今回より数回にわたり、『Shifting Fortunes(富の移動)』という小冊子から、好景気に浮かれる1990年代の米国経済の陰で、多くの米国人が富の喪失を経験していることを示す分析を紹介します。今回は冒頭の序文と概要をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
富の移動(1)
【 レスター・サローによる序文 】
市場経済は、富と所得がどのように分配されてもそれに順応できる。最上位層の富と所得が増え、多くの中間層の富と所得の取り分が減少しても、市場はただ単に最上位層が望む製品やサービスを多く生産し、中間層の求める製品とサービスの生産を減らすだけである。中間層の消費者を対象にしている企業は、照準をその上の階級か、または下の階級に移す。もしそのいずれもできなければ、その企業は倒産に追い込まれる。
19世紀の経済学者、スペンサーが創案し、ダーウィンがその代表作『種の起源』に引用した表現を借りれば、資本主義の不屈の「適者生存」においては、競争に勝てない者は餓死し、倒産することになっている。その脅威と現実は、人が資本主義制度の効率を高めようとする動機の一つなのである。
資本主義の思想において富や所得、収益の分配は重要ではない。資本主義における公平性に関する考え方は、市場で生産する者が市場から公平な報酬を受け取るということだけである。生産しない者は市場から追い出される。消費する価値がないと見なされるのである。
問題は政治的なことである。平等の概念に基づく民主主義と、経済格差の度合いがこれまでになく拡大している経済運営をどう考えればよいのか。経済的に損失を被っている人々は、ある時点で、自分の持つ政治的な力を利用して、市場の結果を覆す政権を選出しなければならない。それがいつになるかは誰にもわからない。米国ではすでに25年間、富と所得の格差が増大しているが、目に見える政治的な巻き返しはまだない。恐らく、我々の社会は継続して格差拡大へ向かうのかもしれないし、向かわないかもしれない。しかし、その臨界がどこになるかを見極める実験を社会が行うのは、あまりにもばかげている。
過去において、平等主義に基づく民主主義国は、政府が三つのことを行うという前提のもとで、非平等主義である資本主義と結び付いていた。第一に、政府は、第一級の所得と富を持たない両親の子供であっても第一級の教育と技能を提供すると保証した。これで次世代は今の世代よりも高い技能を持つことで、より多くの収入を得られるようになるのである。第二に、政府は、何らかの理由で競争に参加できない人々が、経済的に破滅することのないよう社会的安全網で保護した。第三に、政府は税制を通じて、税引き後の富と所得の分配が税引き前よりも平等になるようにした。しかし過去20年間、米国政府はこれら三つの責任のすべてを徐々に果たさなくなってきている。
米国人は富裕者と貧困者の間で何が公平かの議論に終始してきたが、この冊子は富裕者と貧困者に何が起こっているかだけではなく、中流階級、つまり米国民の最上位10%と最下位10%のどちらにも属さない人々に何が起きているかを取り上げている。これを読むと、過去25年間、中流階級は大きな敗者であり、米国の富および所得の合計に占める中流階級の割合は減少し、インフレ調整済みの絶対値から見てもその富と所得は減少していることがわかる。国民1人当たりのGDPが劇的な増加を示す経済状況にもかかわらず、中流階級の取り分は以前よりも減っているのである。
つまり、偉大な米国中流階級はアメリカン・ドリームとはもはや、無関係になったのである。過去の偉大な種族、米国の中流階級は絶滅の危機に瀕している。
※ レスター・サローはMITスローン経営大学院の経営・経済学の教授であり、『資本主義の未来』を含む多数の著書を持つ。
【 ジュリエット・ショアーによる序文 】
政府発表の経済ニュースはどこまでも明るい。米国は平時では最長の拡張期の真っ只中にあり、失業率は減少、株式市場は右肩上がり、消費者マインドは急上昇である。かつては富裕者だけのものであった贅沢品が、中流階級にも当たり前のように手に入るようになり、米国家庭は台所を改築し、真新しいRV車を乗り回し、一様に良い暮らしをしている。資本主義は米国に優しかった。
このような描写は表面的には説得力があるが、政府発表の論説は、ほとんどオーウェル的といってよいほど、不穏な性質を持っている。ここで描いているのは、ごく少数の特権階級の生活がいかにうまくいっているかを見せているにすぎない。信じられない論理のこじ付けで、良いニュースのみが報道されるのは、権威主義が良いニュースだけしか認めないためである。
しかし、この小冊子『Shifting Fortunes』は、米国人の生活ぶりに関する描写に欠けた部分を補ってくれる。ほとんどの家庭にとって金銭的安定が手に入りにくくなってきていること、この好景気は貧困レベルあるいはそれに近い賃金しか得られない、全米国人労働者のうちの3割の汗の上に築かれていることなどが記されている。その傾向の根底にあるのは、米国経済がますます不平等になっているという避け難い事実である。過去26年間の賃金、所得、富といった指標のどれをとっても特権階級の占める割合が増加し、残る約8割の国民の暮らし向きは相対的に悪くなっている。米国はまさに、第二の「金ピカ時代」(南北戦争後のにわか景気の時代、マーク・トウェイン、C・D・ワーナー共著の諷刺小説の題名に由来する)にあるのだ。
※ ジュリエット・ショアはハーバード大学の経済学上級講師であり、『働きすぎのアメリカ人』その他の著者である。
【 概要:拡大する富の格差 】
好景気に浮かれる1990年代の米国経済の陰で、実際には多くの米国人が富の減少を経験している。米国のほとんどの家庭の正味資産(資産-負債)は、株価高騰前の1983年に比べて減少している。1988~1998年の株式市場は累積で1,336%も上昇し、その増加分のほとんどは最も裕福な家庭の手に渡った。
