No.513 「IT社会でなすべきこと:企業として、個人として」に関するご意見と私のコメント(1)

私の講演をお聞きになったお客様からお寄せいただいたご意見やご質問に対する私の回答をお送りします。

「IT社会でなすべきこと:企業として、個人として」
に関するご意見と私のコメント(1)

【質問】 企業が利益中心になってきていることはよく理解できるが、その利益を出すために、生産性の向上だけを求めていては企業の存続が危いではないでしょうか。企業が生き残るためには、どのような点が必要なのか、もう少しお話ししていただければ良かったと思います。

回答:  まず、このご質問にある「生産性」という言葉は、今日その言葉を使う人々の大部分がそうであるように、労働者一人あたりの生産物、労働者一人あたりの売上、労働者一人あたりの利益を上げるといった、労働生産性を意味しているように思います。お金の生産性とか、土地の生産性、役員の生産性といったことではなく、生産性といえば常に労働者の生産性についてです。生産性について語る場合そのほとんどは労働生産性のことであり、明確に規定されてはいませんが、それは暗黙のうちにより多くの生産物、売上、利益を企業の所有者や経営者に与えたいという欲求からです。労働者の生産性が上がるということは、労働に対して与えなければならない生産物や売上、利益が少なくなるということであり、逆にその分、企業の所有者や経営者の取り分が多くなるということです。

もし企業がそこで働く従業員により多くの給与や手当てを提供するつもりなら、より多くの生産物や売上、利益を従業員に与えることができるように、お金や土地、経営者やその他の資源の生産性の方を上げようとするでしょう。なぜならお金や土地、経営者の生産性が上がれば、それらに対して支払う生産物、売上、利益はより少なくて済むため、より多くの生産物、売上、利益を従業員に支払うことができるからです。

企業が生き残るという点に関して、弊社についていえば、株主や経営者にではなく利益のほとんどをお客様と従業員に還元する方法をとって生き残っています。弊社の場合、お客様へのサービスを維持、向上できることを前提として、かつそれが社員の給料や手当てを維持、または上げられる範囲である場合のみ、社員の生産性向上を試みます。例えば、広告費を増やせば営業の生産性が上げられるかもしれない。しかし、全国紙の朝刊に一面広告を掲載する費用は、営業マン3人分の年収や手当てに相当する費用がかかります。それなら弊社の場合はその費用を給与や手当てに使う方が良いと考えます。または「ボイスメール」システムを導入することによって社員の生産性を上げることができるかもしれません。しかし、ボイスメールを導入しないのは、それがお客様へのサービスの低下につながると考えるからです。また大企業が集中している首都圏に営業部隊を集中させることによって、弊社の営業の生産性を上げることができるかもしれませんが、提供する製品やサービスを日本全国の企業に提供し、利点を享受してもらうことが義務だと感じています。そのため日本各地に営業所を置き、社員を配置しています。また社員の生産性を下げるだろうと知りつつ、取扱製品に付随したサービスを販売するようになりました。それはお客様がこれらのサービスの恩恵を受け、またこのサービス事業が社員の多くに充実したより良いキャリアを提供するだろうと考えたからです。また弊社はもっと激しい売り込みを行うことで、短期的な生産性を上げることはできるでしょう。しかし弊社の目標は、社員が働いている期間を通じて確実に給与と手当てを提供することであり、そのためにはお客様からできるだけ良い評判をいただき、それを維持する必要があると信じており、そのためにも社員に地道な営業をするように指導しています。お客様に何も必要でないと思ったら、何も買わないことをお勧めする、お客様が必要としているものが競合他社の製品ならそちらを購入するようお勧めする、そしてお客様の必要性に合致するものを弊社が取扱っていれば、それをお勧めするということです。

こうしたやり方で弊社は、熱心にお客様のお手伝いをする正直な社員を育て、また製品を購入して下さるお客様によって、創立以来30年間生き残ることができたのだと思っています。

【質問】 SCM等英語での表記がインチキであれば、御社では日本語表記をどのようにしているのか、教えてください。

回答:  まず最初に、すべての外国語の単語や頭文字がインチキだったり、悪いというのではありません。私の知る限り、すべての言語は外国語や頭文字や短縮語を使います。しかし日本の思慮深い人たちの多くが、あまりに多くの外国語や頭文字が突然日本で使われるようになったことを懸念しています。実際、近年日本で使われるようになった外国語や頭文字の多くが英語、特に米語です。これは日本人が自国の文化や伝統を学んだり、尊重することなく、アメリカを崇拝し、知的にも精神的にもアメリカの植民地になったしるしではないかと思うのです。特に私は、急激に英単語や頭文字が増えたことが、考える習慣や思考能力の急激な低下につながることを懸念しています。日本人は、理解していない英単語や頭文字をオウムのように受け売りするようになっているからです。もし英単語や頭文字の意味を理解していれば、自分の言葉である日本語で表現できるはずではないでしょうか。

