No.668 真のグローバリゼーション

以前にこのレターで、市場経済によって各企業が利潤を目標に何を成長させるかを決めていることが今日の社会を形作っていると書いたが、企業が成長するために使う重要なツールに技術がある。

真のグローバリゼーション

新しい技術を使い、ある仕組みを作ることによって、例えば500人の労働者が行っていたことが10人でできるようになれば企業にとって大きなプラスとなる。しかしここで利潤を成長させることだけを考えて490人を解雇すれば、社会にとっては490人の失業者という大きなマイナスがもたらされる。

つまり企業の選択一つで、経営者や株主という少数の人々だけがさらに大きな利益を手にし、切り捨てられた人々、ならびにそれをサポートするための費用を社会全体で負担することになる。これは持てる者と持たざる者の格差をさらに広げ、それによって社会が分断され、不安定なものとなっていく。

わたしの会社はコンピュータ・ソフトウエアを日本で販売しているが、この技術も使い方次第では社会にマイナスとなる失業者を作り出す手助けをするツールとなりかねない。新しい技術でも古くても、使い方によって技術は人間を幸福にも不幸にもする。

生産性向上のツールを導入しても、向上分だけ社員の労働が楽になるか、または労働時間を短縮するのではなく、余剰社員を解雇するという選択肢を経営者が選べば、新しい技術は社会を破壊するツールとなるだろう。これを防ぐためには、コミュニティーのリーダーや企業経営者、政治家や官僚が利己的ではなく全体的な視点からわれわれが向かうべき社会像を持ち、それを築いていく必要がある。しかし過去20年間を振り返ると、どうやらそれは機能していなかったようである。

規則で縛るのではなく、政治家や経営者が心の奥から突き動かされるように、利潤拡大ではなく、人々の安寧を最優先した利他的な施策をとるようになれば理想である。そうなればこの地球はすばらしく住みやすい安心できる場所になるだろう。しかしそれができないのであれば、多数の国民の安寧と企業の利益の均衡を保つために最低限の規制が必要となる。

市場経済において競争はよいこととされ、規制が撤廃され、グローバリゼーションという名の下で労働者の賃金を下げなければ世界市場で生き残れないと、多くの労働者をますます貧しくするような施策が次々と導入されている。日本が常に手本としている米国のデータがそれを表している。米国の労働者の実質賃金は1985年から10%以上も下がり、富裕層とそれ以外の人々の格差は年々拡大している。

そして過去20年間に達成された経済成長のプロセスが、実は多くの国民にとってマイナスの影響をもたらし、恩恵を受けているのはごく少数だという事実は米国内だけでなく、国家間においてもみられる。これをもたらしたのが「グローバリゼーション」で、過去30年間で最貧国のうち下位から20%の国の国家所得は、全体の2.3%から1.4%に減少する一方で、富める国上位20%の国家所得は2倍に増えた。1999年の国連人間開発報告書によると、世界の最も裕福な20%の人々が地球の生産物の86%を支配し、その一方で最も貧しい20%の人々の手に入るのはわずか1%に過ぎないという。

「グローバリゼーション」のグローブとは地球のことである。そのグローブ全体に市場経済や競争を導入するという先進国が進める「グローバリゼーション」は、こうして地球に住む多くの人々を困窮に陥れてきた。過去20年間を振り返って、それでも成長が欠かせないと主張する人がいれば、それは無知か利己的のどちらかだ。

今から30年以上も前に、世界の経済学者や科学者からなるローマ・クラブという民間グループが「成長の限界」という報告書を作成した。地球上の五つの基礎的指標として、人口、資本、食料、天然資源、汚染に着目し、これらの相互関係から幾つかのシナリオを予測したもので、いくつかの制約条件においても成長の限界要因になる可能性があり、技術的改善だけでは次々に別の限界が登場してくるため、社会の成長そのもののコントロールが必要だとこの報告書は記した。

この警告を無視して、われわれは今日まで成長神話を盲信してきた。そして、経済発展をとげた先進国に権力がますます集中し、特に巨大化した多国籍企業は一企業の売り上げが多くの国のGDPを上回るほどになったのである。今地球上で推し進められるグローバリゼーションは「さく取」か「略奪」である。真のグローバリゼーションのためには、地球の資源が有限であることからも、まず先進国が到達した物質的豊かさを自発的に削って、成長神話を捨て、経済規模を縮小することが避けられないということに気づくべきだ。