故資本主義は何かというと米国支配のIMFであり、IMFによるタイ、インドネシア、韓国の救済策なのである。IMFの資金はこれらの国の国民には行かず、これらの国の銀行や企業に危険で放漫な融資を行った外資系銀行の手に渡るのである。

 1994年、パトロンである米国に命じられるまま韓国は、1960年代初期から同国の経済政策を左右してきた経済企画委員会を廃止し、金融機関に関するほとんどすべての規制を緩和した。こうして自分で自分の首を絞めた韓国は、金持ちクラブであるOECDへの加盟を認められた。これらの改革の直接的な結果として韓国政府は、経験の浅い韓国の銀行の海外からの資金調達活動に対し適切な監視ができなくなった。しかし、韓国の状況は東南アジアの状況とは大きく異なる。韓国では既得権益に対抗する金大中新大統領が、脆弱な財閥を冷酷に切り捨てる口実に経済危機を利用し、その一方で大企業の強化・合理化を行っている。金大統領はおそらく韓国産業の贅肉を削ぎ落とすと約束することで、労働者を統制する方向を目指すであろう。韓国が経済力を立て直せば、米国や中国、日本からの介入なしに、北朝鮮民主主義人民共和国との統一の道も開かれるであろう。

 東アジア地域一帯を襲った経済危機は、汚職や企業と政府の癒着による副作用ではなく、規制が不十分であったことに起因する。これらの国に必要なのは規制の増減ではなく、高度経済成長期に日本や韓国が行ったような効果的で専門的な指導をすることなのである。  

 唯一この縁故資本主義が原因となって経済危機にある国は日本である。日本経済がふらつき始めた1989~90年以降でさえ、日本は常に構造的腐敗や、やくざがらみの企業を無頓着にも保護し続け、責任者を捕まえようとするのはジェスチャーに過ぎなかった。経済を活性化させるための公的資金のほとんどは、政治権力は強いが環境に破壊的な影響を与える建設業界の手に渡った。日本が姑息な手段をとり続けられたのは、冷戦構造という米国との心地良い関係が続いていたからであり、そのため日本はグローバル経済への適合という痛みを伴う選択を迫られずに済んでいた。日本は今でも本質的に米国の保護国であることに変わりはなく、自国の政府や運命に対して完全な責任を負っていない。この関係が変化しない限り、日本は変わらないであろう。  

 縁故資本主義はアジア型経済の構造的特徴の副産物であって、それが本来の目的ではなかったということも忘れてはならない。その構造には、企業系列や財閥のカルテル化、銀行を中心においた資本関係、他の国に対する重商主義と保護主義、民主主義を装いながらの官僚的エリートによる支配などである。これらの構造の目的は東アジア諸国を富ませることであり、消費者需要や世界的な効率、個人の選択肢、そしてその他新古典主義経済学が指摘するようなことを満たすためではなかった。  

 時が経つにつれて、縁故資本主義が日本型経済の深刻な副作用と考えられるようになっていったが、その経済的な代償は多分に過大視されている。米国でも経済が好況を呈した1990年代は、軍産複合体が1950年代に登場して以来米国の縁故資本主義がもっとも盛んになっている。しかし、ジャカルタのリッポ銀行が米国政府を買収しようとしたからといって米国経済を改革すべきだと提唱する人はいないし、大使の任命も、アーリントン国立墓地一角の売却も、さらには同盟国および敵国の軍事費の合計を上回る軍事予算にも、文句をつける者はいない。東アジアの経済危機が縁故資本主義によるものならば、縁故資本主義が流行する米国でなぜ同様の影響が見られないのか、ということになる。

 アジア経済危機の第三の警告は、東アジア資本主義について評論してきた海外の分析がそれを予言することができなかった、あるいは東アジア型モデルの暗部を見抜くことができなかったことである。これは特にリビジョニストと呼ばれる者たちの書いた日本経済に関する文献に対して向けられるもので、その中には、ジェームス・ファローズ、クライド・プレストウィッツ、カレル・ヴァン・ウォルフレン、そして私自身も含まれる。リビジョニストは日本擁護派の菊クラブとひとまとめにされ、アジアに関して希望的観測をしてきたことを非難されている。『ウォールストリート・ジャーナル』や『エコノミスト』の論説委員、さらには英語圏の経済学の教授達すべてにとって、東アジアの通貨崩壊のニュースは神の啓示のように思えた。なぜならこれで彼らが信奉する新古典主義経済学理論を立証できるからである。ではリビジョニズムは排撃されたかというと、私はそうは思わない。  

