No.332 米国の押し付け文明捨て去れ

今回は、エジプトの映画監督、ユーセフ・シャヒーン氏に対するインタビュー記事(『毎日新聞』掲載分)をお送りします。シャヒーン氏は1997年のカンヌ映画祭で、その全功績に対し「50周年記念特別賞」が授与されています。同氏は記事の中で、米国に命じられるまま日本が古来より持っている素晴らしい文化、伝統、習慣を捨て去ろうとしていることに対して非常に危惧しています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

[飛べニッポン] 第6部 再生へのエール

– 米国の押し付け文明捨て去れ –

『毎日新聞』 1999.09.18 東京本紙朝刊

(ユーセフ・シャヒーンに氏に対するインタビュー)

――日本では地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が再び、活動を活発化させています。

◆  エジプトも同様の問題を抱えている。イスラム原理主義過激派と呼ばれる若者たちだ。彼らは愚かな愛国心を持った者たちだと思う。昨年、日本でも公開された私の作品「炎のアンダルシア」ではその愚かさを描いた。新しいカルトに多くの若者が入るのは世界的傾向だ。背景には、人が人を愛するのではなく商売の対象と考え、経済活動の道具にしてきたことがある。競争だけが重視され、競争相手をけ落とすことを善しとする風潮が生まれた。若者は人の心と心をつなぐ愛をなくしてしまったのだ。

――日本では子供による凶悪犯罪の増加も社会問題となっています。

◆  強いことはいいことだと考える若者が増えている。どのように強くなればいいのかわからない若者は、超大国・米国の文化をまねようとする。野球帽を後ろ前にかぶり、コーラを飲み、ハンバーガーをほおばる若者は日本だけでなく、どこにでもいる。そんな若者の一方で、暴力を振るうことで自己を表現しようとする若者もいる。根っこは同じなのだ。米国文化は他人の考えなどお構いなしに、力で「お山の大将」になろうとする文化だ。だから、映画や出版物は暴力ものであふれ、学校内で若者が銃を乱射する事件を生むのだ。日本の現象もその影響といえる。

――米国文化が問題なのか。

◆  米国の経済力を私は「野蛮経済力」と呼んでいる。ほかの国を抑え込んで米国だけが豊かになるという発想だからだ。米国は経済力を背景に自分の意思を押し付け、それを世界一の文明だと宣伝してきた。多くの日本人は米国に追随する日本政府の奴隷になり下がり、「経済、経済」と叫んでいるうちに、人間としての寛容を失ってしまったのかもしれない。東洋文明の中に西欧文明が入り交じった結果、独自の文明が軽視され、アイデンティティーを失った反動もあるだろう。グローバリズムには倫理観が欠落している。人間が互いの違いを認めようとしないのは危険な兆候だ。

――外から見ると、日本の姿は。

◆  仏教など独自の価値観を持っていたはずの日本人が、なぜそれをズタズタに引き裂き、新奇なものに流れるのか。日本の良さを忘れ、みな映画「タイタニック」に群がる。主演俳優のディカプリオのようになりたがる。国民の尊厳を失った風潮が残念でならない。米国に押し付けられた文明は捨て去るべきだ。

――金銭的成功を求めて何がいけないのだろう。

◆  それはロバ(アラブ世界で「愚か者」の意味)の考えだ。私は日本人はロバではないと思う。経済力と文明を取り違えてはいけない。金は幸せをもたらさない。日本人は今、不景気から抜け出したいともがいているが、願いがかない、銀行に100万ドルたまったとしても、幸せになるとは限らない。死ねば、誰(だれ)も棺のわきに「円」の札束を入れてくれたりしない。

――日本は文明を取り違えていると?

◆  真の文明とは、人間同士が互いに許容し合える愛を持つことだ。米国と違い日本社会にはまだ、いいものがたくさん残っている。伝統や習慣、教育、それに他人を尊重する人間関係は特にすぐれたものだ。

 日本人は本来、そんないいものを持っているのだから、生活スタイルを変えるというよりも元の姿に戻せばいいのだ。簡単ではないかもしれない。だが、それが最良の道なのではないか。