No.673 イラン国民は米介入望まぬ

 2期目にはいった米ブッシュ政権は、イラクに次いでイラン攻撃を視野にいれた動きをしている。もちろん言葉では「軍事行動は第一の選択肢ではない」としているが、その一方で武力行使の可能性は排除しないという。この好戦的な態度は2002年の一般教書演説で、イラクなど3カ国を「悪の枢軸」と指摘したことを思い出させる。

イラン国民は米介入望まぬ

 今年の年頭教書演説でもブッシュは「主要なテロ支援国家」とイランを名指しした。思い出してほしいのはアフガニスタンもイラクも、攻撃理由に「テロとの戦い」という大義をかざしたことだ。強引にテロと結びつけるのは、証拠がなくとも攻撃を正当化するためだ。

 就任したライス国務長官の演説にもそれが鮮明にでていた。指名公聴会で彼女は世界には圧政国家が残っていると、イラン、北朝鮮、キューバ、ミャンマー、ベラルーシ、ジンバブエの6カ国を名指しし、イランと北朝鮮については「核開発を放棄させ平和的な道を歩ませるために国際社会との団結を維持してゆく」と言った。

 世界には国民の人権がもっとないがしろにされている国もあるのになぜ六カ国か理解できないが、もともとわからないブッシュ政権の方針をいまさら分析する必要もないだろう。ただここで心に留めておくべきことは、こうして攻撃対象とする国を挙げ、理由をこじつけ、それを人々に認めさせているということだ。

 イラクの時もそうだったが、攻撃対象と決めた国に焦点を当て、その国特有の事情をあたかも大きな問題点であり、米国の、そして世界の脅威であるかのように脳裏に染み込ませる。今でも多くの米国民がイラクとアルカイダのつながりを信じているのはこの情報操作が功を奏していることにほかならない。

 米国がそこまで執拗に核兵器を持つべきではないというなら、隣国のイスラエルも同じように問題視するべきだが決してそれはしない。ケネディ時代にイスラエルの核施設の査察を求めたことがあったがイスラエルは拒否し続け、すでに200発の核弾頭を持っているとされる。ホロコーストで数百万のユダヤ人が殺されたイスラエルが、大量殺りくを繰り返さないために核兵器武装が必要だとしているのは皮肉だが、隣国が持つならイランも同様に核兵器を持つことは「核の抑止力」という言葉もあるように正当なことだろう。

 北朝鮮が「自衛のために核兵器をつくった」と核保有を宣言したことについて、脅しだとか卑怯だとかいった意見があるが、北朝鮮の周りにはロシア、中国といった核保有国があり、韓国や日本には米軍基地がある。

 日本政府が北朝鮮の核兵器を非難するならその前に米軍基地や原子力空母に核兵器が搭載されていないことを明確にするべきだ。「非核三原則」があるから米国は核兵器を日本に持ち込まない、と調べもせずに信じている(ふりをする)ことはあまりにも手抜きである。

 2期目のブッシュ政権は「世界民主化」という方針のもとイラクの次にイラン政権転覆を狙っているのかもしれない。すでにイラン国内で米軍が活動していることや、米軍の無人偵察機がイラン上空を侵犯していることが報道されているが、これは挑発でなくてなんだろう(メキシコ軍がカリフォルニアを偵察したり、中国の偵察機が米国上空を飛んでいたら米軍は侵略だとして撃ち落すことは間違いない)。

 それでも、石油の豊富なイランが原発建設をすることはおかしいというが、石油だけが主要な輸出資源である同国が石油はいつか減耗することを知らないはずはない。国内電力を原子力にし、輸出製品の寿命を伸ばそうとすることは当然だろうし、80年代にイスラエルが原子炉を空爆したことを思えば原子炉を拡散するのも無理はない。

 冷戦時代、核は核に対して抑止力を持つと米国もソ連も核弾頭を増やしてきた。しかしテロとの戦いに核兵器は抑止にはならない。それなのにあたかも核抑止力が働いているかのように大国は核兵器を保有し続ける。そして小国には核兵器を保有することは許さず、保有すれば脅威だから先制攻撃をしてもよいという支離滅裂な理論を展開しているのが米国だ。

 人口2千万人ほどのイラクで苦戦する米軍が、より複雑な地形で50万人の軍隊を持つイランに侵攻することはばかげていると私は思う。そしてイラン国民が民主政権を望んでいたとしても、イラクをみれば米国の介入で自由が手に入ることはないとイラン人は知っている。

 第一、以前にもイランの民主政府を転覆させ、独裁政権を支援し、制裁を行ってイラン経済に打撃を与え、イスラム革命以降は密かに妨害行為を行ってきた米国の介入を、イラン国民が望んではいないことだけは確かである。