最上位1%の家庭の富が急増する一方で、大半の米国人の暮らし向きは現状維持か、あるいは以前よりも悪くなっていながら、仕事はきつくなっている。1970年代以降、最上位1%の家庭は、それ以外の米国人を犠牲にして、国富に占める彼らの富の割合を倍増させた。消費者金融に関する連邦準備調査のデータを元に、ニューヨーク大学のエコノミスト、エドワード・ウォルフは、1997年の最上位1%の米国民が所有する富は、全米国家庭の富の合計の40%にも相当し、それは下位95%の富の合計を上回ると述べている。
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表1 富の格差:正味資産の割合(1997年推定)
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最上位1% 40.1%
次の4% 21.9%
次の5% 11.2%
次の10% 11.4%
次の20% 10.7%
中位20% 4.4%
最下位40% 0.5%
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出所:エドワード・ウォルフ、“Recent Trends in Wealth Ownership,” 1998 消費者金融に関する連邦準備調査に基づく。
金融資産の集中化傾向は高まっており、最上位1%の家庭は、全金融資産(正味資産-自宅の正味持分)のほぼ半分を所有している。また最上位1%の中でも集中化傾向が見られ、上位0.5%に42%の金融資産が集中する。
1983~1995年に、最上位1%の家庭のインフレ調整済みの正味資産は17%増加した。下位40%の家庭の正味資産は同時期80%も減少し、もともと低かった4,400ドルの資産は、わずか900ドルに減少した。中位20%の正味資産も11%以上減少した。同時期、正味資産が増加したのは最上位5%だけであり、全家庭の正味資産の60%以上を占めた。
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表2 富裕者だけがさらに豊かに:
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<< 家庭の正味資産平均の1983~1995年の変化 >>
最上位1% 17.4%
次の4% 0.5%
次の5% -2.3%
次の10% -5.3%
次の20% -6.5%
中位20% -11.5%
最下位40% -79.6%
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出所:エドワード・ウォルフ、“Recent Trends in Wealth Ownership,” 1998消費者金融に関する連邦準備調査に基づく。
中位20%の家庭の正味資産はインフレ調整済みで1989年の5万4,600ドルから1995年の4万5,900ドルに減少し、1997年に推定で4万9,900ドルに増加したが、10年前よりも依然として4,700ドル少ない。金融資産の中央値は1989年の1万3,000ドルから1997年推定では1万1,700ドルに減少している。
正味資産がゼロまたはマイナス(負債が資産を上回る)の家庭の割合は1983年の15.5%から1995年の18.5%(全家庭の約5分の1)に増加した。これは1962年の9.8%(全家庭の10分の1)のほぼ倍である。
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表3 米国家庭の資産:家庭の正味資産(1995年)
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富の階級 正味資産平均 範囲
最上位1% $7,875,000 $2,419,000以上
次の4% $1,115,000 $661,000 – $2,419,000
次の5% $471,700 $352,000 – $661,000
次の10% $246,800 $176,700 – $352,000
次の20% $116,800 $72,200 – $176,700
中位20% $45,900 $23,300 – $72,200
下から2番目の20% $9,000 $190 – $23,300
最下位20% -$7,100 $190未満
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出所:エドワード・ウォルフ、消費者金融に関する連邦準備調査1995年に基づく
平時で最も長い経済拡張期の9年目に突入したが、平均的労働者の収入はインフレ分を調整するとニクソン政権時代よりも減少している。多くの米国人の労働時間が長くなりながら、生活水準の維持や学費の捻出のために借金を増やしているも当然のことだろう。
自分の収入だけではやっていけない米国人は多い。食糧銀行(寄付された食料を貯蔵し、 公共機関の援助が受けられない困窮者に分配する地方センター)やホームレス避難所では、賃金が安すぎて自分の収入だけでは家族を養えない労働者の利用が増えている。
本冊子で後述するように、我々に意志さえあれば、富の格差を取り除き、国家の繁栄を強化することは可能なのである。
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表4 富の集中化:最上位1%の家庭の資産の割合(1992~1997年)
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1922年 36.7%
1929年 44.2%
1933年 33.3%
1939年 36.4%
1945年 29.8%
1949年 27.1%
1953年 31.2%
1962年 31.8%
1965年 34.4%
1969年 31.1%
1972年 29.1%
1976年 19.9%
1979年 20.5%
1981年 24.8%
1983年 30.9%
1986年 31.9%
1989年 35.7%
1992年 37.2%
1995年 38.5%
1997年 40.1%
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出所:エドワード・ウォルフ著、『Top Heavy』1996、および“Recent Trends in Wealth Ownership,” 1998。