次に、英単語や頭文字の使用の増加は、日本の情報技術の悪化をもたらすと思います。真の利益を提供するツールを情報技術サプライヤーが販売し、ユーザーがそれを購入するのではなく、サプライヤーは多くの場合、最新流行の情報技術を売り込み、ユーザーもそれを好んで購入するのです。サプライヤーはユーザーが知らない外国語や頭文字を使います。なぜなら競合他社が(それらを理解することなく)使い、また業界紙も(それらを理解することなく)記事を掲載し、さらにユーザーも(それらを理解することなく)購入しているからです。ユーザーがこうした英単語や頭文字を理解することなく使っているのは、サプライヤーや業界紙が、またイベントやセミナーで他のユーザーが使っているからです。これがいかなる危険性をもたらすかというと、人々が理解することなく情報技術が売られ、人々がそれを買い、そしてその情報技術が明白な経済的利点を提供できなければ、それは情報技術への信頼性の喪失につながります。

情報技術やツールを売る人も、買う人も、その技術やツールの長所と短所、その弊害、そしてそれらを使って利点を得、不都合や弊害を最小にするための条件や状況について、自分の言語で具体的にそれを言い表し、議論することができてしかるべきだと思うのです。

最後に、我が社の社内についてですが、社員に対して、あまりよく理解していない英単語や頭文字ではなく、自分が理解しているであろう日本語を使うようにと説得してはいますが、無駄な努力かもしれないと思うことがよくあります。せめて社員(そして経営幹部、管理職)だけでも、説得することができれば良いと思いますが、残念ながら、現在の社内の状況は、私の理想とは一致していないのが現実です。

【質問】 最初に提言されていたように、問題提起としてのお話は理解させていただきました。そこから先は各企業が知恵を出し経営すべきことも理解できます。また各企業が責任をもって市場から利益をとり、成長していくことも認識しております。しかし、我々が知りたい点は、解決策なり、対応策です。1つの例としても結構ですのでその策の考え方を聞かせて欲しかった。

回答:  まず私がお話しした問題について、コンピュータを使用している企業にソフトウェア・パッケージとそれに関連するサービスを提供している我が社は、企業として、何の解決策も対応策も持っていません。しかし、この問題を認識していることによって、これが我が社に影響を及ぼした時にうまく対処できるかもしれません。そして私個人としては、この問題について次のようなことを解決策、または対応策として考えています。 1) 現代の日本人は日本の長い伝統に基いた、生活を維持し育むための仕事のやり方を捨て、個人の利益のためにビジネスを行う最近のアングロ・アメリカ式概念をとり入れるという、大きなかつ破滅的な誤りを犯していると思います。
2) 日本は銀行の規制を、1980年代のバブルとそれ以降の経済の減退原因となった規制緩和が行われる前の状態に、すなわち経済の奇跡と呼ばれた繁栄の時代の状態に戻すべきだと思います。そして再び規制の下で営業をし、海外業務から撤退した銀行だけを日本政府は支援(預金を保護)すべきです。国内業務のみ行うのであれば日本の規制だけに従えば良いわけで、BISその他の海外規制に従う必要はありません。政府はこの条件に従わない銀行に公的資金を使って支援するべきではありません。このような銀行制度にすれば銀行の問題が解決されるだけではなく、銀行が規制によって最も利益率の高い投資先を求めなくなるため(銀行が最も儲かるのは、銀行の資金を最も儲かっている企業や最も早く株価が上がる企業に投資することです)、一般企業の利益至上主義も緩和されるでしょう。また日本政府は、銀行が融資先に要求するのと同じだけ、公的資金を貸し出した銀行に対して担保を要求すべきだと思います。

