No.623 アメリカの支配化戦略

 カリブ海にハイチという国がある。面積は四国と九州の中間程度、人口約750万人で国民の95%がアフリカ系で平均寿命は52歳、失業率は約70%、そして国民の80%が貧困の中で生活している。

 2月、このハイチのジャン・ベルトラン・アリスティド大統領が中央アフリカ共和国に亡命した。地理的にも遠い中南米で起きた事件は日本ではごく小さなニュースとして扱われたに過ぎない。しかし日本が同盟国として仰ぎ崇めているアメリカが、どのような外交政策をハイチにとっているかを知ることは極めて重要なことだと思う。

アメリカの支配化戦略

 アメリカ政府が気に入らない外国の政権を失脚させる方法はいくつかある。極悪非道のサダム・フセイン政権、またはアフガニスタンのタリバン政権を倒すために行った武力攻撃は誰の目にもあきらかな方法だが、もう少し分かりにくい方法もある。それは経済封鎖をしたり、反政府派に武器や資金援助を行いクーデターを起こさせて政権を転覆させるやり方である。

 今回のハイチの大統領追放では、アリスティド前大統領は亡命先からアメリカの下院議員らに電話をして「米兵に拉致された。米国によるクーデターだ」と言ったという(もちろんホワイトハウスはこれを強く否定した)。今回のブッシュ政権の目的は、ハイチをイラクと同じようにアメリカの支配下に置くことであろう。これまでアメリカがとってきた中南米政策の記録を見ればそれ以外には考えられない。

 アメリカは中南米において、ニカラグアのコントラとエルサルバドル政府に対して大規模な軍事援助を行ったが、その当時はソ連対策を名目に必要性を説いてきた。しかし冷戦が終結した今、それを民主主義に見せかけて行わなければならない。そこで日本の小泉政権のような傀儡(かいらい)政権をハイチに樹立し、日本がアジアの重要な軍事拠点であるように、米軍をカリブ海地域に常駐させ、軍事化することを目指しているのだ。

 ハイチの大統領追放にアメリカが関与していたことは、ハイチのこれまでの苦難の歴史を振り返るとよくわかる。カリブ海にあるハイチは1804年にフランスから独立した、黒人による世界最初の共和国である。20世紀になってから約20年間米軍に占領された後、1957年からデュバリエ親子による軍事独裁制が敷かれ、暴力と腐敗が横行した。デュバリエ大統領は1986年に米空軍のジェット機で亡命し、1988年に民政が復活したが、その後左派右派の対立によるクーデターが繰り返された。

 1990年の総選挙でアリスティド大統領がアメリカが支援する候補者を破り大統領に当選するが、翌年、軍事クーデターで国外に追放される。1994年にアリスティドは帰国するが1996年の選挙で破れ、次の2000年の選挙で92%という高い得票率で再び大統領に当選した。アリスティドは特に貧困層(といっても大部分の国民が貧しい)から幅広い支持を受け、デュバリエ時代には独裁に反対した聖職者だった。

 貧困を救うために労働者の最低賃金の引き上げや学校の建設を公約にあげたアリスティド新政権に対して、アメリカとIMFが課したのは構造調整プログラムだった。これは対外債務の返済に支障をきたした国に対して、通貨切り下げや政府の公的支出の削減、国営企業の民営化といった政策を採用させて借金を返させることが目的だ。これによってハイチは超インフレとなり、国民のアリスティドへの不満が膨らんだ。

 ハイチ国民の貧しさを利用して、安価な賃金で組立工場を作って利益を上げていたのはディズニーなどアメリカの多国籍企業であることは言うまでもない。またハイチの天然資源のほとんどはアメリカ企業に支配されている。奴隷制度が現代も続いているといってもよいだろう。

 労働者の賃金を上げて貧困を緩和することを目標に掲げる大統領は、アメリカ政府に資金提供をする多国籍企業にとっては目の上のたんこぶであったのだろう。今回大統領を追放した、組織化され武装した反政府勢力がどうやって、どこから出現したのか、また大統領が出国した数時間後にはアメリカ海兵隊がハイチに到着していることなどを考えると、ここでもアメリカの関与があったと思う方が自然である。

 結局、アメリカは自国に都合のよい民主主義だけを支援し、都合が悪ければ支援はしないということだ。貧しい国民の大多数に支持されたアリスティド政権は、必ずしも清廉ではなかったし、暴力で反対者を制圧した。しかしアメリカの支援なしに今回のような事件が起きることはなかった。

 結局、民主主義によってアリスティドがハイチをハイチ人のために運営することをアメリカは許さなかった。こうしてサダム・フセイン後のイラク、またタリバン政権のあとのアフガニスタン同様、ハイチにもアメリカによって無政府と混沌がもたらされたのである。