 東アジアと米国の資本主義の違いを最初に論じたのはリビジョニストである。1980年代初期、日本の対米貿易黒字は毎月記録を更新し、米国製造基盤の重要部分を崩壊寸前に追い込んだ。当時リビジョニストはその状況が市場の「見えざる手」によるものではなく、「資本主義発展途上の国家」が高度経済成長を進めたことによる結果であると警告した。そして、米国の市場の威力に物をいわせて東アジアの市場を開放させることで、国際貿易を相互に有益なものにすべきだとリビジョニストは提案した。

 アメリカの支配階級は、この警告を聞いたものの実行しなかった。レーガン時代の減税と軍備増強の財源として日本の貯蓄に依存し過ぎていた米国には、日本に真向から対抗することはできなかったのである。そこで80年代に米国の官僚は、為替を操作することで貿易不均衡を解消しようとした。これは新古典主義の経済学から見れば良い政策であったかもしれないが、日本の地域研究から見れば言語道断の政策だった。安いドルと高い円で状況を変えるためには、価格競争が真の問題でなければならなかった。しかし、真の問題は日本市場が国際投資家や小売業者に閉鎖的であり、カルテルや貿易協定の不履行、まやかし独禁法など過去40年間にわたってとってきた慣行であった。  

 米国が為替操作で対日貿易の問題を解決しようとしたために深刻な影響がもたらされた。米国の対日貿易不均衡はまったく改善せず、さらに日本が円高措置を取ったためにバブル経済につながった。そしてバブルがはじけると、日本はそのバブル経済を東南アジアに輸出し始めた。それが今、アジアの通貨・経済崩壊として我々の前に差し迫った問題として立ちはだかっている。つまり、日本に必要だったのは輸出ではなく内需主導型経済を作ることだったにもかかわらず、日本は円高対策としてあらゆる国の市場に輸出を続けるために、生産能力増大に向けた過剰投資を行ったのである。  

 もちろんこれはリビジョニストが提唱したことではない。全世界を覆う現在の経済危機は、1973年のオイルショック以来最悪のものだが、こうした状況になったのは多くの先進国が東アジア諸国のことを知らなさすぎたためである。英米両国は東アジアの資本主義発展途上国が生み出していた巨額の不均衡や依存傾向、無責任な行為にもっと早く注目すべきだったのである。日本の成長を説明できず、日本の新聞を読むことすらできない欧米のエコノミストたちは、正当な新古典主義の経済理論に合わないとしてリビジョニストの主張を拒絶してきた。1997年の経済危機はリビジョニストの主張を覆すものではなく、むしろその主張、つまり資本主義にも状況によっては資本主義を分裂させるほど大きな差異があるとする主張の本質を裏付けるものなのである。

 しかし、リビジョニストもすべて理解してはいなかった。特に、東アジアの繁栄を冷戦の観点から正しく分析していなかった。この地域の繁栄に対する米国の主な貢献は戦争や軍隊の配備、外交ではなく、市場の提供であることはわかっていた。米国人は東アジアの高品質・低価格の製品を世界で最も多く購入していたし、アジアの新興経済が米国市場へのアクセスにいかに依存しているか、米国が最後の拠り所として市場を提供する役割を果たすのを止めれば、困窮を極めるであろうということも理解していた。リビジョニストが理解していなかったのは、ソ連の崩壊や二極体制が終焉し、さらには金融・製造のグローバル化によって、米国と東アジア関係の矛盾がいかに露呈するかということであった。欧米のすべてのアナリスト同様、リビジョニストも政治と経済の分離、貿易と防衛の分離という、米国の東アジアでの役割という考え方にあまりにも長い間とらわれていたのである。

 1997年の出来事は貿易と防衛の境界線を取り除く最初の展開である。これを契機にアジア人および米国人はアジア崩壊の裏に潜む、政治、軍事、経済の関係を見極めようとし始めるであろう。これまでのところ米国は経済危機に見舞われた東アジアが輸出で復興できるよう対アジア貿易赤字の増大を寛大に受け入れてきた。しかし、日本が市場を開放せず協力を拒み、さらにはアジア諸国と対米輸出で競合してくれば、米国市場を保護しようとする圧力は高まるであろう。またそれに付随して、東アジアの米軍の戦略の再考が行われ、最も特権のある米国の衛星国という地位を日本から剥奪する可能性もありうる。

[Cambridge Journal of Economics 1998, 22より許可を得て翻訳転載]