No.641 富の不平等は経済を停滞

厚生労働省が6月に発表した調査によると、世帯ごとの所得のばらつきを示す指標である「ジニ係数」が2002年時点で過去最高を更新したという。全世帯の所得が同じ状態を0、数字が1に近づくほど格差が広がったことを示すジニ係数は0.4983で、これまで最大だった1999年の0.4721からさらに拡大した。ジニ係数が0.5になると所得の高い方から4分の1の世帯が全体の所得の4分の3を占める状態とされ、日本はほぼこの状態になっているといえる。

富の不平等は経済を停滞

 格差が広がった背景について厚労省は、公的年金は所得として数えないために高齢化の影響が六割強寄与していると分析している。たしかに高齢化が進む日本では、年々ジニ係数が高くなるというのは自然なことであろうが、これは日本政府にとって都合のよい言い訳であると私は思う。

 ジニ係数が上がる理由には高齢化以外に失業や企業倒産の増加があるだろうし、課税後の所得については、低所得者層への増税や高所得者層への減税、低所得者層への福祉の切り捨てなど、政府の政策が大きく影響している。またジニ係数は所得の不平等を示すのであって、富の不平等を示すものではない。高齢者の多くは所得は少ないかもしれないが現役世代より支出も減るはずであり、また高齢者は若年者層より必ずしも富(金融資産)が少ないとは限らない。したがって経済格差を比べるためには所得だけでなく富もあわせて考えるべきだろう。

 富や所得がどのように分配されるべきかについては、公平性や効率性、勤労意欲などを理由に議論がなされるが、もし少数が多くの所得や富を手にし、その一方で大多数がわずかな所得と富しか持たない社会であれば、その国の経済はひどくゆがんだものとなる。なぜならたとえどんなに大金持ちでも、貧しい人の何倍もの消費をすることはできないからである。人間が摂取できる食べ物、飲み物の量には限度があるし、いくら洋服や自動車をたくさん持っていても一度にいくつも使うことはできない。

 もちろん値段の高いものを消費したり大きな住宅やさまざまな道具や玩具に多くのお金を払うことはできるだろうが、それでも一人の人間が使えるお金には限界がある。だからこそある規模以上の人数からなるコミュニティーにおいて消費される金額は、その人数とだいたい比例するのであり、飛び抜けて多くの富や所得を持つ人が一人いたからといって、その人が他の人の数百、数千倍の商品やサービスを消費することはない。

 むしろ、並みはずれた所得や富がある人はその大部分を使わずにとっておくだろう。所得が消費されずに預金にまわるということは、そのコミュニティーが作り出した商品やサービスに対して使われるべきお金から、その分だけ差し引かれるということである。そしてその預金が新たな、または追加の投資にまわらないかぎり、売れ残った商品やサービスを作り出すモチベーションは減退する。物が売れ残る状態では設備投資を奨励する要因は存在しない場合がほとんどで、結局は、消費されずに預金にまわる所得の分だけコミュニティーの経済活動は停滞する。

 この経済活動の停滞によって企業は破たんに追い込まれたり、社員の削減を余儀なくされることになる。その一方で余剰の所得や富を持つ人々、またはそのお金を保管している金融機関は見返りを得るために別の投資先を探すだろう。しかし経済が停滞しているコミュニティー内に投資先がなければ、そのお金はコミュニティーの外の事業や設備投資、土地や株、国際通貨の売買などに向けられるのである。

 コミュニティーからお金が流出すれば、コミュニティー内の経済活動の不活性化を直すことはできない。そればかりか経済はさらに悪化するだろう。なぜなら土地や株、通貨売買は投機でありゼロサムゲームであるため、勝者の儲けは必ず敗者の損失となって富の分配をさらに大きくゆがめるからである。

 この所得や富の分配がゆがめられたコミュニティーが今の日本の姿である。金融ビッグバンによって富の流出が促進され、国内経済の停滞はさらにひどくなっている。このほど、7月の予測平均で2004年度実質成長率3.5%と、6月の予測に比べ0.15ポイント上方修正されてデフレ脱却の時期を前倒しするエコノミストもいるという報道があったが、そんな予測はまやかしである。富の分配がますますいびつになる日本で経済がよくなる理由はない。

 しかしそのいびつな富の分配ゆえに、リストラやボーナスカットで労働者の所得が減る一方で、都心の超高級マンションが完売になる。使うあてのないお金をため込んでいる一握りの富裕層がその過剰な富を使って、マンションだけでなく政治家、メディア、エコノミストらを買収し平成の改悪を推し進めている。そしてさらに所得と富の分配の不平等化は進むのである。