No.665 環境問題は歴史に学べ

 一昨年、ある民間地震研究家が関東地方に大地震が起きるという予測をした時、発生時期とされた一週間、私の会社が行うセミナーなどをキャンセルし、社員は自宅待機という策をとった。科学的に証明されていない予測をもとに、売り上げに影響を及ぼすようなことをなぜするのかという反対意見もあったが、たとえ冷笑されてもと決断し、当日大地震がこなかった時には、予測がはずれたことを心から感謝したことを覚えている。

環境問題は歴史に学べ

 地震は自然現象であり、地球で生きる私たちにはなすすべもない。また予知技術が確立されても、100%でなければ適用されることはないだろう。なぜなら、実際に地震がおきなければ目の前の利益を脅かすことになるとして警告を出さない可能性は大きいからだ。昨年末のスマトラ沖地震でも、タイの気象局長が観光地への影響を懸念して警報を出さなかったという報道があった。前例のないインド洋で津波警告をだすことは、オーナー経営者が社員を自宅待機させるのとはわけが違う。自然災害の被害を少なくするためには、津波の前にタイで動物たちが丘に走ったように、人間の直観を強めるか、または人命のほうが利益よりも大切だと思う人が増えなければいけないだろう。

 しかし、人類が直面しているより大きな問題は人災である。昨年、世界はあまりにもたくさんの天災にみまわれたために、私たちは地球環境の変化には対処不可能であるかのように思いがちだが、それは大きな間違いだ。

 先日興味深い本を読んだ。ジャレド・ダイアモンド博士の『Collapse』という本で、著者はカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授である。1997年には『銃・病原菌・鉄』という、自然と人間との関係を洞察した興味深い人類史を著し、いかにして西洋文明が地球を支配するに至ったかを分析した。『Collapse』では、過去において栄えた文明社会がなぜ消滅したかを検証している。

 たとえ強大な文明社会でも、一度衰退し始めるとあっというまに崩壊に至る。崩壊の理由は、各社会で複雑な背景がからみあって一様ではないが、ダイアモンド博士は五つの要素として、環境破壊、気候変動、敵の侵略、交易相手の衰退、そしてそれら変化に対応できなかったことを指摘する。

 例えばイースター島は、人口増加で大規模な森林破壊が起こり、土壌の劣化と流出から食糧不足が起き、枯渇する資源を巡る争いが崩壊へ導いた。これがすべてではないかもしれないが、イースター島の崩壊は自らが環境問題に対処できなかったためだといえる。

 ユカタン半島のマヤ文明も、コロンブス以前のもっとも進んだ新世界文明で、石器時代の技術水準でありながら熱帯雨林の厳しい環境の中で適応して壮大な都市を築いた。天文学に特に優れていたマヤ文明も、森林の伐採と土壌の劣化から食料不足によって少ない資源を奪いあうようになった。権力闘争に明け暮れた支配者層の王族たちは崩壊直前まで人々が飢えていることに気づかず、環境問題やそれがもたらす食料不足に適切な対処を怠ったために、いまでは像に記された長期暦とよばれる長周期のカレンダーが残るだけである。

 『Collapse』は日本についても書いている。消滅した文明ではなく、持続可能な循環型社会の生き残った文明としてである。マヤ帝国が消滅して、江戸時代が続いたのはなぜか。それは問題に社会がどう対処したかであると博士は指摘する。

 17世紀、徳川幕府は森林伐採の影響を認識し、慎重に植林を行って林を再生した。植物は長期的な視野をもって育てなければならない。鎖国していた日本は、他国を侵略して資源を略奪するかわりに腰をすえたエネルギー政策をとった。それがマヤのような文明の崩壊を防いだのだ。

 これらの歴史から私たちが学ぶことは、直面している環境問題に真剣に取り組まなければならないということだ。環境の劣化は社会を崩壊し、変化に適切な対処をしない文明は自滅する。また、この本は自滅した文明社会では支配者層のエゴが肥大化していたことも指摘する。これはまさに現代社会にあてはまる。貧富の格差の拡大で、一握りの富める者は残りの大多数の国民の問題がわからなくなる。豪邸に住み、海外から飲料水や食料を取り寄せ、国の年金が崩壊しようとも巨額の個人資産を運用している自分は関係ないという態度をとるエリートや政治家が社会や産業を動かすことは危険な信号なのだ。

 地震はコントロールすることができなくても、環境破壊や問題はわれわれの意識と行動で変えることができることを忘れてはならない。原因を作っているのはわれわれ人間なのである。そしてそれらを解決するために必要なのは、新しい技術よりもむしろ、歴史を学び、古い智恵を思い出すことだと私は思う。