No.373 過去の過ちをひ孫の代が償う必要はない

今回は祖先が犯した過ちに対してひ孫の代が損害賠償を支払う必要はないと主張するチャーリー・リースの記事をお送りします。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。

過去の過ちをひ孫の代が償う必要はない

『オーランド・センチネル』紙 1999年12月5日
チャーリー・リース

 ここのところ賠償金流行りのようだ。奴隷制度によって被ったとする権利侵害に対し、賠償金を米国の黒人に支払おうという動きがあるが、もちろん奴隷制は現在生きている米国人が経験したことではない。

 基本的に、私は賠償金には反対である。特に、その出来事が起きてから50年とか100年後に訴訟請求される賠償金についてはなおさら反対だ。誰かが犯した罪を、そのひ孫の世代が償うべきではないと思っている。

 米国の黒人は後ろに下がって、彼らがどんなにかわいそうだったかを語る人々の話を聞くのをやめるべきだ。米国の黒人グループは、地球上の黒人の中では最も恵まれた黒人であることは間違いない。アンゴラ、ルワンダ、コンゴ、スーダン南部、リベリアといったアフリカの国々や、ハイチのように独立200年で国土と国民に荒廃がもたらされた土地へ移住しようと、人々が長い列をなすことは決してない。

 もし私が黒人なら、奴隷であった自分の祖先を恥じるどころか、彼らに感謝するであろう。しかし、忘れてはならないのは、米国の黒人すべてが奴隷の子孫ではないということだ。中には奴隷の所有者の子孫もいるし、そのどちらでもない者もいる。またアフリカ人を奴隷にしたのはヨーロッパ人ではなく、別のアフリカ人であったことも忘れてはならない。ヨーロッパ人はやがて奴隷制度を廃止したが、アフリカにはいまだに奴隷制度が残っている。

 祖先の歴史から、影響を受ける人間はいない。私たちの歴史は、自分が誕生した日に始まる。自分達に影響するのは、自分の時代に起こることだけだ。自分が生まれる前に、自分の知るよしもない他人に起きたことは、私たちに影響を及ぼさない。現代の黒人が自分の失敗を祖先のせいにすることはできないし、そうすることははっきり言ってみっともない。

 これは度を越えた責任転嫁のゲームであり、何でも金にしてしまう訴訟天国の米国では、責任転嫁はつまるところ「たかり」になる。このゲームに夢中なのは少数の黒人だけではない。54年前に戦争捕虜になった米国人は、日本を訴えることを決めた。そして誰もが、スイス銀行とドイツの大蔵省からは取り放題だと思っているようだ。

 もし私がドイツ人なら、世界に向かってこう言うだろう。「54年間と600億ドルの賠償金でもう十分だ」と。もう銀行は閉店だ。もし54年前に転覆した政府の名のもと、すでに死んで久しい誰かによって自分が傷つけられたとしたら、それは不運の一言につきる。もっと早く訴えるべきであった。今のドイツ人に罪はなく、彼らは世界の誰にも1マルクすら借りはない。今の日本人にも同様のことが言える。

 時効に関する現実的な法規でもない限り、様々な人が様々な人に対して、多くは代わる代わる働いた悪事の数は気が遠くなるほどになる。過去に生きている人は誰でも、奇妙な自殺行為をしているに等しい。

 私の意見では、貪欲こそ最も邪悪なものである。貪欲さゆえに、死者の命に貨幣価値をつけ、さらにその価格交渉さえ行う。どこまで卑しくなれるのだろうか。

 死亡した子供の保険金を保険精算人と交渉するのに嫌気がさし告訴を取り下げた男性を私は知っている。

 金では償えない罪があり、命で償うか、あるいはそれでも償えないものもある。どうやらこの退廃的な国では、人々は宝くじやスロットマシンと同じくらい訴訟が好きで、真の正義という考えが大嫌いで、恐れてさえいるのだ。米国人を究極にだめにしたもの、それは金であり、セックスや麻薬以上に強力である。

 やはり過去は金もうけに使われるべきではないし、金を強要する好機として使われるべきではない。もし米国人が過去は現在にとって金になるとしか学んでいないとすれば、われわれの現在はほとんど価値はないし、もちろん、われわれの未来も暗いだろう。