3) 私たちは、生産に必要な人間の労働が、急速に機械に置き換わっているという現実を直視するべきだと思います。このために今、産業革命初期に作られた「労働によって賃金を得る」制度に代わるものが必要です。どのような制度が良いのでしょうか。私は、短期的には給与を減らすことなく週4日労働に切り替えることだと思います。そして消費税を廃止し、昭和時代の累進的な所得税率、法人税率に戻し、「リストラ」にあって職を失った人々のための失業その他の手当てを増やすことです。これらの策をとることによって、現在のデフレは解消されるでしょう。なぜなら私たちが消費できる以上のモノが生産されていることによって、デフレが起きているからです。
4) 長期的にはどのようなシステムが必要なのでしょうか。私は、「労働によって賃金を得る」制度に代わる、働きたくない人でも人並みの生活ができるだけの所得が得られるような制度を確立するべきだと思います。それがどうやって確立されるかといえば、日本の伝統的制度に戻るだけで良いのです。その費用に充てるのは、相続財産や富その他の不労所得(例えば、誰のものでもない土地を自分のものだと主張し、その地代で生活している人)、また並外れて高額の所得を得ている人や企業に税金を課すのです。労働によって賃金を得なくても人々が生活していくことができれば、人々はボランティアや勉強、芸術や文学、その他市場価値はないかもしませんが社会に利益になることにその時間を使うようになると私は思うからです。
5) 上記3と4で私が提唱しているのは、真の共産主義のように誰もが能力に応じて働き、報酬はニーズに応じて受けるという制度ではありません。私の主張は、誰もがある程度快適な生活水準を保証され、その上で、すなわち最小限の所得をすべての人に保証するために累進課税がかけられているとわかっていた上で、標準以上の生活をしたいのであれば、それを可能にしようというものです。高い累進課税でも人々のやる気が奪われないというのは、いまよりも税率がはるかに累進的だった昭和時代を見れば明らかです。逆に、高い累進を課せば、過剰な利益追求をするために政治家や政府やメディアを買収したり、過剰に貯金をしたりといったことができなくなるでしょう。
6) 最後に、私たちは次のようなことを認識するべきです。

1. ピューリツァーが広告収入で新聞を大量発行し始めた時代から映画、ラジオ、テレビへの100年間の変遷を経て情報「散布」が発達した結果、娯楽で人々の心を麻痺させるとともに、選択的な情報の流布と情報操作が可能となり、一部の人が大多数を支配することになった。
2. インターネットは、情報を流すためのものではなく「集める」ための手段であり、この情報支配から私たちを解放してくれるものである。しかしそのためには、流される情報をただ単に受け入れるのではなく、自ら情報を探し、考えたいという思いと能力が必要である。私たちには、今、インターネットという真の情報革命の技術があります。しかし、少数支配から自分たちを解放したいという気持ちと、精神的強さが私たちにあるのでしょうか。

上記に示してきた解決策や対応策について、私は機会があるごとに話したり、書いたりしています。

【質問】 単純作業におけるIT化が進むということは、やはりある面リストラ等の社会問題を拡大し、さらなる不況をあおり、悪循環を生むということなのだろうか?

回答:  これについては先にも述べたとおり、本来は人間の労働を機械がやってくれるということは喜ぶべきことだと思います。これからは機械を奴隷として使って、必要な製品やサービスを機械に作ってもらえばいいのです。これによって私たちは精神的、知的、肉体的に自分たちを高めることに時間を費やしたり、家族との時間、環境やコミュニティを改善する活動にその時間を充てることができるのです。しかし人間が行う労働を機械に置き換えるためには、過去200年続いた(そしてそれ以前には存在しなかった)「労働によって賃金を得る」という制度を変える必要があるのです。そのためにも、人々が働かなくても快適な生活ができるだけの所得を得られるような社会にする必要があります。そうすれば、もっと多くの所得を得たい人、そして購買力を増やしたい人は働けばいいし、お金に換えられないものを追求したい人はそれを追求すればよくなります。しかし、このためには税制として高額所得や富を持つ人への累進課税が必要です。

【質問】 日本の現状において、一番変えなければいけないことは?

回答:  それは「日本人らしさ」を取り戻すことだと思っています。日本の文化と価値観は、平安時代から広島、長崎に原爆が投下されるまで、神道、仏教、儒教、武士道、日本やアジアの古典文学などを見ても、みごとに一貫したものでした。しかし、ダグラス・マッカーサーは占領時代にこれらのものをすべて排除し、日本人の心を植民地化することに成功したのです。1945年以降の教育によって、日本人の精神は空洞化しました。外見は日本人かもしれませんが、今の日本人には日本の知的、精神的な信念も特徴もありません。ただアメリカを崇拝し、従う人間になってしまったのです。日本人の心を支配することによって、アメリカは武力行使をすることもなく、日本を搾取することができるのです。

【質問】 インターネットを「情報を集める手段」と定義した時、今のインターネットに足りないものは何で、何を実現できれば革命ができるのだろうか。

回答:  何もないと思います。過去の主要な情報媒体(新聞、映画、ラジオ、テレビ)は情報を流すためのものでした。それがインターネットにより、情報収集の基盤が提供されたのですから、それ自体が真の革命です。唯一の問題は、いったい何人の日本人、または社会のどれくらいの人が、メディアの所有者や支援者によって支配され、無感覚であり続けるのではなく、自分で情報を集めたいと思う能力と気力があるか、ということだと思います。